第7話 ヴィクターの偵察
ヴィクター率いる1500人の討伐軍が出発した翌日。
ヘレナは宮殿のテラスに佇んでいた。彼女が見る方角には、ヴィクターが向かったスカンプ公の領地がある。
今頃、戦が始まっているのだろうか。ヴィクターはちゃんとやれているのだろうか。自分で任せておいて、ヘレナは不安になっていた。
「母上」
声をかけられた。振り返ると、ハロルドがいた。
「なんじゃ、ハロルドか」
「ヴィクターのことを考えていたのですか?」
「……わかるのか?」
「俺も同じですから」
二人は顔を見合わせ、それから盛大に溜息をついた。
「「勝てるかなあ……」」
ヴィクターの負けっぷりは二人の悩みの種であった。
初陣を済ませてから一年半、ヴィクターは一度も勝利していない。ゼクセン軍だけではない。なんかもう、ありとあらゆる戦いに負けていた。
ある時は山賊を討伐するために50人を率いて向かったら、山賊が150人もいて、命からがら逃げる羽目になった。
ある時は王都で乱闘騒ぎに出くわしたので、仲裁に入ったら瓶が頭に飛んできて気絶した。
またある時はゴブリン退治に出撃したら、崖崩れが起きてそれどころじゃなくなった。
決してヴィクターだけが悪いわけではないのだが、それでもワザとやっているのではないか、と思われても仕方がない負けっぷりだった。
「いやまあ、負けたとしても得する負け方ならいいのですが」
ヴィクターはいつも負けるが、その負けが必ずしも損になるわけではない。
150人の山賊に負けた時は、その山賊が亡国の王子だったということを調べ上げ、国の復興を支援する約束で味方に引き入れた。
街の乱闘で気絶した時は、周りの部下たちが奮闘したので乱闘を抑えること自体はできた。
ゴブリン退治が崖崩れでめちゃくちゃになった時は、ゴブリンも崖崩れに巻き込まれたために退治そのものは成功していた。
ヴィクターは負けてはいるが得することもあったし、勝てないまま目標を達成することもあったのだ。そして、負けは無視して利益だけ見ると、その辺の猪武者よりもよっぽど働いている。
更にヴィクターは顔がいい。そんなイケメンが堂々と持ってくる利益に、民はコロっと騙されてしまう。ゴブリン崖崩れの件も、事故でボロボロになって帰ってきたのに、強いゴブリンと激戦を繰り広げてきたという噂になっていた。
そういう訳でハロルドは、結果が良ければヴィクターは無理して勝たなくていいんじゃないかなと思い始めていた。
一方、ヘレナはそこまで楽観的にはなれない。今回は国家の命運が掛かっているのだ。
「今回は謀反の始末じゃぞ。万が一負けて相手が勢いづくような事があれば、大問題じゃぞ」
「あー、まあ……でも万が一ですから。大丈夫です。いくらなんでも、1500対300で負けるはずがありません」
そんなハロルドの楽観は、慌ただしく部屋に入ってきた足音に打ち消された。
「陛下! 奥方様! 一大事です!」
「どうした?」
ハロルドが振り向く。王宮の警備兵が青ざめた顔で叫んだ。
「スカンプ公の謀反に、ゼクセン王国が援軍を出しました! それに応じて各地の貴族が反乱軍に加わっています!」
――
斥候。軍勢が進む時、誰よりも先行して行く先の様子を見る役職である。また、単独で敵軍を探る偵察の役割も務める。
ヴィクターはこの斥候を重視していた。何しろ、聞いていた数より敵が多いということは日常茶飯事である。訳のわからない場所から伏兵が襲いかかってきたり、全然関係ない魔物の群れにちょっかいを出されて負けることも珍しくない。
そういう訳で、ドリッヒェン家の財産を使って、自前の斥候隊を訓練している。彼らは徒歩でなく馬を使い、武装は最小限に抑え、常人より視力が良い。戦闘訓練はしていない。偵察のスペシャリストだ。彼らの目に狂いはない。必ず正しい情報を持ってくる。
例えそれが、どんなに信じたくない情報だったとしても。
「スカンプ公の反乱軍に300にゼクセン王国の1500が合流。更にエルフリード伯とトペ伯が500ずつ率いて参加。
これを見た他の貴族たちが次々と合流して、今の合計は4000を越えている、と」
斥候からの報告を纏め終わったヴィクターは、隣に座る副官のアッシュを見た。
「爺よ」
「はい」
「負けたな、この戦」
「……ですなあ」
反乱軍4000に対し、ヴィクターが率いるのは1500だけ。3倍以上だ。騎士道物語の主人公でもそうそうひっくり返せない戦力差。ましてやヴィクターは主人公ではなくその逆、出たら負け騎士である。戦う前から負けている、という言葉通りの状況だった。
ただ、事態は単に負けている、で済まされる状況ではない。
「この1500を無傷で帰さないと、陛下の勝ち目までなくなってしまう。なんとかしないと……」
クレヌール王国軍は全部で7000。そのうち2500が反乱軍になったので、残りは4500。そのうちの1500をヴィクターが率いている。
もしここでヴィクターが追撃を受け、500が脱落したら、ハロルドが使えるのは4000だけだ。それすらも途中で裏切るかもしれない。そうなると、数の上で不利になる。
だから、なんとしてでもヴィクターはこの1500を無事に帰す必要がある。
「爺。今から街道を逆走すれば、敵に追いつかれずに王都へ逃げることはできるか?」
「敵が全軍で動くなら、問題なく。ですが騎兵を先行させてくる可能性もあります」
スカンプ公も素人ではない。ヴィクターの1500が本隊と離れているうちに数を削っておきたいと考えるだろう。足の速い騎兵で追いかけてくる可能性は十分にあった。
そうなると、一度迎え撃たないといけない。できれば野戦ではなく、騎兵の強みを殺せる城や砦を戦場にしたい。地図を見たヴィクターは、近場に城を見つけた。
「ルポン城がある。もし敵が追ってくるなら、あそこで迎え撃とう」
「御意」
「よし、撤退するぞ!」
すぐにヴィクターの軍勢は踵を返し、撤退を始めた。同時にルポン城に使者を送り、軍隊を入れることになるかもしれないから準備をしてほしいと連絡した。
急な撤退を兵士たちは不思議に思ったが、イケメンのヴィクターが堂々としているものだから、何か理由があるのだろうと疑いもしなかった。
翌日、敵軍の様子を探らせていた斥候から連絡があった。
「敵騎兵300、先行して我々を追撃してきます! 本日の夕方には追いつかれます!」
「やはりな。ルポン城へ向かう!」
予想通り、スカンプ公は追撃隊を出してきた。ヴィクターは慌てることなく兵を率いて、ルポン城へ向かった。
おかしなことになり始めたのはここからである。
「ルポン城守備隊長、ベイカーです。降伏しますから命だけは助けてください」
「えっ?」
「えっ?」
1500人でルポン城を訪れた所、何故か守備隊長が降伏した。
どうやらこの城の主であるルポン子爵も反乱軍に参加しているらしい。ルポン子爵は手勢のほとんどを率いてスカンプ公の所に行ったので、この城には僅かな守備隊しか残っていなかった。
そこにヴィクターが軍勢を率いてやってきた。ルポン城が敵だと知らなかったので、ごく普通に使者を送って城に入れるよう頼んだのだが、留守を預かる隊長にとっては降伏勧告にしか見えなかった。
結果的に反乱軍の城を一つ奪ったヴィクターだが、喜んでいる場合ではない。すぐに敵の追撃部隊がやってきた。ヴィクターは素早く指示を出して、城門を閉じ、城壁の上に守備兵を並べた。
「ヘイヘーイ! ずいぶん遅刻してんじゃねえか!」
「もう日が暮れちまったぜー?」
「寝坊して二度寝しちまったかー? 母ちゃんに起こしてもらえなかったのかよー!」
兵士たちが元気に敵を挑発する。これもヴィクターの指示だ。これで怒った敵が突撃してくれば儲けものだ。いくら強力な騎馬隊でも、
残念ながら敵は冷静で、挑発に乗らずに後退。城から少し離れた場所に陣取った。そのまま小競り合いも起こらず夜を迎えた。
「敵はどうしている?」
「篝火を焚き、歩哨を立て、馬車を使ってバリケードを組んでいます。夜襲に備えているようです」
斥候からの報告は、ヴィクターの予想の範囲内だった。油断していたら奇襲するつもりだったが、警戒されていては通じないだろう。
なので、予定通りに動くことにした。
「よし。全軍、逃げるぞ」
昼間のうちから逃げる準備はしておいた。荷物は荷車に積んで、すぐに動かせるようにしてあった。兵士たちも3グループに分けて仮眠を取らせ、体力を温存させていた。後は敵に気付かれないよう、静かに、素早く城を離れるだけである。
ところがその途中で、またしてもおかしなことが起こった。
「旦那ァ! 大変です!」
槍持ちのダンヌスが慌てて駆けつけてきた。
「どうした?」
「火事です! 城の兵舎が燃えちまってます!」
「えっ……えっ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます