第6話 ヴィクターの昇進

「二人揃って戦場であたふたしよって。命があったから良かったものの、話を聞いた時は目眩がしたぞ」

「はい……」

「すみません、力不足で……」


 初陣のことを持ち出されると、ヴィクターもハロルドも頭が上がらない。ヘレナの小言をじっと耐えるしかなかった。


「戦そのものは勝利したが、そこでハロルドが討たれたらこの国は終いじゃ。

 ハロルドはそこを弁えて欲しかったし、ヴィクターにはそうならぬよう守ってほしかったのじゃが……二人揃ってあたふたするとは」

「面目ありません……」


 皇太子の初陣がこれでは外聞が悪いので、苦戦しながらも敵を追い返したという事にした。初陣でハロルドが奮戦したという噂は特に疑われることなく広まった。

 そうしたら何故かヴィクターも奮戦してハロルドを守ったという尾ひれがついた。腹心のイケメンが何もしていないはずがない、という民衆の勝手な憶測だろう。

 実際にはヴィクターが一方的にボコボコにされていただけなのだが。


「模擬戦などは勝てるのに、どうして本番に弱いのじゃ?」

「わかりません」


 訓練や模擬戦では普通に戦える。いや、むしろ強い。同期でヴィクターに敵う人間はいないだろう。だからこそ、本番の戦場になると様々な理由で負けるのが不思議だった。負けた理由を探す反省会が始まったのもこの頃からである。


「いつまで経っても勝てないし、なのに模擬戦や大会では勝つし、イケメンのせいで国民には人気だし……どうしたものかと困っていた時に、ああなったんじゃよな」


 そう呟くと、ヘレナは少し遠い目をした。彼女がこういう顔をする時はひとつしかない。

 最愛の夫の死。そして、それに続く王の従兄弟の反乱を思い返す時である。



――



 ハロルドとヴィクターの初陣から一年後。

 国王ユージーン死去。40歳の若さであった。ゼクセン王国の侵攻を度々退け、国力を蓄え、いよいよ反撃、という矢先のことであった。

 後を継いで息子のハロルドが即位した。若干19歳の新国王は『少年王』と呼ばれた。理由は童顔なだけではない。この若さで心許ない、そういう揶揄も込められていた。


 この問題に対し、2人の人物が動いた。先王の妻、ヘレナ・ゴドルフィン・クレヌールと、先王のいとこ、ヴァスコ・ロム・スカンプ公爵である。彼らはハロルドの後見人となり、国を支えようとした。

 当然、権力を巡って対立することになる。激しい政争の末、ヴァンス将軍を始めとする有力貴族を味方につけたヘレナが、大后としてハロルドを後見することとなった。


 だが、事態はそれでは済まなかった。

 先王崩御から半年後の秋、スカンプ公爵は自分の城に500人の兵士を集め、ハロルドに王位を譲り渡すよう迫った。前国王のいとこである自分の方が王位に相応しいという理由だった。要するに、謀反である。


「スカンプ公……なぜこのような真似を……」


 知らせを聞いたハロルドは愕然としていた。父のいとこなだけあって、顔は知っているし話したこともある。


「フン。わらわが大后になった以上、いつかはこうなると思っておったわ。だが……こんなに速く、直接的とはな」


 一方、ヘレナは既に覚悟を決めていた。意表を突かれたのは、謀反の素早さと大胆さに対してであった。


「あの、それで私は何をすれば……?」


 そして、2人に深夜呼び出されたヴィクターは、何が起こっているのか未だに理解しきれていなかった。そんな様子にヘレナは少々呆れた様子だったが、意を決して一枚のマントを手にとった。真紅のマントには金糸で大樹が刺繍されている。


「それは……!?」


 黄金樹クレヌールの外套。この真紅のマントにはただの装束以上の意味がある。これを纏うことを許されるのは、一軍の最高司令官のみ。即ち、王族と将軍だけだ。


「アントニオ・ドリッヒェン・ヴァンス侯爵の息子、騎士ヴィクター・ドリッヒェン卿よ。

 国王ハロルド・クレヌール、その名代にして大后ヘレナ・ゴドルフィン・クレヌールの名に置いて命ず。

 汝に国軍1500人を預ける。謀反人、ヴァスコ・ロム・スカンプを討て!」

「私が……!?」


 ヴィクターはただの騎士だ。戦場では200人程度を率いて、上の地位の人間に指揮されて動く立場である。そんな19歳の若者に、1500人もの兵士を預けて将軍に抜擢する理由がわからない。


「えっ、なんで私が将軍に!?」

「他に任せられる者がおらぬ」

「我が父で良いのでは!?」

「これに乗じて他の反乱が起きる可能性もある。切り札は手元に置いておきたい」

「なら、エルフリード伯爵は? 強いでしょう?」

「奴の妻はスカンプ公の娘じゃ。情に絆されるかもしれぬ」

「ザイテール公爵は? 王族ですから裏切る心配はないと思います」

「裏切りはせんだろうが、功績を盾に王にしろとか言い始めるぞ、あやつは」

「……ヘリッセン卿! 忠義に篤い騎士です!」

「あの者は平民からの叩き上げ。急に将軍にしても部隊長が納得せんじゃろう」

「……エ、エレノア様……」

「妹じゃねえかよぉ!?」


 いたたまれなくなってハロルドが叫んだ。


「確かに模擬戦でお前に勝ったけどさあ! 常識的に考えて無理だろ!」

「それは俺も同じですよ! この前、洪水で兵糧が届かなくて負けたばっかりですよ!? 俺なんかが将軍じゃ、また負けますよ!」

「それは運が悪いだけじゃ! 大丈夫じゃ、今度は勝てる! スカンプの兵はせいぜい300程度、1500人も連れていけば負けるはずがない! 5倍じゃぞ5倍!」

「ですが……!」


 言い淀むヴィクター。そこにヘレナが駆け寄って、彼の手を握った。


「は、義母上っ!?」

「頼む! 妾とて、お主に無理をさせたくはない。だが、頼れるものがお主しかおらぬのだ……」


 今にも泣きそうで、しかし決して涙は見せまいとする顔。政治の場でも、家庭の場でも、ヘレナがそのような顔をする所を、ヴィクターは見たことがなかった。

 それほどまでに、彼女は、そしてこの国は追い詰められていた。

 ヴィクターはヘレナの手を握り返すと、黄金樹の外套を受け取った。


「……承りました」

「ヴィクター!」


 ハロルドが身を乗り出す。


「不肖ヴィクター・ドリッヒェン、我が君と大后のご期待を賜った以上、断るわけには参りません。

 必ずや謀反人を打ち破って見せましょう!」


 堂々と宣言する、眉目秀麗の若武者。先程までの醜態を忘れれば、将軍にふさわしい人間に見えた。

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