第5話 ヴィクターの初陣 後編

 女騎士は、ヴィクターの間合いに入るとその手の大鎌を振り上げた。ヴィクターはハルバードを掲げ、刃を食い止める。鋭い斬撃。鎧ごと首を刈られかねない。相当な使い手だ。ヴィクターは大鎌を押し返し、相手に向かってハルバードを突きつける。


「我が名はヴィクター・ドリッヒェン! 一廉ひとかどの将とお見受けした! 名をお聞かせ願いたい!」

「……弱者に教える名などない」

「無礼者ッ!」


 せっかく名乗ったのに断られた。ヴィクターは怒りのままハルバードを突き出す。女騎士は鎌の柄で受け流し、ハルバードを絡め取ろうとする。ヴィクターはハルバードを素早く引き戻し、今度は斬撃を繰り出す。

 斬撃、刺突、殴打。ハルバードを十全に活かし、相手を攻め立てる。 しかし相手は大鎌を巧みに使い、ヴィクターの攻撃をいなし続ける。更に隙を見つけては刃で首を狙ってくる。強い。ゼクセン軍にこれだけの使い手がいたのかと、ヴィクターは戦慄していた。

 一騎討ちに集中していると、別の敵騎兵が突進してきた。


「くっ!?」


 ヴィクターはハルバードでランスの穂先を打ち払い、突撃を避ける。衝撃に手が痺れる。そこを狙って、大鎌が振り下ろされる。

 なんとか防いだヴィクターだったが、手の限界が来た。打ち払われたハルバードが、回転した後、地面に突き刺さる。


「覚悟しろ」

「せ、せめて名前を……」


 殺されるのは良い。良くないけど、戦争だから仕方ない。しかし騎士として、せめて自分を倒す相手の名前は知りたかった。


「興味がない。私の狙いは……」

「うわぁーっ!」


 悲鳴のような掛け声とともに、ひょろひょろとした槍が相手に突き出された。相手は口を止めて、事も無げに槍の穂先を払った。


「ひゃあーっ!?」


 その勢いで槍の持ち主はすっ転んだ。ダンヌスだった。

 相手は呆れ気味にダンヌスを見下ろしていたが、ふと、何かに気付いたような仕草を見せた。


「……いかん」


 そう呟くと、突如踵を返して、相手は逃げた。


「え?」

「角笛を鳴らせッ! 後退だッ!」


 大鎌を持った騎士に続いて、突撃してきた騎兵たちも逃げていく。アッシュを追い詰めつつあった騎士も、馬に乗ってさっさと逃げていった。

 更に、前衛と戦っていた歩兵たちも、戦いをやめて一目散に撤退していく。


「……え?」


 ボロ負けしたのに相手が逃げた。見たことも聞いたこともない事態に、ヴィクターは呆然としていた。


「助かった……んですかい?」

「らしい、な……?」


 ダンヌスと共に首を傾げる。どう考えても向こうが優勢だったのに、どうして帰ったのだろうか。


「若……若! ご無事ですか!?」


 アッシュが駆け寄ってくる。腕から血を流している。さっきの騎士に斬られたのだろう。


「お前こそ無事か!?」

「かすり傷です! それより、ご無事であれば指揮を!」


 アッシュの叱咤でヴィクターは我に返った。呆然としている暇はない。自分は指揮官だ。右往左往している味方を纏め上げて、部隊を立て直さないといけない。


「伝令兵! 各隊に通達! 負傷した兵は後方へ!

 動ける兵は前線に残り、隊列を組み直せ! 敵が捨てていった盾も使って壁を作れ! 矢と突撃を防ぐんだ!

 こちらから打って出ることは考えなくていい! とにかく頑丈に作れ!」


 なぜ逃げたのかはわからないが、もう一度あの攻勢を浴びれば今度こそ保たない。防備を固めなくてはいけない。

 ところが、陣の立て直しを始めたら後方が騒がしくなった。振り返ると、ハロルドが騎馬隊を率いてすぐそこまで来ていた。邪魔になっているヴィクターの歩兵とハロルドの騎兵がモメている。何事かと思っていると、ハロルドが護衛を伴ってヴィクターの所にやってきた。


「ヴィクター! どけ! お前の仇は俺が討つ!」

「え? え?」


 ヴィクターは思わず自分の両手を見た。


「生きてますけど?」

「そういう意味じゃない! 敵が逃げ出したなら、追撃だろう!?」

「……あっ!」


 確かに。定石では敵が逃げ始めたら騎兵で追いかけて叩くものだ。それまで圧倒されていたヴィクターは、態勢を立て直すことに必死で、追撃がすっぱり頭から抜け落ちていた。


「今ならまだ間に合う! 全騎兵で追撃を……」

「いや……いや、やめておきましょう!? 勝てませんよ!?」


 ついさっきまでボコボコにされたヴィクターはすっかり怖気づいていた。何しろ弓戦、歩兵戦、騎馬戦すべてで負けている。追撃しても勝てる気がしない。

 一方、本陣にいたハロルドには前線の危機感が伝わっていなかった。むしろ、自分の強さを見せつけるべきだ、とまで考えていた。


「ええい、なら俺たちだけで行く! 通るぞ!」


 業を煮やしたハロルドは、自らの騎馬隊を従えてヴィクターの部隊の中を通り抜けようとする。

 ところが混乱した部隊の中だ。負傷者の群れに足を止められ、地面に転がった残骸に足を取られ、ウロウロしている兵士たちに邪魔をされ、中々前へ進めない。ようやく前衛に辿り着くと、盾や板でバリケードが作られていて邪魔なことこの上ない。しかし味方だから蹴散らすこともできない。

 そうしているうちに、敵部隊はすっかり見えなくなってしまった。どうやら本当に撤退してしまったらしい。


「奴ら逃げたぞ!?」


 戻ってくるなりハロルドはヴィクターに向かって叫んだ。


「どうするんだ!? あの部隊が敵本隊に合流したら!」

「その時は我々もそちらに合流すれば……」


 言いかけた時、遠くから景気のいい掛け声が聞こえてきた。

 そちらに目を向けると、いつの間にやらクレヌール軍の本隊がゼクセン軍を押し切って敗走させていた。クレヌール軍は勝鬨を上げ、追撃を始めている。

 ヴィクターたちが戦場の端でボロ負けしている間に、クレヌール軍は勝利を収めていた。



――



 大鎌を担いだ女騎士は、勝鬨を背に受けて立ち止まった。振り返ると、遠くでゼクセン軍が敗走しており、クレヌール軍がそれを追撃している。

 だが、彼女の方には追撃がない。そうすべきクレヌール軍別働隊は、彼女の攻撃で大混乱に陥り、身動きが取れなくなっていた。


「弱兵どもめ……」


 そして、大鎌を高く掲げる。すると、左右の茂みから完全武装の兵士500人が姿を現した。


「囮作戦は失敗だ。撤退するぞ」


 本来なら、負けたフリをしてここに敵軍をおびき寄せるつもりだった。しかし、敵があまりに弱すぎて負けたフリすらできなかった。そのまま別働隊本陣まで攻め込んだほうが良かったかもしれないが、今となっては後の祭りだ。

 女騎士が率いる一団は、整然とクレヌール王国から退却していった。

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