第4話 ヴィクターの初陣 前編

「まったく。初めて聞いた時は驚いたわ。元服前に敵陣に突撃して死にかけるなど……」


 ヴィクターの抜け駆けを思い返したヘレナ大后は、怒りと呆れが混ざったかのような表情だった。


「はい。経験不足でした」

「不足どころが未経験じゃぞ。レッドマン卿も肝を冷やしたろうに……」

「はい……」


 あの後、丘に戻ったヴィクターは、無謀な突撃をするんじゃないとアッシュにこっぴどく叱られた。その通りだったので、ヴィクターはただただ反省していた。

 将軍の息子なんだからそこまで叱らなくても、と周囲に言われると更に叱った。将軍の息子がだからこそ、命令違反を許すわけにはいかないのだと。本当にその通りだった。


「でもエルフリード伯はこっそり褒めてたぞ。若いのに戦の呼吸をわかってるって」

「これ、ハロルド」


 ヘレナが国王ハロルドをたしなめる。公的な場では決して見せない、家族だけの場だから見せる姿だ。

 ヴィクターは血こそ繋がっていないが、ハロルドとヘレナとは家族のようなものであった。同い年のヴィクターとハロルドは、皇太子と有力貴族の息子という立場もあって、兄弟のように育てられてきた。馬に乗って狩りをしたり、同じ教師から学問を教わったり、こっそり城を抜け出して城下に行ったこともある。見た目だけは立派で頭を抱えるほど不味いミートパイの味を、ヴィクターは今でも覚えている。

 それは父親の世渡りだということに、ヴィクターは気付いている。将来の国王の信頼を得られれば、息子も父も出世間違いなしだ。実際、父は将軍になったし、ヴィクター自身も今では近衛騎士団長だ。

 しかし父を軽蔑するつもりはない。無二の主君にして親友に会えたのだから。


「でもエルフリード伯が褒めるなら、大したものでしょう?」

「それは世辞というものよ。現に本当の初陣では、お主ら、散々に負けておるではないか」

「あー……」


 ヘレナが言っているのは、ヴィクターとハロルドが18歳の時。ゼクセン軍が2000人の軍隊を連れて攻め込んできた時の話だ。




――




 ゼクセン軍襲来の報を聞き、ヴァンス将軍は3000の兵を率いて出撃した。その中には今回が初陣となるヴィクターと皇太子ハロルドの姿もあった。

 ハロルドに与えられたのは700人。その前衛300人の指揮を任されたのがヴィクターだ。補佐にはアッシュがついている。

 ヴィクターは意気込んでいた。勝手に抜け駆けした前回とは違って、今回は正式な初陣だ。数では勝っているし、士気も旺盛。負ける道理がない。なら、華々しい戦果を上げたいと思っていた。

 ところが。


「来ない……」


 戦闘が始まって3時間。ヴァンス将軍が率いる本隊はぶつかっているのに、ヴィクターと相対するゼクセン軍の部隊はまったく動かなかった。

 ならば、とヴィクターは攻め込もうとしたが、アッシュに止められた。本隊は優勢に戦を進めている。下手に動いて敵に逆転のチャンスを作らせるより、このまま相手を牽制し続けた方が良い。そのうち、敵の本陣が崩れたら、相手は救援のために動く。その時に攻めかかれば良い。

 そういう訳で、ヴィクターはじっとしている。手柄を立てたい気持ちはあるが、一昨年のように先走って敗北したら目も当てられない。


「隊長! まだ攻め込まないんですかい?」


 近くに立っていたダンヌスが聞いてきた。


「貴様ァ! 卿に向かって無礼な!」

「いいから、いいから。まだ動かないから、楽にしていろ」

「畏まりましたぁ」


 怒鳴る騎士を嗜める。ダンヌスは持ち場に戻っていった。

 彼は前回の戦いで、ヴィクターのために槍を拾ってきた兵士だ。あの後本陣にやってきたので、金貨3枚を渡したら大層喜んでいた。

 今回の戦には志願してきたらしい。また金貨が貰えると思っているのだろう。あんな事は二度と起こさないと誓ったヴィクターだが、知ってる人間が見えない所で死ぬのは寝覚めが悪いので、槍持ちとして雇うことにした。


 それから更に30分が経った時、相手が動いた。ラッパが鳴り響き、相対するゼクセン軍が動く。


「敵軍、我が方へ向かってきます!」


 物見が叫んだ。こちらを攻めるつもりだ。おかしいことはないはずだが、ヴィクターは違和感を覚えた。


「なあ、爺」

「なんでしょう?」

「何故敵は今更、我が隊を攻めるんだ? 遅くないか?」

「……気になりますが、調べる方法も時間もございません。ご指示を」


 アッシュの言うとおりだった。前衛を預かる指揮官として、指揮をとらないといけない。


「弓隊前へ! 射程に入り次第、敵を撃て!

 魔術師隊も前へ! 敵の魔法を防ぎ、ファイアボールを浴びせてやれ!」


 定石通りの戦法が展開され、弓兵と魔術師同士の撃ち合いが始まる。魔法は相殺され、弓は数が多いこちらが勝つ。そのはずだった。


「……待った、強くないか!?」


 異変に気付いたのは、こちらが3度目の斉射を終えた時だ。敵は4度目の斉射を初めていた。撃つのが速い。

 その上、相手はしっかり盾に隠れ、隊列を乱さず進んでくる。壁がそのまま迫ってくるかのような圧力だ。

 倒れた兵士の数は互角、いや、こちらの方が多いかもしれない。

 ヴィクターが戸惑っているうちに、敵は十分近付いていた。歩兵が盾から飛び出して突撃してくる。


「迎え撃て!」


 ヴィクターの号令でラッパが吹き鳴らされ、クレヌール軍の歩兵も武器を構えた。

 接触。そして。


「……何ぃ!?」


 戦列があっさりと破られた。同じ歩兵なのに敵は一人で三人倒す勢いで戦っている。


「援護を送れ! 戦列を組み直せ!」


 アッシュが素早く指示を出す。新たな兵士が戦いに加わるが、それでもなお押されている。

 更にラッパが鳴り響いた。敵の騎兵が突撃してくる。歩兵が素早く道を開け、騎兵の突撃路を作る。


「まずい……!」


 ヴィクターは直感した。あれは並大抵の騎兵じゃない。確実に、この本陣まで貫通してくる。


「ジャック! 3列横隊! 槍衾を組め!」

「はい!」


 ヴィクターの周囲の兵士たちが隊列を組む。動きが早い。彼らはヴィクター直属の近衛兵だ。現在進行系でボコボコにされている徴募兵ではない。彼らなら、あの騎兵たちも止められるはずだ。


 敵の騎兵が馬上槍ランスを構えて突撃してきた。その迫力だけで、前線の兵士たちが逃げ出している。騎兵は悠々とこちらの部隊を通り抜け、ヴィクターに迫る。


「来るぞ! 槍を構えろ!」


 近衛兵たちが槍を構えた。無数の穂先が壁となり、騎兵突撃の前に立ちふさがる。どれだけ強くてもこれで止まるはずだ。

 しかし、敵の騎兵は土煙を上げながら二手に分かれ、ヴィクターたちの両側に回り込もうとした。


「なっ!?」


 逃げ惑っているとはいえ、クレヌール軍の隊列の中でのこの動き。只者ではない。

 しかし、守る方も訓練は重ねている。近衛兵はヴィクターの指示を待つことなく、槍衾を左右に向けて突撃を牽制する。


 正面。分かれた騎兵が巻き起こした砂煙の中。

 第三の騎馬隊が現れた。

 一瞬で肉薄される。指示は間に合わない。横を向いていた近衛兵が突撃に弾き飛ばされる。

 敵とヴィクターを遮るものはもう無い。


「若様!」


 アッシュの叫び声が聞こえる。

 敵の数は10。ヴィクターは武器を構えた。


「アルセンドラの神々よ、照覧あれ!」


 突撃専用の馬上槍ではない。鉾槍ハルバード。槍と斧を組み合わせた長柄武器で、馬上での突撃でも、足を止めた乱戦でも使えるヴィクター好みの武器だ。

 先頭の騎士のランスが迫る。ヴィクターはハルバードを振るう。ランスの穂先が逸れた。騎士は無理に留まらずヴィクターの横を駆け抜けていった。気は抜けない。次が来る。更にその次は3騎同時。防ぎきれる気がしない。


「うおおおっ!」


 次の騎士の横合いからアッシュが打ちかかった。メイスを振り上げ、馬ごと体当たり。もつれ合った二人が地面に落ちる。

 突然の落馬に、後続は進路を変えた。一瞬だけ助かったが、危険には変わりない。


「爺!」


 アッシュも敵の騎士も立ち上がり、手持ちの武器で打ち合っている。助けに入ろうとしたヴィクターだが、敵騎兵の1人がアッシュたちを回り込んで突撃してくるのに気付いた。

 金髪の女の騎士だった。手に持つのは異様な得物。死神が持っているような大鎌だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る