第3話 ヴィクターの抜け駆け 後編
「ベイク・プロフェシーだ! 合流させてくれ!」
「マリガント傭兵団! これじゃあ仕事にならん! ちょいと陣を借りるぞっ!」
「コンラッド卿に仕えている者です! 主のケガの手当てをお願いします!」
「エメリオ・ルージュ!」
「カンプ・シアン!」
「ランドハルト・イエロー!」
「ハッシャ・クロ!」
「エリザベート・ピーチ!」
『5人揃って! ガルデンブルグ・ファイブ!』
「何だ今の」
「我が名はジョン・ベルメール・ルポン子爵であるぞ! この軍は後退のため私が指揮を……え、将軍のご子息? 失礼しましたぁー!」
ヴィクターが慌てふためいているうちに、丘の上は敗残兵たちでごった返していた。そして、その中で一番偉いのがヴィクターだ。元服前なのに。
相変わらず戦況は良くならない。丘の下ではゼクセン軍が、逃げ遅れたクレヌール軍の兵士にトドメを刺している。
歯噛みするヴィクターだったが、ふと気付いた。ゼクセン軍は本陣攻めと敗残兵狩りに夢中で、陣形が崩れている。しかも、アッシュが奮闘しているせいで丘の上のヴィクターたちに注意が向いていない。
ここで突撃すれば、敵の不意を突けるのでは?
ヴィクターの心臓が早鐘を打つ。
興奮と恐怖。戦果を挙げられるかもしれない。失敗して死ぬかもしれない。2つの考えが入り混じっている。
本陣は攻め込まれている。父はまだ無事だが、いつ変わるかわからない。ここで敵を動揺させれば、父を助けられるかもしれない。
だが、自分はまだ元服も済ませていない若輩だ。戦場に出ることも、本来は許されていない。できるのか、そんなことが。やっていいのか。
わからない。だから、運を天に任せよう。
「おい、そこのお前!」
通りかかった兵士に声をかける。
「俺ですかい!?」
「そうだ! お前……麓に降りて、
「ええ!?」
兵士はあからさまに怯えた顔を見せる。当然だ。下は危ない。
「無事に拾ってきたら金貨を1枚やる! どうだ!?」
「いやしかし……」
「なら、2枚だ! ひと月は家族を食わせられるぞ!」
「うーん……」
兵士は迷っている。もう一息だ。
「わかった! 3枚だ3枚! ひと月遊んで暮らせるし、牛も買えるぞ!」
「……わかりましたぁ! 行ってきます!」
とうとう兵士は折れて、丘を駆け下っていった。
ヴィクターは大きく息を吐く。兵士が戻ってこなかったら、突撃は諦めよう。武器がないから仕方ない。だが、もし兵士が槍を持ってくれば、天のお告げと考えて、敵に突撃しよう。
でも、できれば突撃はしたくない。何しろ勝手な行動だし、上手くいく自信もない。ヴィクターはそんな風に考えていた。
しばらくして。
「ありましたぁーっ!」
兵士はランスを抱えて戻ってきた。
「あっ……そ、そうか! よくやった! 偉いぞ!」
「ありがとうございます! それで、お礼は……」
「戦が終わったら渡す! ……あ、そうだ。名前は?」
「ダンヌスです! ハプサ村のダンヌスです!」
「わかった! 後で陣に来い! その時に支払おう!」
「やったあ!」
ヴィクターはダンヌスから槍を受け取ると、声を張り上げた。
「動ける騎士は集まれ!」
その声を聞いて、30騎ほどの騎士が集まってきた。
「これより敵軍へ突撃する!」
騎士たちは顔を見合わせた。信じられない、と言った様子だ。
思わぬ反応にヴィクターは戸惑った。家での訓練では、皆ヴィクターの声に文句ひとつ言わずに従ったからだ。 考えてみれば、ここにいるのは所属も地位もバラバラの30騎だ。ヴィクターの部下ではない。
そこでヴィクターは正直に言うことにした。
「……見ての通り、我々は劣勢だ。このままでは敵が勝ち、我々もあの大軍に襲われるだろう。
だが本陣はまだ崩れてない!」
拾ったランスで眼下の敵軍を指し示す。
「そこで、下で勝ったと油断している敵の横腹に突撃する! 旗の一本でも倒せば、敵は動揺するだろう。そうすれば、逆転のチャンスができる!
我が父、アントニオ・ドリッヒェン・ヴァンズ侯爵は、百戦錬磨の将軍だ! チャンスがあれば、必ず掴む!
我々の手で血路を切り開き、この戦の趨勢を決めるのだ!」
その言葉が正しい保証はない。16歳の若者の希望的観測にすぎない。
だが、イケメンが堂々と何かを喋っている姿は、少なからず人々を熱狂させる。
そして、切羽詰まった集団は、理屈よりも熱狂で動く。
「うおおおお!」
「その通りだっ!」
「やりましょう! 俺たちの手で!」
ヴィクターの演説、あるいはでまかせに釣られて、騎士たちは雄叫びをあげた。
「行くぞっ! 志のある勇者は、我に続けぇーっ!」
ヴィクターは馬首を巡らし、丘を駆け下りる。騎士たちがそれに続く。更には、熱気に充てられた一部の兵士も突撃する。
坂道を駆け下り、アッシュたちの横を駆け抜け戦場へ。ゼクセン軍が迫る。50人、100人、いや、数えられないほど多い。
「若様! 一番槍はこのカーチスが賜ります!」
カーチスと数騎の騎士がヴィクターの横に躍り出た。ヴィクターが頷くと、彼らは更に加速して前に出た。速い。いい馬に乗っているのだろう。
そしてヴィクターたちは一本の槍と化して、敵軍の横腹に突き刺さった。歩兵を薙ぎ倒し、敵の軍旗へ猛進する。
ヴィクターの槍が慌てふためく歩兵に突き刺さる。歩兵は文字通り弾け飛んだ。あっさりと人が死んだ。ヴィクターは驚きに目を見開いて、しかし旗を見定めて槍を振るう。
突撃の勢いで、ヴィクターたちは敵軍深くに入り込んだ。敵が多い。油断していた兵士ばかりだから危険ではないが、集まっていると邪魔だ。ヴィクターはそれらを避けてウロウロと馬を走らせる。
「旦那ァ!」
後ろから呼びかけられた。振り返ると、ダンヌスが走ってきていた。他の歩兵も一緒だ。
――歩兵に追いつかれた?
「あれっ!?」
ヴィクターは我に返った。率いていた騎士は全員ヴィクターを置いて敵の旗に殺到していた。モタモタしていたヴィクターだけひとりぼっちである。
「あっ、旗が倒れた」
誰かが言った。見ると、旗が倒れていた。作戦成功だ。ゼクセン軍は動揺している。その隙を逃さず、クレヌール軍は反撃を始めた。目論見通りだ。ヴィクターが置いてけぼりにされたことを除けば。
「……上手く行ったならいいか! 戻るぞ!」
「はい!」
釈然としないものを感じながらも、ヴィクターはとりあえず満足した。歩兵を連れてそそくさと逃げ始める。
混乱しているとはいえ、敵軍のど真ん中だ。回り道をして、危なそうな敵集団を避けていく。おまけに歩兵のペースに合わせているので、歩みが遅い。先に突撃した騎士たちは、もう丘を登り始めている。
そうこうしているうちに、クレヌール軍がゼクセン軍を押し返した。苛烈な反撃に今度はゼクセン軍が算を乱し、後退し始める。
「え」
すなわち、敵の横腹に飛び込んでいたヴィクターたちに、大軍が突っ込んでくる形になった。
「うわあーっ!?」
「旦那ァ!? どうしますか!?」
「た、隊列を組め! 2列に並んで敵に槍を向けろ!」
ダンヌスたちは言われた通り槍衾を作った。僅か20人の槍衾だが、それでも威圧感はあり、敵兵が避けていく。
しかしこれは、押し寄せる波の前に小石を置いたにすぎない。
左右を味方に囲まれて避けられなかった敵兵士が、ヤケクソになって突っ込んでくる。それが5人、10人と続けば、もう後ろからは様子が見えず、普通に突っ込んでくる。
「うわあああ!?」
たちまち敵に取り囲まれた。ヴィクターたちは必死に槍を振るうが、多勢に無勢。ひとり、またひとりと倒れる。
「さっさと退けばよかった……!」
ヴィクターは涙目で反省する。あの敵部隊に突っ込んで、まっすぐ丘へ帰ればよかった。あるいは、歩兵を捨てて一人で馬を駆けさせればよかった。これは判断ミスによる敗北だ。
「どこの誰だが知らんがその首貰ったァ!」
ゼクセン騎士が剣を振りかぶって襲いかかる。ヴィクターは
「なっ!?」
「覚悟ォ!」
拾い物じゃなければ。ヴィクターが負け惜しみを思う前に剣が振り上げられ。
真横に吹っ飛んでいった。
「え?」
ヴィクターを追い詰めた騎士は、身に付けた鎧ごと上半身で真っ二つになっていた。下半身を乗せた馬が驚いて逃げていく。
「無事か、若いの?」
巨大な斧を持った騎士がいた。長い白髪を頭の後ろで三ツ編みにした、壮年の男性だ。蓄えられた髭の下では、ギラリと凶暴な笑みを浮かべている。白銀の鎧、深緑のマント、黒い大柄な馬、いずれもベットリと血に濡れていた。
その男をヴィクターは知っていた。
「エルフリード伯爵!」
ガイアー・エルフリード。『緑の巨人』の異名を持つ、クレヌール王国最強の武将であった。
「化物か!?」
「怯むなァ! 一斉にかかれ!」
乱入したエルフリードに対し、周りの兵士たちが一斉に襲いかかる。
「しゃらくせぇっ!」
怒声と共に、エルフリードは斧を振るった。薙ぎ払えばで5人がまとめて吹き飛び、振り下ろせば騎士が馬ごと潰れる。向かうところ敵なし、という言葉を体現したかのような暴れぶりだった。
たちまち、ヴィクターたちを取り囲んでいたゼクセン軍は追い散らされた。
「あ、あの……ありがとうございます。助けていただいて」
「おう。お主は……ああ、なるほど。そういうことか」
「俺の名前は――」
名乗ろうとするヴィクターを、エルフリードは手で制した。
「言わんでよい。聞けば将軍に申し上げねばならなくなる。どこぞの若武者が勝手な行動を取った上に、味方に置いていかれて窮地に陥ったとな」
「は、はい……」
言葉にされると一層情けない。穴があったら入りたい気分だ。
しかし、エルフリードは告げる。
「だが……あのタイミングは悪くなかった。お陰でワシも突撃しやすかったわ。精進しろよ」
そう言うと、エルフリードは緑のマントを翻して、逃げる敵を追撃しに行った。
ヴィクターは声も出せずに、その大きな背中を見送ることしかできなかった。
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