Act.8-2
屋敷が崩れていく。燃えていく。降り注ぐ
アカガネの落下していった窓の向こうを、永は静かに見つめていた。足元の床に亀裂が走っても、逃げることもせずに。その瞳は、雪の舞う夜の闇を、ただ静かに映していた。
――もういい? 兄さん。
床が割れ、崩落し、永の体が投げ出される。このまま身を委ねたら、自分は死ぬだろう。死ねるだろう。他の死体と同じように、潰れて、燃えて、終われるだろう。
――もう、生きなくても、いい?
三年、生きたよ、兄さん。独りで、兄さんのいない世界で、三年も、生きたんだ。たくさん撃って、たくさん殺して、生きつづけたんだ。
――もう、終わりに、してもいい?
誰かを殺して生きることを。この命と引き換えに、銃のトリガを引くことを。
そっと目を閉じ、体が破壊されるのを待つ。瓦礫に混じって、雪のひとひらが、永の頬を撫でた。ああ、雪の降る夜の底で、自分も死ねるのだ。兄と同じように。仄暗い喜びと安らぎが満ちていく。
呼ぶ声が聞こえたのは、そのときだった。
「クロセ!」
シラハの声だった。崩落の轟音に掻き消されることなく、その声は、まっすぐに、永の耳に届いた。
「独りで死ぬな!」
閉ざしていた目をあけ、声のほうへ、永は振り向く。シラハが、永に向かって、必死に手を伸ばしていた。
どうして。
やめろよ。
命ひとつ残ったところで何になる?
生きる理由は、もうないんだ。
心だって、世界だって。
もう、どこにもないんだ。
空っぽなんだ。
シラハ、お前は生きればいい。
俺は、もういいから。
もう、いいんだ。
終わりにしたい。
終わりにさせてほしい。
なのに、
「お前も生きるんだよ!」
どうして、与えようとするんだ。
心も、世界も、生きる理由も。
お前は、どうして。
「俺と一緒に、生きてくれ!」
冷たい冬に閉ざされた、雪の舞い散る夜の底で。
たったひとつの温もりを、差し出して。
陽の光のように、心を注いで。
「……シラハ」
陽だまりの食卓を思い出す。あの日、差し出された心は、種だった。水のような優しさと、光のような温かさを受けて、芽吹いて、育って、冬の終わりにひらく花だった。花は、想いだった。願いだった。望みだった。
――生きたい。
銃を、離した。
伸ばされた手。その温もりに、永も手を伸ばす。
確かな意志をもって。
求めて。
手が届く。
指先が触れる。
握り合った。結び合った。強く引き合い、抱きしめ合った。
――独りで死なないで。
永の中に、願いが灯る。凍てついた胸の奥を融かしながら、ほのかな光で、永に届けてくる。
――願わくは、一緒に生きて。
生きる理由だった兄は、もういない。兄のためにあった心も、もうない。
それでも心臓は動いている。呼吸をしている。ここに存在している。
兄という世界の終わりの後で、それでも続いた命があった。
――空っぽでもいい。与えるから。
命ひとつ、あればいい。心も理由も世界も、何度だって、与えられるから。
だから、願ったの? 兄さん。
俺に、生きろと、願ったの?
俺の未来を信じて、俺の命を繋いで、俺の手を、離していったの?
いつか、この手を、再び誰かと結べるように。
一緒に生きて、守り合えるように。
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