Act.7-4

 割り振られた三階の東側で、アカガネのいる可能性の高い、いくつかの部屋を、暴いていく。しかし、どこにも姿はない。それどころか、先刻の銃撃戦以降、新手が現れる気配もない。

「俺たちのエリアは外れか……」

 こちらの襲撃によって分散させられた護衛を、再びアカガネのもとへ集結させたのだろう。それはつまり、こちら側が、徐々にアカガネを追い詰めることができているということ。

「西側のエリアへ行ってみよう」

 屋敷のあちこちで、銃声は響いている。あの銃声のどこかに、アカガネはいる。視線を交わして頷き合い、まずは三階の西側へと向かった。

 銃声が近づいてくる。遠く、近く。もうすぐ西側の角に差し掛かろうという刹那、濁った叫び声とともに手前のドアが勢いよく開き、深紅の飛沫しぶきほとばしった。反射で足を止めた昴の目の前で、若い黒衣の男が、け反りながら倒れていく。喉を深く切り裂かれていた。すぐ傍には、同じ年恰好の男が、もう一人。左胸を血に染めて横たわっている。このエリアを担当していた《削除人デリータ》たちだった。

「クロセ!」

 昴は咄嗟とっさに、クロセを呼び止めようとした。退がれ、と。だが、クロセのほうが早かった。銃を構え、部屋の中の人物を捉えようと、ドアの前に出る。中から黒い影が躍り出たのは、その時だった。

「なっ……」

 大柄な男だった。その巨体に反して動きは俊敏で、一瞬でクロセに距離を詰める。一閃する光。クロセの喉を目掛けて、男は腕をぐ。身を屈め、クロセは辛うじて、それを避けた。コンマ数秒前までクロセの頭があった位置に、ナイフの白銀が残像の弧を描く。

 クロセの舌打ちが、微かに聞こえた。素早く銃を握り直したクロセの手首を、男の大きな手が掴む。ナイフを握っていない、左手だけで。

「クロセ!」

 昴は銃を構えた。だが、気づいた男は力任せにクロセの体を昴のほうへと向け、みずからの盾にしてみせる。顔は見えなかったが、男の気配が、いびつに揺らいだ。わらったのかもしれない。男の右手が動く。ナイフがひらめく。クロセの胸を目掛けて。

「っ、させるかよ!」

 トリガを引いた。盾にされたクロセの体、その狭間を狙って。

 男の脇腹から血が噴き出す。男の動きが、僅かに止まった。続けて、もう一発。よろけた拍子に垣間見えた、ナイフを握る右腕。その一瞬を逃さずに、昴は撃つ。

 くぐもった呻き声が上がり、ナイフが重い音を立てて床に転がる。だが――

「なにっ……⁉」

 男の目が、ぎらりと光るのが見えた。男の腕を振りほどこうとしたクロセの体を、男は離さず、引きずるように床を蹴った。

 けたたましい音を立てて、廊下の窓の硝子が砕ける。二人の体が、窓の外の暗闇へと落下していく。

「クロセ!」

 昴が窓へと駆け寄ろうとした、とき、

「そこまでだよ」

 カチリ、と、昴の背後で、撃鉄を起こす音が響いた。

「銃を床に捨て、ゆっくりと、こちらを向きなさい」

 笑みを含んだ、冷ややかな、男の声だった。

 奥歯を噛みしめ、銃を離す。振り向くと、目的の人物の顔が、そこにあった。

「……アカガネ」

「いかにも」

 男は笑った。その瞳が、ふと、昴を映して揺れる。

「君は……」

 すぐにトリガを引くかに思えた男の指は、どうしてか動かなかった。

 僅かに驚いたように目を見ひらき、男は昴を見つめた。

「そうか、君は、あの時の子どもか」

 ははっ、と声を立てて、アカガネは笑った。昴は戸惑いに眉を寄せる。そんな昴を見て、アカガネは、さらに可笑しそうに口角を上げた。

「なんだ、復讐をしに来たわけではないのか」

「復讐……?」

 何の話だ? 復讐? それをいうなら、自分ではなく、クロセのほうだろう。

「知らずに私のもとへ寄越されたのか。それとも、あえて知らされなかったのか。相変わらず残酷な組織だな、第九機関は……」

「どういうことだ? 俺が、あの時の子どもって……?」

 記憶をさかのぼっても、アカガネの顔も名前も、今回の任務以前には存在しない。

 だが、アカガネの口ぶりから、昴の脳裏に、ひとつの可能性が浮かぶ。そして、アカガネの次の言葉が、それを確信に変えた。

「てっきり私は、君が、父親の……家族の仇討あだうちに来たのかと思ったのだがね」

「……まさか……お前が……」

 《伝達人メッセンジャ》の言葉が、耳に蘇る。任務の説明の中で、さらりと触れられただけで流れていった、過去の断片。


――捜査を指揮していた検察官が死亡した。


「あれは……強盗の仕業じゃ……なかったのか……?」

「強盗だよ」

 アカガネは笑った。

「強盗として裁かれるように、私が命じたからね。強盗殺人という結果があって、辻褄つじつまの合う自供があれば、その裏にある真実なんて、この国の警察は調べはしない」

 せっかくだから教えてあげよう。そう言って、アカガネは笑みを深めた。

「この国には、不要な人間が山ほどいる。だが、一方で、そんな人間でも欲しいという国がある。ならば、商品として輸出すればいい。我々の国は無駄な在庫を処分でき、取引相手の国は、求める労働力を安く仕入れることができる。双方向の利益だろう。金のために、みずから子どもを差し出す親もいたくらいだ」

 割れた窓から、雪が吹きこむ。しんしんと、音もなく。

「生産、出荷、消費……とどこおりなく回っていたビジネスだった。それなのに、君の父親は、それを摘発し、私を検挙するという。検事の正義感だか何だか知らないが、全く余計なことだったよ。だから、排除させてもらった。金を餌に手駒となった男を使ってね」

「……犯人は、死刑だった」

「それも私が指示したことだ」

 アカガネは、さらりと言った。

「男には妻子がいてね。報酬の額を告げたら、私の言いなりになったよ」

 検察官を強盗に見せかけて殺し、わざと証拠を残して捕まり、自らも死刑となり口をつぐむ。家族もろとも殺害したのは、死刑を確実なものにするため。

「もっとも、家族全員が寝静まった夜中に行くよう命じたのに、数時間も早く実行されたおかげで、君を生き残らせることになってしまったのは、計算外だったがね。まぁ、本命である君の父親を殺せたから、及第点ではあったが……後に自首すると言い出した時は、本当に面倒だったよ。警察の捜査が追いつくまで、監禁する羽目になってしまった」

 やれやれと息をついたアカガネは、そこで銃を構え直し、三日月形に目を細めた。

「さて、話は、ここまでだ。君を家族のもとへ送ってあげよう」

 銃口が、昴の額を捉える。

 トリガに掛かる指が動く、瞬間――

「な、に……っ」

 アカガネの顔色が変わり、身をよじって昴から離れる。

 響き渡る銃声。アカガネの肩から血飛沫が上がり、その手の銃が、床に転がる。

「……クロセ……」

 昴の後ろ、割れた窓枠に足を掛けて、クロセが銃を持つ手を伸ばしていた。

 無事で良かったという喜びと安堵を覚える前に、昴は半ば飛びつくように、床に投げていた自分の銃を取る。血のしたたる肩を押さえて後退あとずさるアカガネに、その銃口を、まっすぐに向け、トリガに指を掛ける。

「シラハ!」

 クロセの手が、昴の銃口を塞いだ。

「手を離せ! クロセ!」

 アカガネに狙いを定めたまま、昴は叫ぶ。

「こいつだけは! こいつだけは俺が撃つ……!」

 撃たせてくれ。頼むから。お願いだから。こいつだけは。

 一歩、二歩、三歩、後退するアカガネを、部屋の中へと追い詰めていく。

 昴の銃口を握ったまま、クロセは手を離さない。

「クロセ――」

 刹那、一発の銃声が、空気を裂いた。

 昴の銃ではない。クロセの銃でもない。それは、部屋の奥から放たれていた。

 アカガネが、驚愕に目を見ひらき、その場に膝をつく。上質なスーツの背中が血に染まり、毛足の長い絨毯じゅうたんに血溜まりが広がっていく。

「……仲買人ブローカ……ッ」

 上擦った声で怒鳴り、アカガネが首を後ろに回す。

 右胸を血に染めた男が、アカガネに銃口を向けていた。

 部屋の中には、先に突入した《削除人デリータ》たちと、アカガネの手下たちの死体が、入り乱れて転がっていた。

「あんたの手駒になるのは、もう沢山なんだよ……」

 仲買人ブローカの男が、血の泡を吹きながら、吐き捨てるように言う。

「今日、俺は、あんたを、ここで殺してやるつもりだった……第九機関が来たのは予想外だったが、な……」

 男の口の端に、僅かに笑みが浮かぶ。

「来月、娘が結婚するんだ……。あんたに、娘の幸せはおびやかさせねぇ。壊させねぇ。俺みたいな父親も、いちゃあ、いけねぇ。だから、あんたは、ここで、俺と、死ぬんだよ、アカガネ」

 血にまみれた男の手が、銃を握り直す。まなじりが裂けそうなほど目を見ひらいていたアカガネが、奥歯を噛みしめ、力を振り絞るように立ち上がり、駆け出す。部屋の奥にある、もうひとつの扉に向かって。

 逃げる背中を、男の銃弾が撃ち抜いた。アカガネの体が大きくよろめき、駆けていた勢いのまま、割れた窓へとぶつかる。そのまま足が浮き、アカガネは落下した。数秒後、鈍く濁った、人の体が潰れる音が、聞こえた。

 クロセは、静かに、昴の銃から手を離した。撃つべき相手を失った昴の銃は、昴の手の中で、うつむくように銃口を下げていた。

「悪いな、兄ちゃんたち」

 血に染まった床に横たわり、男は笑った。クロセが、ちらりと男を見遣り、眉をひそめる。

「アカガネ以外を道連れにする気は、なかったんだが、な」

 男の言葉の最後は、下から響く轟音に掻き消された。足元が波打つように大きく揺れ、続いて小刻みな振動へと変わった。

「ランプの炎を使った時限装置だよ」

 男は、息の下で言った。

「爆発、火災、崩落……アカガネを、この手で撃ち損ねたときのための保険だったが……なに、第九機関も、罪深い仕事だ。これも何かの因果だろう……」

 男は目を閉じた。壁にひびが走り、床がかたむく。窓の外に黒煙が上がり、焼け焦げた臭いが鼻を突く。天井に亀裂が走り、砕けた煉瓦れんがが降り注ぐ。

 クロセは、アカガネの落ちていった窓を、ぼんやりと静かに見つめていた。

「とにかく、外へ……!」

 クロセを振り返り、昴は叫んだ。瞬間、床が大きく崩れ、爪先が空を蹴る。

「クロセ!」

 夢中だった。クロセに向かって、昴は手を伸ばしていた。

 投げ出された体。

 頼む。届いてくれ。

 駄目だ、届かない。

 クロセ。

 伸ばしてくれ。

 その手を。

 そうしたら届くから。

 守れるから。

「独りで死ぬな!」

 叫ぶ。

 クロセが振り返る。けれど、その手は銃を、握ったままだ。

「お前も生きるんだよ!」

 伝える。声の限り、クロセに向かって。

 手を伸ばしつづけて。

「俺と一緒に、生きてくれ、クロセ!」

 届いてくれ。

 どうか。

「……シラハ」

 クロセの瞳が、昴を映す。

 光のなかった深黒に、昴が宿る。

 その手が、そっと、銃を離した。

 白い手が、伸ばされる。

 昴に向かって。

 指先が触れる。

 握りこむ。

 引き寄せる。

 抱える。

 抱きしめる。

 落下していく意識の中で。

 願っていた。

 望んでいた。

 祈っていた。

 死ぬなと。

 生きろと。

 生きよう、と。


――一緒に。


 守って。

 生きて。

 生かして。


――守り合って。

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