Act.5-3

 決行の日。陽が落ちるとともに、街には粉雪が舞いはじめていた。

 襲撃するのは、三階建ての雑居ビルの二階。表向きは不動産会社の事務所だった。

「全員、配置につきました。定刻通り、突入してください」

 《伝達人メッセンジャ》の連絡に、昴はクロセとともに頷く。握った銃を、コートに隠して。

「時間だ」

 事務所のドアを静かにあける。連絡会を前に歓談していたところだったらしい。彼らの視線が、一斉に、突然の来訪者に向けられる。

「何だ? お前ら、新入りか?」

「いや、ボスからは何も聞いてねぇぞ」

 奥の数人が片眉を上げる。

 ざっと彼らを見回して、記憶した写真と照合する。リーダーを含めて十人。外にいた見張り役は五人。ちょうど数が合う。

 そう、把握した、瞬間。

 手前の二人が、血飛沫ちしぶきをあげて倒れた。

 戸惑いと警戒のあいだで揺れていた彼らの瞳が、完全に後者へと切り替わる前に、クロセは銃を抜いていた。

「てめぇら、第九機関か……っ」

 懐から銃を取り出そうとした男のその手ごと、クロセは胸を撃ち抜いた。しかし彼らも素人ではない。素早く銃を構えると、一斉にこちらへ照準を合わせた。昴も銃を構える。だが、昴がトリガを引く前に、先にクロセが撃ち殺していく。

「クロセ……?」

 淡々と、クロセは彼らをほふっていく。ろくに身を隠す物もない部屋の中で、彼らの銃弾を巧みにけながら。昴はクロセの動きについていくのがやっとで、まだ一度も撃っていない。

 瞬く間に、部屋の中は血と死体で溢れていった。

「虐殺だ! こんなの、ただの虐殺だ!」

 誰かが叫んだ。その男も、数秒後には動かなくなった。

 やがて銃声が止み、叫び声も呻き声も途絶え、室内は無音になった。

「……二人、逃げた」

 クロセが奥の非常口を見遣る。血溜まりを踏み、注意深くドアをあける。

 階下で銃声が響いた。逃げた一人を、別の《削除人デリータ》が撃ったのだろう。見張り役だった五人は、おそらく、とうに始末されている。

 残りは一人。

 上階か、それとも下階か。警戒しながら、非常階段に出る。粉雪はいつしかみぞれに変わり、錆びかけた金属を黒く濡らしていた。

 刹那、ふっと昴の頭上に影が掛かった。クロセを目掛けて、閃光が走る。

「クロセ!」

 反射的に、昴は床を蹴っていた。クロセの頭を抱きかかえ、床に伏せる。かすめた銃弾がクロセの髪を僅かに散らし、昴は右耳の先に焼けつくような痛みを感じた。クロセの白い頬に、昴の血が跳ねる。そのままバランスを崩し、昴はクロセを庇ったまま、非常階段の踊り場に倒れこむ。

「よう、昴」

 冷たい靴音が、背後で聞こえた。知っている声だ。振り返らなくても分かる。

「……丞……」

 鈍く光る銃口が、こちらに向けられていた。上階の踊り場から、丞はいびつな笑みを浮かべて、昴を見下ろしていた。

「どういうことだ? 昴。公安は辞めたのか? それとも、クビになったのかよ?」

 カン、と一段、階段を下りる。カン、カン、カン、黒光りする革靴が、明確な殺意をもって近づいてくる。

「なぁ? 昴」


「いつのまに、独裁のいぬなんかに成り下がってんだ?」


 トリガに掛けられた旧友の指は静かだった。冷ややかな銃口を、昴は睨みつける。体の陰で、銃を握る手に力をこめる。間に合うだろうか。今、少しでも動いたら、彼は即座にトリガを引くだろう。しかし、このまま対峙していても、撃たれるだけ。昴は唇を引き結んだ。相手か、自分か、速く撃ったほうが生き残る。一か八かだ。昴がトリガに指を掛けた瞬間――

 丞の両腕の、肩から先が吹き飛んだ。

「……えっ……?」

 彼自身、自分の身に何が起きたのか分からなかったのだろう。驚愕と戸惑いの色が混じった目を見ひらいて、その場に膝を折る。

 硝煙の臭いが、昴の鼻を突いた。

「……クロセ……?」

 昴の体の下から、クロセが両腕を伸ばしていた。両手に銃を、一丁ずつ構えて。そのまま静かに立ち上がり、階段に足を掛ける。

「その細腕で二丁拳銃かよ……速さといい、バケモンだな、お前」

 丞がクロセを見上げる。瞳は恐怖と絶望に染まっていたが、声に震えはなかった。それが彼の、さいごの矜持なのかもしれなかった。

 丞の体で、次に血を噴いたのは腿だった。続いて下腹部、鳩尾、右胸、咽喉……致命傷でありながら即死には至らない場所を、クロセは狙って撃っていく。銃声と悲鳴が交互に、昴の耳にこだましていく。

「なに、を……して、いるんだ……クロセ……ッ」

 クロセに駆け寄り、肩を掴む。銃声が止み、呻き声すらあげられなくなった丞の掠れた呼吸音だけが、ひゅうひゅうと夜の底に流れていく。やがて、それも聞こえなくなった。明確な敵意をもって痛めつけられた果ての死だった。

 丞を見下ろすクロセの横顔には、一切の表情が存在していなかった。深黒の双眸は硝子のように、ただ眼前の光景を映すのみだった。

 撤収の合図が、遠く聞こえる。

「……行こう、クロセ。撤収だ」

 目を伏せて、旧友の亡骸にきびすを返した。その時、

「……なぜ……」

 小さな声が、昴の耳に届いた。昴は振り返る。クロセが、ゆらりと、昴のほうへ顔を向けていた。月も星も見えない夜の海のような、光のない黒。その瞳が、昴を映し、ふっと揺らいだ。凪いだ水面が、一滴の雫に波紋を立てるように。

「クロセ……?」

 血のしたたる昴の耳に、クロセは、そっと手を伸ばした。触れる手前で止まり、その白い指先が、昴の血を受けて濡れる。

「……なぜ、庇った……」

 クロセの唇から声がこぼれる。氷の先で解けた水が震えて落ちていくような、脆い声だった。放たれた言葉は昴に向けられたようでいて、その先に透けた、昴の知らない誰かに宛てたもののようにも思えた。昴はそこに、怒りと悲しみと、そして、絶望の音を聴いた。

「っ、おい……⁉」

 ぐらり。クロセの体が力を失い、よろめく。とっさに腕を伸ばし、昴はクロセを支えた。怪我はない。ただ血の気が引いた青白い顔で、不規則で荒い呼吸に震えた肩を上下させている。

「クロセ⁉」

 何かの発作だろうか。とにかく《運搬人ポータ》の車に戻らなければと、クロセの体を抱きあげたところで、その軽さに、昴は愕然とした。

「お前……こんな体で……」

「……下ろせ。自分で走れる……」

「死にそうな顔色で強がってんじゃねぇよ。黙って担がれてろ」

 クロセを抱えなおし、昴は非常階段を駆け下りた。

「……死なない」

「あぁ⁉」

「俺は死なない……死ねない……」

 昴の腕の中で、クロセは繰り返した。どこか譫言うわごとめいた声で。

「死ねないから、死なない……俺は……」


「……誰よりも生きてほしかったひとが、俺に生きろと言って死んだ。だから俺は死ねない……死ねないんだ……」

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