Act.3
おそらく今夜、指令が下る――クロセの言葉通り、空が茜色に染まりはじめた頃、《
「
「ずっと調べていて、やっと
急ぐぞ、とクロセがアパートメントの階段を駆け下りる。昴も
車の後部座席に並んで座り、《
「……クーデターか」
資料によると、彼らは二年前にクーデターを試みるも失敗し、国外に逃亡。だが最近になって再び舞い戻り、再興を企てているらしい。
「元・将校ね……武器の調達もしやすいわけだ」
資料を二つに折り、昴は小さく息をつく。
「……公安は、何をしているんだ」
「公安は一枚岩じゃない。新政権をよしとしていない連中もいる。それに、表舞台から追放されても、権力を全て失ったわけじゃない。派閥を介して隠匿するのも、権力の使い方だ」
「この国は、俺が思っていたよりずっと不安定だったんだな」
安定していれば、第九機関なんて組織、最初から発足しなかっただろう。
「そろそろ最初の
車が止まったのは、歓楽街の一角だった。日没を前に、早くも街路には客引きがうろつき、賑わいはじめている。慣れない場所に足を踏み入れ、昴は居心地の悪さに思わず顔を強張らせた。
「こっちだ」
クロセに声を掛けられ、昴は
目的の店は、古びた雑居ビルの地下にあるクラブだった。店内には煙草と香水の匂いが充満し、思わず
「
奥のテーブルでグラスを傾けていた男に、クロセは声をかけた。男は片眉を上げ、クロセを下から
「知らねぇな。俺じゃねぇ」
「そうか」
瞬間、男が
「……穏やかじゃねぇな、兄ちゃん」
眉間に銃口を突きつけられ、男は自分の得物に届かなかった手を中空で止める。
「質問は一つだ。今夜、
淡々とした口調で、クロセは男を見下ろす。
「よく考えな、兄ちゃん」
男は口の端に、虚勢の笑みを浮かべた。
「ここは表社会の店だ。銃なんて物騒なモン、ちらつかせるんじゃねぇよ。ここで俺が騒げば、即、通報されて、お前は逮捕だ」
「試してみるか?」
「なに――」
男の声の末尾は、銃声に搔き消された。左膝から
「クロ――」
「答えろ」
思わず呼びかけた昴を遮るように、クロセは男に畳みかける。男は苦悶と狼狽に満ちた瞳でクロセを見上げ、大声で叫んだ。
「誰か! 助けてくれ! 警察を! 警察を呼んでくれ!」
店内に、男の声が響き渡る。
最初に気づいたのは昴だった。数秒後には、
男が黙ると、店内は水を打ったように無音になった。
クラブの店員も、客も、ただ冷ややかに、こちらを見ている。
「どういうことだ……?」
辺りを見回し、茫然と、男が瞠目する。
床に片膝をつき、クロセの銃が、再び男の眉間を
「俺たちの組織を甘く見るな。ここにいる者、全員が《
「……《
「……組織……?」
昴と男の問いかけが、広がる血溜まりに落ちていく。
「まさか、お前たちは……」
男の唇が、絶望に震えた。
「分かった……言う……言うから、殺さないでくれ……」
背中を丸めて、男はクロセに懇願する。
「命乞いは後でいい。聞きたいのは、
クロセの銃口が、男の前髪に触れる。男は上擦った悲鳴をあげ、涙声で言った。
「八番街だ! 八番街のクラブに今日の二十時半! クラブの名前は〝ティーラ〟。そこで協力者と会合を開く予定だ……っ!」
「八番街か……今から向かえば、充分、待ち伏せができるな」
「なぁ! 言っただろ! 答えただろ! 見逃してくれよ、なぁ!」
「そうだな」
銃を引き、クロセは
「……えっ……?」
昴が瞠目するのと、クロセの銃が硝煙を上げるのは、同時だった。
撃たれたと認識する間もなかっただろう、即死だった。気を緩めた表情のまま、男は頭を撃ち抜かれて死体になった。
「クロセ……ッ!」
思わずクロセの左肩を掴み、昴は言った。
「なんで殺した……⁉」
「顔を見られているからだ。俺たちの顔を知った人間を、生かして放す利点はない」
凪いだ表情のまま、クロセは肩越しに振り返り、冷ややかに返答した。
「気に入らないなら、この仕事が終わったら、お前が俺を〝粛清〟すればいい」
「なに、言って……」
「行くぞ。ここは《
昴の手を振り払い、クロセは店の出口へと向かう。《
昴はひとり、
分かっている。クロセは間違っていないと、頭では理解できている。ただ、心がついていかない。あまりにも簡単に殺してしまえることにも、あまりにも簡単に、殺されてしまうことにも。
情報を引き出されて葬られた男の言葉通りの場所と時間に現れた《
「これが、第九機関……」
《
見ていただけだ。今日、自分は、目の前に広がった光景を、ただ眺めていただけだった。
ジャケットの下、ホルスタに収めた銃が、ずっしりと重く感じた。
支給された銃は、公安で手にしていたものよりも軽くて扱いやすい新型のものだった。それなのに、重くて、おもくて、たまらなかった。
情けないと、思う。この期に及んで、まだ戸惑うのか。覚悟を決めたはずなのに。自分はクロセのように撃てるのか。クロセのように、人を殺せるのか――
「シラハ」
車の後部座席。隣で外を眺めていたクロセが、振り返らないまま静かに口をひらいた。
「お前は《
「……クロセ……?」
「俺と同じに、なる必要はない」
それだけ言って、クロセは沈黙した。
「クロセ……」
返す言葉を掛けようとして、見つけられずに、ただ名前だけが声となって落ちていった。
胸の内側で軋んでいたものが、ほんの少し、和らいだ気がした。銃は重いままだ。それでも良いのかもしれないと思った。この重い銃で、誰かを撃つ。そのときは、せめて、別の誰かを護るためでありたいと、願うことは赦された気がした。
誰かの命を免罪符にして、別の誰かの命を奪う。そんな、身勝手で、都合の良い、なけなしの正義でも。
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