Act.1-2

「わぁ! 公安との真剣勝負のカーチェイス! 痺れますね!」

 運転手は、若い女性だった。きらびやかに彩られた爪は、鮮やかなハンドルさばきを、まるでハープを奏でるかのように優雅に見せている。耳をつんざくブレーキとアクセルの音。そこに入り乱れる銃声。クラクションを押す間も与えず、運転手は車の隙間を縫い、縦横無尽に街路を抜け、追っ手を振り切るべく走り抜けていく。

「伏せていろ」

 大通りから離れると、青年は昴に短く声を掛け、後部座席の窓をあけると、腿の銃を抜いた。

 瞬間、背後で濁った音がして、リアガラスにひびが走る。

「振り落とされないでくださいね!」

 運転手が声を張り上げる。返事の代わりに、青年は銃声を響かせた。スキール音が空気を裂く。まずは一台。しかしすぐにまた、後続の車が銃弾を浴びせる。今度はトランクのどこかに数発、被弾する音がした。

「おい」

「なんだ」

「一丁、貸せ」

「なに」

「俺も出る」

 この状況で、自分ひとりだけ伏せているなんて、性に合わない。

「引っこんでいろ。お前を死なせる気はない」

「見くびるなよ。そう易々と撃たれるつもりはねぇ。それに、こういうのは、時間との勝負だろ。長引くほど、こっちは不利になる」

「お前……」

「まぁ、奴らに一発、退職届の代わりに鉛玉をぶち込んでやりたいっていうのも、あるけどな」

 わざと軽口めいた口調でそう言って、昴は笑って肩をすくめた。

「……分かった」

 青年はコンマ数秒、逡巡した様子だったが、すぐに別の拳銃を抜き、昴に投げた。

「振り落とされるなよ」

 掛けられたのは、今しがた運転手が青年に言ったのと同じ言葉。

 昴は口の端の笑みを深くする。

「ロデオは得意だ」

 反対側の窓から身を乗り出し、急接近する追っ手のタイヤに狙いを定める。

 トリガを引いた数秒後、その車は後続の追っ手を数台、巻きこみながら、街路樹に激突して煙を上げた。

「よっしゃ! 一気に三台!」

 昴はガッツポーズを決める。

「油断するな。まだ残っている」

 青年は、遥か後方を走る車に銃口を向けていた。

(この距離で撃てるのかよ……こいつ……)

 昴が驚く間もなく、響く銃声。頭を撃ち抜かれた男が助手席の窓からずり落ち、道路に転がる。さらに二発。その車から黒煙が上がった。

「……やりすぎじゃねぇか、お前」

「容赦してどうする」

 眉ひとつ動かすことなく、青年は流れるようにトリガを引いた。

「あと二台だ」

「オーケー。一人一台な」

「ああ。右は任せる」

 ほぼ同時に一発ずつ。すっかり明かりの少なくなった無人の道路に、もつれ合うように衝突した二台の車が沈黙する。

「……いなくなった」

 しばらく様子をうかがっていた青年は、辺りに他の車も人の気配もなくなったことを認めると、銃をホルスタにおさめ、おもむろに席に戻った。昴も銃を青年に返す。

「……なぜ、殺さなかった」

 銃を受け取りながら、青年は声を低めて尋ねた。

「殺さなくても、足止めできれば充分だと判断したからな」

 座席に深く座り直し、昴は答えた。

「生かしておけば、また向かってくる」

「あいつらは、ただの下っ端だろ。殺したところで、また別の誰かが補充されて、同じことをするだけだ」

 犠牲になる人間は、少ないほうが良い。

「犠牲……?」

 青年が、僅かに眉根を寄せる。

「ああ。命令を下している〝上〟の人間の、な」

 頭では分かっている。自分を殺す気で向かってきた時点で、殺すに充分、値するだろうと。それでも、殺さずに済むなら殺したくないと、昴は思うのだ。たとえ、甘い綺麗事でも。

「……昔」

 昴から視線を外し、青年はぽつりと言葉を落とした。

「お前と同じことを言った人間がいた」

「そうかよ」

 沈黙。昴は、ちらりと青年を見た。青年は静かに俯いていた。前髪が影を作り、青年の瞳は見えない。

「……死んだのか、そいつ」

「……ああ。……俺が死なせた」

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