誰が私達を殺したの?

 私の日常での些細な楽しみは会社に出勤する前に朝食を喫茶店で食べる事である。


 慌しく人が行き交う音は硝子で遮られゆったりとした時間が流れる喫茶店で決まった時間に決まった朝食を摂り新聞を広げて情報を収集する。


 不安におちいりがちな本来の性格を押し隠し仕事ができる上司を演じる為に心を落ち着かせる為の私にとってとても大切にしている時間である。


 しかし残念ながら今日は諦めざるを得ない様である。


 いつまでたっても鳴らない古い携帯電話を確認すると電源が入っていない。


 理解を拒絶する頭に強引に血を送る為に一瞬全身が収縮し息が詰まる。


 状況確認の為に本能に従った私の身体は眼球に血を送るがそれで判別できる事ではこの不安を解消できない。


 散らかされた私の部屋が見渡せるだけである。


 身体の再起動に成功した私は慌てて充電してあるスマホを見る。側から見られたのなら私は優雅ゆうがさからかけ離れた存在に見えただろう。


 いつも乗っている電車に間に合わず喫茶店に立ち寄る時間が無い事は瞬時に理解した。


 眼に血が集まり腫れぼったいがスマホを操作し最寄りの駅を検索して時刻表を調べ大分余裕がある事を確認して漸く心を落ち着かせる事ができた。


 インスタントコーヒーを淹れる為に湯沸かし器に水を入れ電源をつける。


 身支度を整えてコーヒーを淹れる時にふと風邪の時に備えて買い置きしたゼリー飲料を思い出し食品棚を漁り賞味期限が切れていないか確かめる。


 期限内であったが意外と期限は短く時間がある時に循環備蓄するか検討した方がいいだろう。


 スマホを片手にゼリー飲料を飲みダラダラと時間を潰す。


 見出しだけ目を引く記事を何件か確認してしまったが誰も結婚も離婚もしていなければ謝罪もしていない平和な世の中の様だ。


 手持ち無沙汰で時間を持て余した私はスマホを書類だらけの鞄にしまい部屋の施錠を確認し空になったゼリー飲料の容器を入り口付近に置いてあるゴミ袋に捨て家を出る。


 駅まで徒歩で行けるアパートを出て道を歩いていると違和感を感じる。


 大した時間が過ぎている訳では無いのに見慣れているはずの道の見慣れている人や物は私を置いて先に行ってしまった様だ。


 共に社会で戦う戦友を失った様な心細さを感じてしまうが私一人でも立ち向かうべく力強く歩を進める。


 見慣れている筈の駅前の大通りの見知らぬ人達の中で信号待ちをしているとふと私の名前が呼ばれた気がして駅前のモニターに目を向けると緊急の報道番組が流れている。


 何処かの横断歩道で通り魔事件があったみたいだ。


 しかし腫れぼったい眼は中々焦点を合わせてくれず詳細は分からない。


 信号が青になりスマホで確認しようと決めて仕方なく周りに合わせて歩き出すと後ろから背中を押されて転んでしまう。


 犯人を睨みつける為に車道に手を付き振り返るが既に群衆に紛れたのかぶつかった人物は既に特定できない。


 飲み物を掛けられた様だ。


 背中が濡れているのを感じる。


 憤りを感じながらも車道へ踏み出してしまった身体をとりあえず歩道へ避難させるべく立ち上がろうとするが力が入らずその場で崩れ落ちてしまった。


 喫茶店に立ち寄れず仕事ができる上司になりきれていない小心者の私は車にとって迷惑だろうなと頭の隅で考えてしまう。


 次第に背中が燃える様な熱を帯び身体の末端から生命力が抜けていく様な寒気も同時に襲い掛かる。


 アナウンサーが現場を中継する声と大きな機材を運ぶ音が掠れていく意識の中で聞こえた。


 それからやや遅れて悲鳴や救急車を呼ぶ声が現れる。


 元々腫れぼったかった瞼だが徐々にその重さに抗えなくなる。


 次はちゃんと目覚める事ができるだろうか?

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