第5話 邂逅

無事にお茶会も終わり、その上バッドエンドを回避できたどころか、レヴィアンとの仲も戻り婚約まで取り戻したベルは少し気が抜けた。

お茶会の直後、レヴィアンの父、すなわちヴォルク王国のギルバート国王陛下と改めて顔を合わした。彼はベルを受け入れる準備はすでにできていると話した。ベルはまた自分の浅はかさを恥ずかしく思い謝罪をすると、ギルバートはがははと笑い以前からレヴィアンからベルの話をずっと聞いていたと言う。

「帰省の度にこやつはそなたの話しかせぬのだ。勤勉でまっすぐで、凛とした美しさに惹かれたと。自分には朗らかな笑顔を向けるのが嬉しいとな」

「ち、父上、今お話しなくても」

ギルバートは豪快に笑い息子の頭を大きな手でぐりぐりとかき乱すように撫でた。されるがままの自分が恥ずかしいのかレヴィアンは顔を赤くしている。それでもどこか嬉しそうだ。ベルは新たな一面を見ることができその様子を微笑ましく見ていた。

「この度の騒動も、こやつが自分の手でなんとかしたいと申し付けてきたのだ。そう、その話を二週間前にヴォルク王国で受け取った。とはいえ、他国の王子が勝手に動くのを許すわけにもいかぬし、予定より早くお忍びで赴きアダム国王陛下と掛け合ったら陛下は快く許して下すった。その上に兵まで貸して下さすってなあ。短い期間とはいえ、おかげでスムーズに事が運んだというわけだ。ベル殿、愚息はそなたのこととなると向こう見ずなところがある。それも惚れ込んでのことだ。どうか末永く傍にいてやっておくれ」

「わたくしも若輩の身でございますが、レヴィアン王子をお支えしていく所存です。こちらこそよろしくお願い申し上げます」

ギルバートは目を細めて笑った。

(笑った顔レヴィアン様と同じ顔だったわ。よく似ていらっしゃるのね)

ベルは自室のテーブルでアビーのお茶を飲みながらギルバートとの話を思い出していた。お互いの家族に認められ、ベルの心はそれまで感じたことがないくらい幸せが詰まっている感覚を覚えた。嬉しくて困るなん言葉を今まさに実感している。ドキドキしては頬が赤くなり、むずむずした全身を放り出すようにベッドにダイブして足をばたつかせるなど、普段なら絶対にしない行動をとって気持ちを落ち着かせていた。

軽やかなノックがする。アビーである。ベルは急いで起き上がり、姿見の前で身なりをささっと整えてからドアを開けた。

「ユリ様!」

アビーの後ろからユリがひょっこりと顔を覗かせた。さっきまでの煌びやかな衣装とは違いユリは動きやすいピンク色のシンプルなワンピースで身を包んでいた。裾はレースがあしらわれ優美さも感じられる。

「ご、御機嫌よう、ベル様」

ユリは満面の笑みを浮かべながらそわそわしている。

「御機嫌よう、どうなさったの」

「あの、よろしければ王都のお祭りを一緒に見に行きませんか」

突然の誘いにベルは目を丸くした。それは誘われたことへの驚きというより、ゲームの中のイベントのひとつだと知っていたからである。お茶会の後に祭りを見に行くのは、エンディング直前のイベントだ。本来なら相思相愛になった相手と共にデートをしてフラワーシャワーを浴びて結婚式のようだねと再びプロポーズを受けるイベントのはずである。それを悪役令嬢(もう悪役ではないはずだが)のベルとのイベントだなんて聞いたことがない。

「陛下から許可はいただいております。宴の終わりの挨拶までに戻ってきたらよいからと承っておりますよ」

アビーはそう言って「私服の準備をしましょうか」と付け足した。

「本当ならレヴィアン様とすごしていただきたいので、出来る限り手短に済ませます。少しで良いんです。私にも時間をくださいませんか」

ユリはぎゅっと手を組んで上目遣いで首を傾げた。断る理由はひとつもないので了承し、支度が済むまで部屋の外で待ってもらった。


ユリと同じように、ベルも簡素なワンピースを身に纏い、歩きやすいかかとの低い靴を履いて出かけることにした。護衛の兵士には少し距離をとってもらいながらベルとユリは二人並んで王都へ赴いた。

ベルはレヴィアンのプロポーズの時とは違う胸の高鳴りを感じていた。一人で王都へ降りることはあっても、二人、それも同じ年ごろの同性と共に歩くなんて初めての経験だ。

暫く街を散策し、町に飾られた花々や、屋台、大道芸などを楽しんだ。

「ベル様、おなかすいていませんか?あそこからとてもいい匂いがするでしょう。お嫌いでなければ食べません?」

確かに鼻腔をくすぐる甘くて香ばしい良い香りだ。買い食いはいつもならはしたないと諫めるところだが、浮ついた心はその誘惑に勝てそうになかった。

紙でつつまれた揚げ菓子を持って二人は建物ので影が出来ているベンチに座る。

「この世界にもチュロスがあるなんて思っていませんでした」

「そうですわね…わたくしも久しぶり」

ベルは恐る恐る噛り付くとお砂糖の甘さが口いっぱい広がった。堪らずもう一口と長いチュロスを短くしていく。

ユリも食べながらベルの横顔を見ていた。その視線に気づいたベルはハンカチを口に当てる。

「やだ、わたくしったらはしたなかったかしら」

「全然!これ本当に美味しいですね」

ユリはマナーなどかなぐり捨てたように思いっきりチュロスに噛り付く。ベルは思わず笑いだしてしまった。ユリも同じように声に出して笑った。

すっかり胃袋に収まったチュロスに大満足した二人はベンチを立たないまま、人の行きかう街を眺めていた。皆楽しそうに笑っている。

「こうして皆が笑って暮らせるのはユリ様のおかげですわ。改めてお礼を言わせてください」

「もし私のおかげなら、それはベル様のおかげでもあるんですよ」

「わたくしが?わたくし何もしておりませんわ」

「そんなことありません。この世界に来た何もわからない私をベル様は親切にしてくださったじゃないですか。学校に馴染めたのもベル様がいてくださったからです。それに、もうひとつ私の方こそお礼を言わなくちゃいけないことがあります」

ユリは居住まいを正してからベルのほうを向く。真剣な眼差しにベルはどきっと心臓が跳ねた。

「私、実はそれまでにベル様にお会いしたことがあるんです」

ユリの言葉はしっくりこなかった。この世界に召喚され数日のうちに顔合わせをしたのが初対面のはずだとベルは首を傾げる。

「変なこと言ってるって思われても仕方ありません。でもどうか話だけでも聞いていただけますか?」

ユリは深呼吸をして語り始めた。

「私、この世界に来る前は特徴もない普通の女子中学生でした。毎日勉強に遊びに明け暮れて過ごす、なんの取柄もない普通の女子だったんです。そんな私の人生が一変する出来事が起こりました。その頃、私は成績が上がらないことに悩んでて、それも高校受験を控えていたから夜遅くまで勉強してて寝不足の日が増えていきました。ある朝寝坊しちゃって、お母さんに八つ当たりしながら学校の準備をして出かけました。そういう日に限って信号に引っかかるし、更にイライラしちゃって。その日は朝からテストもあったから焦っていたんです」

ベルは聞いたこともないはずの言葉を聞いても自然と想像できた。前世の記憶のおかげである。

「三つ目くらいになると、車の通りも多くはないし、特に人目もなかったから、幅の広い道路だったけど信号のない場所で渡ろうとしました。わき道から飛び出して来たバイクに気付かなかった。もうだめだと思った時に背中を強く押されたんです」

聞いたこともない恐ろしく鈍い音がした。振り返ると二人は勢いよく吹っ飛ばされ、バイクは地面を滑ってから電柱にぶつかった。頭が真っ白になった百合は何が起こったかすぐに理解ができなかった。ただ目の前にある事実が視界に映っているのに現実だと思えなかった。思いたくなかったという方が正しいかもしれない。音に反応して人が集まってきても百合はその場から立ち上がることが出来ず呆然と眺めることしかできなかった。必死に救急手当をする人や、携帯で救急車を呼ぶも人、車両を止めて道を開けている人、全て誰かがやってくれた。事故を引き起こす原因を作った百合だけが動けないでいた。

「大丈夫?あなた怪我は?」

「いいえ…私は…」

漸く出た声で、とんでもないことをやってしまったと初めて自覚した。百合は立ち上がり道路で倒れたままの人のところへ駆け寄った。

「鈴さん…」

助けてくれた人は親友、千鶴の姉だった。反抗期真っ只中だと聞いていたお姉さん。親とうまくいかなくて悪い友達と遊んでいると聞いていた。でも千鶴は自慢の姉だと言っていた。誰よりも優しくて喧嘩の強い姉だと耳に胼胝ができる程話していたのだ。

実際優しかった。親がいない時に千鶴の家で受験勉強していると、こっそり差し入れを持ってきてくれた。特にチュロスが多かったことを今でも覚えている。会う回数が増えると同じだけ話す機会が増えた。悩みにのってくれることもあった。解決方法を見出してくれるというより、寄り添ってただ聴いて受け止めてくれた。そして流行っていたあのゲーム。受験勉強の合間に親友と二人ではしゃぎながら遊んだ。その話も面倒くさがらず聞いてくれた。

その日も千鶴の家でこたつに入り勉強していた。ぬくもりすぎたのか頭が働かないと言い訳して、勉強道具の上で乙女ゲームにのめり込んでいた。二人で遊んでいたからお互いに一番好きなキャラクターを同時攻略をしていた。どちらか選ばなくてはいけない時に楽し気に言い合いを始めた。

「私は絶対レヴィアン様!婚約者とうまくいっていない悩みを打ち明けるシーンは素敵じゃない?婚約者はあくまでも義務感からの愛情だけど、聖女は初めて心から愛して心を許した相手なの。禁断の恋って燃え上がるものよ」

「ええ、すれ違ってるところにつけいるのって私は嫌だなあ。断然国王陛下アダム様だよ。彼は一途に想ってくれているもん」

「アダム様だって悪役令嬢にそそのかされて彼女の我儘を聞いてるじゃない。ただのシスコンよ!」

「シスコンって、あんたがそれ言えるう?」

「言えない」と千鶴がきっぱり言った時に二人の笑い声が重なった。

「だってお姉ちゃんは本当に心から優しいもん。悪役令嬢とは違うもんね」

リビングのドアが音を立てずに開けられた。おでこに絆創膏を張った鈴はきょろきょろあたりを見回してからこたつに入っている千鶴に話しかけた。

「ただいま…あ、百合ちゃんいらっしゃい」

「お姉ちゃん、おかえりい」

「お邪魔してます」百合はこたつから出ないまま頭をぺこりと下げた。

「…あの人は?」

「ママ?ママならまだ帰ってこないよ。それよりお姉ちゃん、寒いでしょう、こっちで温まりなよ」

こたつをめくると冷たい空気がすーっと入っていき、温すぎる足元が少し心地よかった。鈴は勧められたままにこたつに潜り込む。

「あのゲームしてるの?」

「そう!またどちらを攻略するかで二人で話してたんだ」

「あ!鈴さんに決めてもらおうよ、レヴィアン様か愛しのアダム様か」

「ええ、いいのお?」

千鶴はにやにやしてまだ答えていないのに勝ち誇った顔でいた。

「さ、お姉ちゃん、どっちか選んで!レヴィアン様か、アダム様か」

鈴は少し考えた後に小さな声で「レヴィアン様かな」と答えた。「よっしゃー」と雄叫びに近い歓声をあげた千鶴はレヴィアンに合わせて決定ボタンを押した。

「ええ、レヴィアン様なんですか!」

「そうだよー。お姉ちゃんと私は好みも似てるもんね」

「アダム様も素敵だけどね。アダム様はどちらかと姉としての共感の方が強いかも」

「納得しかないです」二人の仲の良さをまざまざと見せつけられているのでそう答えるしかなく負けた気がした。

「でも私よりお姉ちゃんの方がレヴィアン様愛は濃いんだよ」

「え、本当?」

「ちょ、ちょっと千鶴…」

「だってお姉ちゃんは聖女目線より悪役目線でレヴィアン様のことを語ってるもの。マニアックでしょ」とけたけた笑って言うと鈴は顔を赤らめた。

「婚約者目線ってこと?どうしてですか」

「うーん…もし聖女様にいじわるするくらいレヴィアン様のことが好きで好きたまらないんでしょう。それって一途ってことだよね。やり方も結果も悪いけどさ。そうまでしても諦められないのって単純に凄い」

でも私なら聖女が立ち直れないほどボコボコにしてから奪うって言った鈴は目がマジだったとユリは今でも思う。

「お姉ちゃんって案外ロマンチストだよね。そんなところも好き!」

千鶴は天板に無造作に置かれた鈴の腕に抱きつくように体を預けた。鈴は満更でもないように頭をなでてやった。

仲睦まじい二人の光景が鮮やかに蘇ったところで百合は慟哭し意識を失った。

それ以来のことは殆ど覚えていない。警察から事情をきかれたことや、親は泣いて謝っていたこと、ぼんやりとは記憶にあってもはっきりと覚えていなかった。

葬式が済み、千鶴の家に来訪が少なくなったころ、千鶴から来てほしいと連絡があった。最愛の姉を奪ってしまったことを責められると思うと怖かった。それでもここで逃げたらだめだと思い、母親と一緒にお邪魔した。

インターホンを押すと千鶴は新しい制服に身を包んで出迎えた。一緒に行こうと言っていた制服だった。百合は受験会場に行くことが出来ず、高校進学をその年は諦めざるを得なかった。

「千鶴、私…」

「とりあえず入って、おばちゃんもどうぞ」

勧められるがまま家に立ち入った。遊んでいたころと変わらない家だったが、リビングの端には、骨壺と位牌、遺影、両脇にはお花が沢山飾られていた。

その前で千鶴の母親が正座して待っており、リビングに入った百合たちを見て立ち上がろうとした。それよりも早く母はその場で膝をついて頭を床にこすりつけるように頭を下げた。百合も慌てて倣って同じように頭を下げる。

「そ、そんな風にしないでください」

千鶴のお母さんは仰天して母に駆け寄り頭をあげるようにと身体を起こさせた。

「謝っても意味がないと重々承知しております。ですが私にはそれしかできないのです。本当に申し訳ございません…」

「もういいなんて、勿論言えませんが、今日は謝っていただきたくてお呼びしたんじゃないんです。わたくしは百合ちゃんにお礼が言いたかったんですよ」

今度は百合たちが驚いた。というより意味がわからなかった。

「とりあえず、ここは冷えますし、お座布団の方でお願いします」

千鶴の母親は母に手を貸して立ち上がらせた。百合は自力で立ち上がり千鶴を見ると、千鶴は笑顔で、後飾り祭壇の方へ案内した。千鶴はその後母親に言われてお茶の準備にキッチンへと引っ込んだ。

百合と母親は鈴の遺影の前で時間をかけて拝んだ。

「ありがとうございます」千鶴の母の言葉で目を開けて、座り直し改めて頭を下げる。千鶴の母はゆっく話始めた。

「この子、本当に手の付けられないくらい乱暴者になってしまったけど、それでもわたくしたちは愛しておりました。灰汁の強い反抗期なのだと思っていずれは判ってくれる、帰ってきてくれると信じておりましたの。でもこのような結果になって、失ってから胸にぽっかり穴が開いてしまいました。今でも塞がることはないし、いつまで続くのかと思うと地獄です。だから絶対にあなた方を許さないって心に決めておりました。それを千鶴に話すと千鶴は物凄い剣幕でわたくしたちをなじったんです。お姉ちゃんのことをわかっていないのはパパとママだって。お姉ちゃんを全て正しいとは思わないけど、パパたちだってお姉ちゃんを顧みなかったと言いました。余程百合ちゃんの方がお姉ちゃんのことを愛してくれていたし、お姉ちゃんも百合ちゃんのことを好きでいたと。だから危ない目にあいそうになってた百合ちゃんを助けたんだと泣いていました。わたくし、本当にそんなつもりじゃなかったんです。自分では愛情をかけているつもりだった。でもよくよく考えれば外で働いてお金を稼いで育ててきただけで、ひとつもあの子のことを見ていなかったことに気付いたのです。それは千鶴に対しても同じだと。鈴を亡くして初めて気づくなんて本当に駄目な、母親…」

嗚咽と交じって言葉が涙にぬれた。肩を震わせて、体を起こしていることもできず床に手を突いた。百合の母親は千鶴の母親にハンカチを差し出し肩を抱くと、縋るように背中に手を回し子供の様に泣きじゃくっていた。

「私、もう誰も恨みたくないんだ」

母親たちはゆっくり話したいと言うので、千鶴の部屋で百合と肩を並べてベッドに座っていた。千鶴は天井を空に見立てるように上を向いてぽつりと言った。

「ごめんだけど、何も言わないで話聞いてくれる?」

百合は頷くと千鶴はありがとうと言って話し始めた。

「お姉ちゃんっ面倒見がいいんだよね。お姉ちゃんは自分からぐれちゃったけど、レディースの中には本当に親に見捨てられた子もいっぱい居たんだって。そんな後輩を思って、代わりに殴られたこともあったし、コンビニのホットスナックとか奢ってたりしてたんだよ。親が貯めてくれてた貯金を崩してさ。それがばれてパパは凄く怒ってさ…何に使い込んだんだって。でもお姉ちゃん言わなかった。何も言わずに家を飛び出したんだ。小さかった溝はどんどん大きくなっちゃって、パパたちと一切話さなくなっちゃった。私も今度ばかりはもう帰ってこないと思ってたけど、パパやママがいないときはこっそり帰ってきて私の話し相手をしてくれてた。百合のことも本当に気に入ってて、良い子だねってよく言ってたよ。話戻すけど、とにかくお姉ちゃんは後輩たちがいるからレディースを抜けるわけにはいかないし、でも親に心配かけていることも気にしてて葛藤してたんだよね。でも意固地になって謝ることも出来ないって言ってた。とにかく出来ることだけでもするんだって言って、遠くの町で夜中にバイトして、親が出勤したころを見計らって家に帰ってきて寝て、またでかけて、ってそういう生活してたからいつかは身体壊すんじゃないかって心配してた。事故の日もバイトから帰るところだったんだって。後からバイトしてたって親が知って驚いてたよ。えっと、ごめん、また話逸れた。お姉ちゃんああいう性格だから、危ないって思ったら体が自然に動いちゃったんだと思うんだ。だから百合じゃなくても助けたと思う。そう考えると百合のこと責めるのも変だし、バイクの人だって確認せずに突っ込んできたでしょう。なら充分悪いと思うんだよね、でもその人だってどんな事情を抱えていたかはわかんないじゃん」

天井から視線を離した千鶴は百合の手を握った。反対に床に目を落としていた百合は顔をあげると千鶴の視線とぶつかった。

「気にしないでって言っても無理な話だと思うけど、お姉ちゃんのことで人生を棒に振るような真似をするのはやめて。それから、どんなことがあっても私は百合の友達だから」

乙女ゲーの話が出来る唯一の友達は百合だけなんだからね、と言った千鶴の目には涙が光った。一筋流れると堰を切ったように泣き出した。百合も千鶴と同じ瞬間に泣き出し、二人はお互いの悲しみを共有するように強く抱きしめて声をあげて泣いた。


「覚えていませんか?」

ユリは一通り話し終わるとおずおずと訊ねた。

「つまりわたくしは、あなたの命を救ったということですの?」

「そ、そうです。そうなんです!だから私本当にあなたに会えて心から嬉しかったんです。漸くお礼と謝罪を言えるって。ちょっと怖くも有りましたが…」

ベルは大きなため息をついて頭を抱え込んだ。

「べ、ベル様!?ご、ごめんなさい、そりゃそうですよね、謝って済むことじゃないのに私ったら失礼なことを…」

「そ、そうではないのよ。わたくしほっとしましたの…」

「え?」

「死の間際のことは鮮明に記憶に残っているのです。前世のわたくしはずっと無意味な死だと苦悩しておりました。悪役令嬢に転生したことを自覚してまた恐ろしかった。妹から聞いていたゲームの結末はわたくしにはまた悲劇なんですもの…だからせめて今世では死ぬことだけは避けたかったのです。でも今は幸せだし、前世だって決して悪いものなんかじゃなかった。そう思うと急に力が抜けてしまいましたわ」

「流石前世で色んな人を救ってきた聖女…」

「今なにか仰いました?」ぼそっと呟いたユリの声は賑わいに交じってベルの元には届かなかった。

「でもどうしてわたくしが前世の鈴だとわかったのですか?見た目も全然違うでしょうに」

「そうですか?殆ど変わらないと思いますけど。あの頃も金髪に染めてたし、目もくりっとしてたでしょう。私はそこまでかけ離れた風貌だと思わないけどなあ…」

それは流石に盲目すぎるのではとベルは訝しんだ。

「とにかく一目見て、すぐにでも話しをしたかったんですが、前世の記憶、覚えていますか?なんて聞いて頭がおかしいと思われたくもなくて様子を伺っていたんです。でもキャシー様に耳打ちなさった言葉を聞いて確信しました。あの顔あの声は紛れもなく鈴さんだって!」

目をキラキラさせて喜ぶユリにベルは多少ひいた。あの言葉がまさか聞かれていたとは。

『ざまあみろ』

アルデンス卿のご令嬢ともなればあのような言葉遣いは流石に聞いたこともないだろう。いくら鬱憤が溜まっていたとはいえあれはやりすぎたと反省していた。

「もうひとつ聞いてもいいかしら」

「はい、なんでもどうぞ」

「ユリ様は、お年からすると、その後にこの世界に召喚されたということですよね。おうちの方や千鶴も心配していると思うわ。早く元の世界に帰れるようにお兄様にかけあってみますわ」

ユリはいたずらに笑った。

「心配ないですよ。実は私も転生者なんです」

「なんですって?で、ではあなたもあの後亡くなったと仰るの?」

「いえいえ、私は天寿を全うしましたよ。ひ孫にまで恵まれて大往生です。死んだはずなのに気付いたら記憶はそのままで体は若返ってるし、見たことのある世界だし、本当は凄くパニックだったんですけど、不思議と今を受け入れられています。憧れのアダム様も間近で見られてまさに嬉しすぎて『やばい』と思っています」

前世の聞きなれた言葉を使いこなすユリはひ孫までいたようなおばあちゃんの面影は一切見られない。ユリははしゃいだ声を抑えて続けて言った。

「あれから私は本当に何不自由なく過ごせました。それは家族や、千鶴と千鶴の親御さん、他にも色々な方に支えられたおかげです。千鶴も凄かったんですよ。鈴さんの意思を継ぐって意気込んで恵まれない子供たちの力になるってあの家に残ってずっと活動をしていたんです。大人になって千鶴とは離れて暮らすようになったけど、最期まで親友でいられたんですよ」

「そっか…」良かったと零したのと同時に空から花びらがひらひらと待ってベンチの上に一枚落ちた。

「花びら?」

いつの間にか夏の西日が王都を照らしていた。二階の窓から各々持っている花びらを散らし始めると、誰もが花びらを空高く舞い上げた。

「綺麗…」

西日に照らされたフラワーシャワーはキラキラと輝き風に乗って舞う。

「ささ、お嬢さん方も持って」

チュロスを売っていたおじさんが手のひらサイズの布袋一杯につめた花びらを手渡した。様々な色の花びらがつまっている。二人は顔を見合わせて花びらをそれぞれの頭の上をめがけて放る。年頃の少女のように、あの頃の姿を重ねてはしゃいだ。ベルは心の底から笑った。

「あ、あっちにレヴィアン様がいらっしゃいますよ」

ユリが指さした方向は歩きながら花びらを撒いている人や音楽に合わせて踊る人にまぎれて、背の高い巻き毛の男性がきょろきょろとあたりを見回していた。

「本当、レヴィアン様!こちらです」

手を振って大きな声で呼びかけるとレヴィアンはこちらに気が付いた。少し様子がおかしい。人混みを無理矢理かき分けてこちらへやってくる。どうしたのかしら、そんなに慌てて。

「お前のせいだ」

祭りのにぎわいに交じって深淵の声が耳に入った。くすんだ色をした男の目と合った時、時間がゆっくり進むのを感じる。ああ、あの時と同じだ。咄嗟にユリをかばうようにし男と対峙するように向かい合った。男は懐に入り脇腹に持っていた鈍い光を放つナイフを突き刺した。

反動で後ろに倒れ込む時に空に舞う花びらが映った。なんて綺麗なの…

「ベルッ!!」

愛しい人の悲痛な声が耳に響いた。

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