第2話 信頼してもよろしいの?

新年度、年度末に受けた試験も無事に受かり進級することができた。学校に残った殆どの同級生は同じように進級している。進級しなかった者の大半は女子で、大抵の理由は嫁ぎ先が決まったことだ。他にも男女問わず就職先が決まった生徒もいる。そのため人数は減っていた。

しかしそのようなことはベルも含め殆どの生徒は興味がない。興味は全て一人の転入生に向けられていた。勿論聖女ユリのことである。

「ユリ様私たちは歓迎しますわ」

「今度よろしかったら我が家のガーデンパーティーにいらしてくださらない?」

「素敵なドレスですわ。よくお似合いですこと!」

今日もランチタイムに中庭で休憩しようと二人でやってきたのだが、ベルが少し席を外している間にユリは囲まれてしまっていた。あえて割って入るのもおこがましいと思い離れた席で様子を伺っている。

編入してからというもの、連日下心を持つ者や、いかにもよいしょして褒め称える者などが我先にと関係を持ちたがりユリを囲んでいる。当の本人は中心でニコニコとしているばかりだ。

(全く、どこの世界にも下賤な輩っているものね)

二週間もたてば前世の記憶にも慣れ、ひとつの記憶だと冷静さを取り戻していた。今もユリの様子を眺めながら、レディースに居た頃のこと、あまり行かなかった学校のことを思い出していた。グループを作りたがる学校の同級生からはあっという間にはぐれ者になってしまった前世。レディースでも媚びを売って立場を確立していた奴に対して気色悪さを感じていた。知る限りそういった奴は問題にぶつかった時、大抵嘘をついて相手を貶めて難を逃れようとする。その被害にもれなく前世のベルも受けていた。今目の前にいる連中も全員とはい言わないが、そういう生き方をしていることをベルは知っていた。

「私のお父様は貴族院に席をおいていますのよ。是非ユリ様にもこのパーティーにいらして欲しいわ!」

おっといけない。キャシーだわ。彼女の父親のアルデンス卿といえば反王家主義の一人だ。先代までは真面目で冷静な目をもち、政治に対しても真摯に取り組んで善悪をわきまえていた。ところが彼女の父親が当主になってからというもの、極端な考え方を押し付けて議会でも強引な理屈を通そうとするものだから、忌み嫌われている。国としてはすぐにでも切り捨てたいところだが、腐っても先代までずっと王家を支えてくれた貴族だ。多額の出資もしてもらっているだけに扱いが難しいのである。

「どきやがれ!ブス共!」

取り巻きの令嬢を乱暴に押しのけて「聖女に近づくな、下種」とキャシーの胸倉を掴み放り投げてしまえばいい…前世のベルだったら。しかし今ではそうもいかない。

「それはいつのことですの?」

「べ、ベル王女…」

ベルが声をかけると、取り巻いていた女子学生たちはベルのために道を作るように両脇に退いた。ベルは優雅にその道を歩きキャシーに近づいた。ユリはベルを見て表情がぱっと輝いた。それなりに困っていたらしい。

「それで、そのパーティーはいつおやりになるの?」

「さ、三週間後の日の曜日ですわ」

「まあ…そうですの。でも残念ですわ。日の曜日は結界の祈りがございますの。お誘いはユリ様も嬉しく思われているでしょうが、ユリ様もまだこちらにいらして一月も経っていないでしょう。色々慣れないこともございますし、暫くはそっとしてさしあげて」

ベルは手を差し出すとユリは迷わずその手を取った。

「そろそろ午後の授業が始まりますね。先に教室へ向かいますわ。では皆さま、御機嫌よう」

彼女たちは呆気にとられながらもそそくさと背をみせたベルに「ご、御機嫌よう…」と取ってつけたかのような挨拶を返した。

「べ、ベル様ぁ!ありがとうございます。助かりました。私どうしたらいいのかわからなくて。簡単に引き受けても駄目だし、とはいえ無下に断るのも申し訳ないと思ったら何も言えなくて困ってしまって…頭も真っ白になってたんです」

「あら、お邪魔でなかったの?」

「邪魔なんてとんでもない!それにベル様が仰ったようにまだ慣れないことも沢山あって自分のことでいっぱいいっぱいなんです。早く聖女の務めもちゃんとこなせるようになりたいし…」

実際ユリは頑張っているとベルは思う。この世界に来てから日々の生活はがらっと変わったはずだ。聖女の務めである祈りは毎日あるし、結界を張るための術の訓練に明け暮れている。平日の日中は世界の事柄を知るために学校へ赴き、休日も令嬢としてのマナーを覚える日々だ。生活に慣れた頃には社交界のデビューが待っている。ちょっとしたパーティーなんか出られる暇もないのが実情だ。

「その志はご立派です。でも断る勇気も必要ですよ。出来ないことは出来ないとはっきり仰いなさい。あなたが断っても咎める人はいないのだから」

国王程ではなくても、あらゆる権限をもった聖女だ。彼女に比べたらその辺の貴族など取るに足らない存在である。現王の妹であるベルだって彼女が何かしら命令をすれば逆らえない。

そうだ、逆らうことなんてできない。もしユリがレヴィアンを気に入れば、ベルの婚約を解消させることもわけないのだ。嫌な考えは心を凍り付かせる。まだ見ぬ未来のはずが、結論だけが確かに見えていた。憂いの種が芽生え始めている。

「でも角がたちませんか?」

「勿論、権力を傘に好き勝手言うのはいただけません。だからこそやんわり断る術を持つことです。今は無理でもゆっくり身に着けるとよろしいのです」

「はい!」

全身で信頼していると言うように満面の笑みを向けるユリに前世の妹が重なった。

(私はこの子を信頼なんかできない。レヴィアン様を奪うかもしれないこの子を)

ぎゅっと唇を結びながらも口角を無理矢理上げ、私はあなたの味方だと示した。


夕方、王城の自室で読書に耽っていると、アビーのダンスでも始まるようないつもの軽快なノックがする。

「どうぞ」

「失礼します。ベル様、お客様ですよ」

「こんな時間に?約束なんてしていたかしら」

「ふふふ、レヴィアン様ですよ!」

誰よりも嬉しそうにアビーは言った。まるでベルの心を見透かしたような笑みだ。冷静さを装ってはいるものの、本当は飛び上がるほど嬉しいのである。顔には出さないが心拍数は正直に反応し早鐘を打っていた。

「ま、まあ…どうなさったのかしら」

「どうします、お部屋に通しましょうか?」

「ええ、そうして頂戴」

畏まりました、と恭しくお辞儀をして廊下を跳ねるように歩いて行った。

「どうしましょう。レヴィアン様がいらっしゃるなんて!」

ベルはベッドは乱れていないか、テーブルに不要なものは置いていないか部屋の中をちょろちょろと駆け回り確認する。

暫くするとまたノックが鳴った。ドアを開ける前に姿見で髪の毛がほつれていないか、衣装に汚れがないか凝視してから、ドアに駆け寄った。ひとつ咳払いをしてから開ける。

「ご機嫌よう、レヴィアン様」

「急にお邪魔をして申し訳ございません」

「いいえ、あなた様ならいつでも歓迎いたしますわ」

「そう仰っていただけると胸を撫でおろす思いです」

「ではごゆっくりなさってくださいねえ。すぐにお茶をお持ちします」

アビーは二人が部屋に入るのを見届けてドアを閉めた。始終機嫌よく楽し気だった。

「どうぞお掛けになって」

手で椅子を指し示すとレヴィアンは軽く頭を下げてから腰をかけた。ベルも向かい側に座る。

レヴィアンは何も言いだそうとせずただじっとベルの顔をみつめてきた。

(なにかしら、も、もしかして顔に何かついてる!?)

あれ程鏡で確かめたのに見落としがあったのだろうか、姿見に目をやったが、此処からでは顔どころか体も映らない。

「思ったより元気そうでよかった」

「え?」学校でも挨拶をしたのにとベルは首を傾げた。

「聞きましたよ。昼は大変だったようですね。キャシー嬢をやり込めたと噂になっていましたよ」

「や、やりこめただなんて…ただユリ様を無理にパーティーに誘おうとなさってたから止めただけですわ」

なんだか話に長い尾ひれがついている口ぶりに困惑した。言葉だってきつくなかったし、恥をかかせないように充分気を付けたつもりだ。それをやりこめただなんて、一体どんな噂がたっているのだろう。

「でしょうね。あなたがそのようなことをするはずがないと思っていました。ただらしくない噂が学校中を走っていたからすでに耳に入っているのではないかと思って心配しておりました。もし入っていなくてもいずれ知るのなら私からお伝えしたかったので参った次第です」

レヴィアンは目を細めた。たかが二年かもしれないが、その二年の間、お互いに信頼を交わしてきたことにベルは自信をもっていた。こうしてあらぬ噂もレヴィアンが言うように彼から聞くほうが幾分か平静さを保てる。

「お心遣い痛み入ります。その噂はなんとなく想像がつきますわ」

恐らくキャシー本人、もしくは取り巻きが流した噂だろう。王立学校に入学して以来、何度かそういうことがあった。彼女の父親が王家を毛嫌いしているように彼女も同じ考えなのだろう。ベルにとってもキャシーは煩わしい存在だ。今までも何度か彼女とぶつかった経験がそう思わせる。キャシーが間違ったことしていると咎めれば、ベルが王族の身分を使って自分を貶めたと吹聴し、学校の用件で男子学生と少し話をしただけで、婚約者がいる身分ではしたないと罵られる。それも手を触れただの、密着していただの作り話を添えるものだから厄介だった。あまりに酷い噂が立った時は教師から直接叱られたようで、暫くはなりを潜めていた。

「近頃は関わることもなかったのですっかり油断しておりました。明日から改めて気を引き締めなくてはなりませんわね」

「あなたの責任ではないのに、なんともどかしいことです」

レヴィアンはすっと立ち上がった。そしてベルの傍で片膝をつきベルの手をとって手の甲にひとつキスを落とした。

「私にできることならなんなりと仰ってくださいね」

「お気持ちだけで充分嬉しいですわ。今はわたくし一人でも大丈夫です。わたくしはあなたが想ってくださるだけで百人力を得たと同然なですの」

「私にそこまでの力があるとは。流石に買いかぶりです」

「いいえ。本心ですわ」

「あなたはお強い…元気づけるどころか元気づけられてしまいましたね。でも忘れないで。あなたが望めば私はなんでもします。花が欲しいと仰るなら世界で一番美しい薔薇を、宝石を望まれれば、世界で一番輝きを放つ宝冠を、国を出たいと仰るなら今すぐにでも国に連れ帰ります。ってこれは私の望みか」

レヴィアンは恥ずかしそうに眉を下げて笑った。ベルはぽかんとしていたがすぐに吹き出し声をあげて笑った。

「そ、そんなに面白かったでしょうか」

「きっと、きっとよ。私をあなたの故郷に連れて帰ってくださいましね」

二週間、心を占めていた不安はレヴィアンの言葉で突風の様に吹き飛んだ。

二人のやり取りが終わるのを見計らったかのような丁度いいタイミングでノックが鳴った。アビーの行き届きすぎる心遣いは感服の至りである。


それから暫くはベルとユリは学校で殆ど離れることはなかった。時にはレヴィアンを交えて昼食をとったり談笑したりすることもしばしばあり、ベルの心中は穏やかさを保っていた。レヴィアンの言葉はお守りとなり乙女ゲームのことは頭の隅っこに追いやられていた。困ったことがなくなったわけではない。前世の記憶に翻弄されることがしばしばあった。具体的には時折前世の悪い言葉遣いだけがぽんっと思い出され、口にしてしまうのではないかとハラハラしていた。

(今のわたくしとは違うわ)

何度もそう言い聞かせても、決して記憶が消えるわけではない。蘇る一方である。今までなら噂好きの令嬢たちを冷ややかな気持ちになるだけだったのに、前世のベルは「群れてんじゃねえぞ」と口汚く罵り、ユリに近づく不届き者(とは言ってもただの学生だが)に対しては「汚ねえ手で触れてんじゃねえぞ」と毒つく。酷いときにはベルがレヴィアンと仲睦まじく話している時ですら「いいご身分だな!」と自分自身にすら悪態をつく始末だ。

前世に翻弄されている一方、ユリはというと、順調に聖女の力を使いこなせるようになっていた。崩れかけていた結界を張りなおし瘴気はすっかりおさまったのである。正式にアダムからそのことを発表されると王都を始め世界中で聖女ユリを讃えた。

学校でもすっかりなじんで、ベルの他に仲のいい友達が出来て、以前よりも自然体で過ごせるようになっていた。その頃にはベルはお役御免だと少し距離を取るようになっていた。それでも登下校の馬車は共に過ごしているし、ランチの時間も毎日ではなくても時々一緒に食べることもあり、仲の良い友達のような関係でいた。ベルはこのままなら悲惨な末路はないと安心していた。

そんな平穏もいともたやすく崩れ落ちたのは、またもや噂が流れたからである。

「最近、聖女様とレヴィアン様って本当に仲がよろしいのね。お二方とも可愛らしいお顔立ちだからとてもお似合いだわ」

一番恐れていた噂だった。

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