悪役令嬢はヤンキーの記憶に翻弄される
桝克人
第1話 蘇る記憶
嘘だろ…
こんなところで終わるなんて聞いてねえよ。半年前レディースの総長になったばかりだってのに、もう終わりだなんて信じられねえ。喧嘩では殆ど負けたことがないのに交通事故に遭うなんてダサすぎじゃね?
「頑張って!もうすぐ救急車くるからね!」
「まだ来ないのか?」
「もう早く早く」
うるせえよ。喚いてないで助けるなら早く助けてくれよ。こんな結末絶対お断りだ。
「どうしよう…血が止まらない」
「誰か医療関係者は居ないか!?」
「とにかく傷口を抑えて!」
ええ…不吉なこと言ってんじゃねえよ。なんでだよ。こんなに体も…痛く、ない。これってヤバいんじゃねえの?もう助からないんじゃねえの?
あ、走馬灯が見えて来た。くそっ十四歳でグレてレディースに誘われて、二年でトップまで上り詰めたんだ。これからが華だって時に。
去年死んだばあちゃんが言ってたなあ。走馬灯は映画の様だって、長生きすればするほど長い映画を見るようなものだって。それが楽しみだから死ぬのは怖くないって笑ってたなああ。じゃあ十六歳で死ぬあたしは短編映画みたいな長さなのかな。それともドラマくらい?アニメくらい?もしかしたら天気予報くらいの長さしかねえんじゃない?
ほら画面変わった。クソ親父とクソばばあだ。会うたびに怒鳴ってきやがった。ばばあに至ってはもう関わりたくないのか、あたしの顔を見る度にびくびくしやがって。中学上がって成績が落ちたくらいで怒られたんだっけ。あとあれだ、なんだっけ…もう忘れちまったな…どうでもいいや、どうせあたしが死んでも悲しまないんだろうしな。
なんか死んでもいい気がしてきた。あいつらとおさらばできるならこの世なんかクソくらえ!
また画面変わった。四歳くらいかな。随分端折られたけど。そうだ。妹が生まれた時だ。すんげえ小さくて、生まれたての赤ん坊が埴輪みたいであまり可愛くなくて泣いたんだっけ、あたし。でも数日もしたら顔も色白で可愛くなった。
そうだ、妹…あの子だけはいつもあたしの味方をしてくれた。グレた後もお姉ちゃんお姉ちゃんって気にかけてくれたんだよね。喧嘩して怪我した時も、手当しながら「お姉ちゃん強いんだね」って笑ってた。咎める言葉なんて言わなかった。ひとつだけ「元気でいてくれたらいい」って母親みたいなことも言ってさ。あたしの可愛い妹…
「ちづ…」
それっきり、あたしの視界は真っ暗になった。
ここは聖王国リンデン。三十年前の大戦に勝利した後、国境の小競り合いは多少なりともあるが、平和な暮らしが続いている。自ら戦場に赴いた国王__当時の第一王子グラディウスは、聖女と共に前線で戦い相手方の首をとった武勇伝を持つ。王座についた頃には剣王と呼ばれていた。当時の聖女は彼の妻となったが二年前に病で倒れ息絶えた。グラディウスは悲嘆にくれ後を追うように一年後亡くなった。
次の王はグラディウスの第一王子アダムが即位した。アダムはグラディウス程の実力があるとは認められていないが賢王と呼ばれた。就任して期間は短いがそれなりに国を治め、それなりの平和を保っている。少なくとも国民が食べるのに困るような国政は敷いていない。
しかし民衆はひとつだけ大きな不安を抱えて生きていた。先代の聖女が召されてから次の聖女が降臨されていなかった。リンデン王国は聖女の力によりどこからともなく溢れ出す瘴気を抑えている。このまま放っておくと瘴気は民衆に牙を剥き、病を引き起こしたり、魔物を狂暴化させたり、酷いときには人間の姿形を魔物へと変貌させるという。聖女がいない今いつ自分に降りかかってもおかしくないのである。それを知った他国は、今ならリンデン王国に戦争を仕掛けられると手ぐすねを引いている状態だ。そのためアダムは聖女の降臨を一刻も早く、そして誰よりも望んでいた。しかし召喚士は一向に良い返事をくれないので苛立ちは募るばかりだった。
そんな国王には何人も兄弟がいる。弟たちは成人して国のために働き、妹たちは他国へ嫁に行き、架け橋となっている。残された末の妹だけが王城に残っていた。そのグラディウスの第四王女ベルは朝方から鏡の前で一人呆然と立ち尽くしていた。
「なんてこと…」
一昨日から酷い頭痛に悩まされ、宮廷医師を始め、薬師、魔術師、呪師、あらゆる手立てを尽くそうと国王の命令ひとつで集められた。しかしどれもベルには効かなかった。
「ゆっくり眠ったらきっとよくなるから」そう言って宮廷医師と薬師以外をひきあげさせた。一言「彼らは何も悪くないから」と付け加えて。そう言わないと兄弟たちを深く愛する国王から役立たずの烙印を押され首をはねられる可能性もあったからである。恐らくベルに万が一のことがあればどうなっていたかはわからない。
終日悩ませた頭痛は夜明けにはぱったりと止んだ。頭はぼんやりとしていたが、医師たちに報告をして一人にしてもらった。きっと寝不足のせいだともう一度ベッドに潜り込み、気付けば昼前。こんなに寝坊をしたのは何時振りかしらと起き上がり鏡の前に立った。それが今である。
鏡に映るのは確かに昨日までの自分だ。シルクのようななめらかでまっすぐ伸びた金色の髪、アメジストを思わす青紫色の瞳、陶磁器のような白い肌、紛れもなくベル・リンデン・ラングウェルだ。
(私で間違いないのに私じゃない!)
自分でも何を言っているのかわからなくなる。しかしそうとしか言いようがなかった。一晩で別の人格が意識を共有しているのだから。レディースの総長、見覚えのないはずのバイク、人生最期の記憶。
「これが異世界転生ってやつなの!?」
妙な言葉が口をついた。それは恐らく前世と思われるもう一人の人格の記憶だ。彼女には妹がいた。天真爛漫な妹の趣味はゲームだった。それもイケメンに囲まれる乙女ゲー。前世のベルはそういったものに疎かったが、妹が楽しそうに話すのである程度の知識はあった。今のベル・ラングウェルは乙女ゲーム世界のキャラクターであることを思い出した。でも主人公は別にいる。それが異世界から召喚される予定の聖女だ。ベルは聖女を苛め抜いて投獄される結末となる。
「わたくしがどうして…!」
これは夢よ、夢だわ!もう一晩眠ればきっとなかったことになる。まだ気分が優れないとか適当な言い訳をして休みましょう。そそくさとベッドに戻ろうとしたとき、小気味のいいノックが鳴った。
「失礼します」
いつもの要領で思わず「はい」と返事をしてしまい口に手を当てたがすでに遅かった。了承を得たメイドはドアを開けて入って来た。
「まあ、ベル様!起き上がれましたのね!」
小柄な年老いたメイドは小さな眼鏡からはみ出すほど瞳を大きく見開いて涙を浮かべて駆け寄ってきた。
「ようございました。アビーは心配で心配でたまりませんでした」
「心配かけてしまいましたね…」
「ええ、ええ!でも聖女様に祈った甲斐がございました!おかげでこのように…いえ、顔色が優れないようですが。やはりまだご気分が悪いのでは!?」
アビーは背伸びをして顔を近づけた。そしておでこに手を当てて熱を測ってみせる。
「熱はないようですが念のためにお医者様をお呼びしましょう!」
「いえ!結構です」
「そうでございますか?」
本当に?本当に?と何度も確認をとるのでぴしゃりと「問題ありません」と言うとアビーはにっこりと笑って「かしこまりました」と言った。
この心配性のアビーはベルが生まれた時から仕えてくれている専属の侍女である。聖女だった母親よりも近しい存在で母親代わりでもある。ベルは誰よりも信頼し慕っていた。同じようにアビーもベルを本当の子供のように可愛がってくれている。
「それでは陛下にも元気になられたとお伝えしてもよろしいでしょうか。随分心配しておられましたよ。例の件の日にちも押していると仰って、やきもきなさっておいでです」
「ええ。勿論…」
そう言ってからまた手で口を覆う。いけない。アビーのいう例の件が想像している通りなら、これが乙女ゲームの始まりである。
「では、そのようにお伝えしてまいります。お食事の後精一杯おめかしをしましょうね。腕が鳴りますよ!」
手を伸ばして待ってと制止する間もなく、ふふふと笑ってアビーは部屋を後にした。
「わたくしの馬鹿!例の件といえばあのことじゃない!」
例の件———聖女召喚の儀式が成功すれば、暫くは貴族が通う王立の学校に編入させる予定になっている。すでに在籍しているベルは共に通うことを命じられていた。記憶を取り戻す前のベルは、快くそれを引き受けた。王国にとって聖女は陛下の次、ほぼ同等の権力を持っていると言っても過言ではないほど大切にされる。その大事な御身を守る栄誉が貰えたと自負していた。
記憶を取り戻した今となってはそれも投獄までのカウントダウンでしかない。
(今からでも断れないかしら)
陛下の顔が目に浮かんだ。もし断ってもアダムなら「残念だけどベルが嫌なら構わないよ」と少し困りながらも了承してくれるだろう。アダムは兄弟を優先しがちだから多少我儘を言っても許してくれる。
でも一度引き受けたものを断るのはどうにも納得がいかなかった。まるで逃げるみたいな真似ができるものか、と叫んでいる。これはもしや、前世の記憶のせいだろうか。鏡に映る自分の姿を見た。
(いいえ!わたくしはグラディウスの娘、第四王女ベル・リンデン・ラングウェル。前世なんて関係ないわ)
妙な記憶に引っ張られる自分に喝をいれるように両手で頬を叩いた。
———こんなこと生まれて初めてしたわ。
青ざめていた顔が更に血の気を引いたのは言うまでもない。
昼食を兼ねた遅い朝食を終え、アビーにされるがままに薄化粧を施され、一番お気に入りのドレスを身に纏い、髪を結いあげて銀の髪飾りをさし、謁見の間へと赴いた。
「お兄様…陛下にご挨拶を差し上げるだけなのに、こんなにめかし込む必要はあったかしら?」
必要以上に飾られたことで妙な気分だ。こそこそとアビーに耳打ちをして訊ねると「当然です」と自信満々に答えられた。
「王女殿下、お待ちしておりました」王城のなかで一番大きく煌びやかなドアの前に立ち塞がった騎士は敬礼をした後、門を開けて二人を通した。
天井の高い謁見の間には何度も来ているはずなのに、まるで初めてみたかのように見上げてしまう。天井は色彩豊かな絵画が施されている。この国に聖女が降臨された時の絵が描かれていた。
「おや、初めて見るような顔をしてどうしたんだい。ベル」
王座に座ったアダムは細身の体格に似合わないお腹に響くような低音で優し気な声でベルを出迎えた。
「も、申し訳ございません!こ、国王陛下!ぼんやりしておりました」
「ぼんやりとは、しっかりもののそなたにしては珍しい」
アダムは立ち上がりベルに近づいた。ベルはドレスを持ち上げて腰をさげる。
「畏まらないで。ここにはなじみの顔しかいないのだから。それで、アビーから体調は戻ったと聞いたけど、どうなんだい。顔をよく見せてごらん」
ベルは言われるがままに顔をあげると、アダムはベルの頬を両手で軽く支えて顔を動かした。正面、右から、左から、そしてまた正面と戻し、堪能するかのようにじっくりと見つめた。ベルは顔が赤らむのを抑えきれなかった。
「うん。アビーから普段よりも白い顔と聞いていたけど、思ったより悪くない。頭痛もなくなったかい?」
「はい。陛下が色々手配してくださったおかげです」
「兄として当然だよ。さて、今日来てもらったのはかねてよりお願いしていた件だ」
アダムは王座の方を振り返った。
「こちらに来てくれ」
ベルは天井ばかりみていたものだからそこに誰かがいることに気付かなかった。
「へあ!?」その人を見て思わず素っ頓狂な声が出て自分で驚いてしまう。
「ご機嫌いかがですか、ベル王女。年度末のパーティー以来ですね」
「レヴィアン王子!?」
物腰の柔らかいレヴィアン・ヴォルクがまさか謁見の間に訪れているとは思ってもいなかった。ベルはアビーを見ると彼女はしてやったりと満足げな顔をしている。道理で念入りにお洒落をさせるわけだ。
レヴィアンは他国から留学生としてリンデン王国にやってきた。そして彼はベルの婚約者でもある。卒業した後にベルはレヴィアンの国へ嫁ぐことが決まっている。王家の人間として嫁いで他国との絆を深めるのは当然の使命だと思っていたので幼少の頃からどんな相手でも構わないと覚悟していた。二年前、母が亡くなる直前に決まった縁談の日を今でも忘れられない。初めて見えた時の胸の高鳴りを鮮明に思い出せる。レヴィアンの栗毛色の巻き毛やエメラルドグリーンの瞳、落ち着いた佇まいにほだされるような微笑みに見とれてしまった。つまり一目ぼれをしたのである。レヴィアンもベルの凛とした佇まい、優雅な仕草、時折みせる年相応の可愛らしさに惹かれていると語ってくれたことがある。二人は出逢うべきして出逢った運命の相手なのだと思った。今日この瞬間までは。
「そしてこちらが待ちに待った聖女だ」
レヴィアンの後ろに隠れていた少女は緊張した面持ちで、慣れない靴を履いているせいかふらつく足元に注意を向けてゆっくりとやってきた。見慣れた黒髪で焦げ茶色の瞳、いかにも日本人らしい顔だ。
「は、はじめまして。遠藤百合、あ、そうじゃなくて、ユリ・エンドウと申します。よろしくお願いします」
おへそあたりで手を合わせ、頭を深々と下げて挨拶をした。令嬢とは程遠い振舞いはベルならば苦笑してしまうところだ。しかし前世の記憶を持った今では見慣れた光景である。
「こちらこそよろしくお願いしますね、ユリ様」
大人の対応、大人の対応、そう言い聞かせて優雅に貴族の挨拶をしてみせ、頭を少しだけ下げた。気を付けていたけれど彼女の名前を呼ぶ時は少し震えていたかもしれない。だって彼女は乙女ゲームのヒロイン、そして婚約者のレヴィアンは攻略キャラクターの一人だ。もし彼を選んだら、その時正気を保っては居られる自信がない。一歩一歩破滅の道へと進んでいる気がしてならなかった。
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