慣れるしかない
五分後、部室には野性味あふれるカモミールの香りが広がっていた。
ここ最近、ティーセットの用意は楠、水汲みと電気ケトルは方波見、付け合わせのイチゴ摘みが僕、練乳片手にスマイル待機が夏目と、不満だらけの役割分担ができ上がっていた。
産地直送三分のイチゴはすでに白く塗装済み。もはや文句を言う隙もなかった。
「練乳は人類の英知だよね」
「イチゴの栽培技術の方でしょ」
緑のへたを白い小皿へ放り、実を口に入れる。酸味と甘みが一度に広がり口の中がイチゴ一色に染められる。売り物とまではいかないまでも、口からあふれるこの風味に文句を言われる筋合いはない。草の香り満天の薄いハーブティーにも合う。
「どうせなら全部ジャムにしちゃえば。ロシアンティー風で」
まだ甘みがたりないか。
「ジャム一瓶作るのに必要なイチゴの量知ってる?」
「知らない!」
「ボール山盛りくらい」
「……I see」
ジャムを買うときは農家の皆様に感謝。
「それにしても、テスト多いですよね」
楠はコーヒーチェーンのロゴ入りマグカップを両手で持ち上げ、息を吹く。
「教科書やら単語帳やら、かばんめちゃくちゃ重いですよ」
このなんちゃって進学校はとにかく勉強にうるさい。中間・期末テストはもちろんのこと、毎週末に一年生は二十問の単語テスト、二年生はイディオム(英熟語)のテストがある。そのため、教科書以外でも各種参考書を携帯しなければならない。
そして今週のテストは明日である。
「まあ、とりあえずは来週のテストでいったん終わりになるし」
「でもそれって中間テスト前だからですよね。結局勉強からは逃れられない」
「学校的には逃す気ないんだろうね」
楠もイチゴに手を伸ばし、小ぶりな実を頬張る。とろんとした目が一瞬見開かれ口角が少し上がる。
その表情好き。
「でも、勉強するうちにだんだん楽になってくるよ。fortune幸福を覚えれば、変形バージョンでmiss-fortune不幸、fortuna-tely幸運にも、とか覚えられるし。単語同士の組み合わせでできているやつ多いから」
「それならまだ希望がありますね!」
後輩の笑顔はなによりだ。
「でも茅野先輩、これ全部覚えてます? 前にテストした単語なんかどんどん忘れていきそうな気がするんですけど」
差し出されたテキストをパラパラめくる。見たくない現実が広がっていた。
「ヘイ、夏目パス」
夏目に渡そうとすると、両手を前に全力で拒否された。
「やめて、過去は振り返らない主義なの」
おい、特進クラス。いやまあ、自分も人のことは言えないけれど。
「復習は大切だよ」
テキストを受け取る楠の顔は複雑だった。
もう一人の後輩の方波見はというと、カップを持ったままぼーっと水面を見つめている。
「方波見、元気か?」
「ああ、はい!」
居眠り中に先生に指名されたような顔になる。
いや、寝ててもいいよ。
「疲れた?」
「大丈夫です。大丈夫ですけど……」
「けど?」
「いや、その……。やっぱり、大変っすよね。毎週単語テストやって、中間テストやって、また単語テストやって、二年になってもそれが続いて、三年になったら受験勉強一色で」
マグカップを少し口に当てる。やはり味はしない。苦い草の香りばかり広がってくる。
「……まあそれは、慣れるしかないかな」
方波見はそっぽを向いて笑った。気の抜けたといえばいいのか、目に光がないといえばいいのか、いずれにせよ方波見が初めて見せた表情だった。
その後またパラパラとテキストをめくり、予鈴前には解散となって、僕も自転車にまたがって帰った。
家に着き、風呂に入り、夕飯を食べ、寝る前にまた復習。とはいっても、たいして集中できそうになかったのですぐに寝ることにした。
そして、いったい何度目だろうか。方波見の顔を思い出した。
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