ナガミヒナゲシ(前編)
朝練?
太陽をはね返すような真紅の果実も一週間でシワとくすみが目立つようになった。うん、これなら大丈夫。
ゴールデンウィーク前に意気揚々と部室へ持ち帰った実は、キレイな見た目とは裏腹に、口の中で生臭い無味の水を吐き出した。
精一杯気を使ったであろう後輩達も僕と視線を合わせてくれず、同級生の夏目は、バカみたいに酸っぱいとかならまだネタにもなるのにね、と皿の上を練乳の山にした。
あんにゃろう、今日こそは、今日こそは……。
「先輩、水菜とカモミールの水やり終わりました。次はイチゴですか?」
快活な声が夏目への呪詛を解いた。
新入部員の方波見は浅黒い顔でじょうろ片手に満面の笑みを浮かべていた。海の家のバイトが似合いそうである。ただ、ここは学校であり赤いネクタイにブレザー姿のため、スポーツ選手が背広で式典に出ているような違和感があった。
「オーケー、このプランターからお願い」
合点承知、と言ってはいないが、そんな勢いで方波見は砂利道の上に並べられたプランターに水をやっていく。
「植物の種類によっては水の好き嫌いはあるけど、プランターでそだてるようなものなら基準はほぼ同じかな。表面の土が乾いたらたっぷりとあげる、その繰り返し」
「藁が敷いてありますけど、これは?」
「それは虫よけ。イチゴの実が土に触れると土の中の虫に食われちゃうから。あと、濡れると病気になりやすいから、水やりは地面にね」
「なるほど!」
メモメモとうなずく方波見。
純粋に眼を輝かせてくれるのはありがたいけれど、わざわざメモを取ることもないのに。うちの部では卒業するまでにそのメモ帳の半分も埋まらないだろう。
「他にも何かポイントってありますか?」
「うーん、できれば植物が活動を始める前、朝に水をあげるのが理想だけど」
「じゃあ、水やりは朝のホームルーム前とかがいいんすね」
朝練?
「まあ、ほどほどにね」
方波見は嬉しそうにペンを動かす。すぐに僕に訊くこともなくなるだろう。それどころか、僕よりずっと詳しくなってしまうかもしれない。
「そんなにわざわざ書くことでもないよ」
「いえいえ、俺のせいで枯らしてしまったら申し訳ないっすから。いっぱい勉強させてください」
これは僕が一年で失った輝きだろうか。いや、最初から持ち合わせていなかったような気がする。
「中学は野球部って言っていたけど、体動かしたくならない?」
「たまに走ったりしてますよ。でも医学部めざしてるんで、部活はここと塾にしました」
まぶしくて直視できなくなってきた。
なんなのこの子。進路も特に決まらず、部室でダラダラしている自分が悲しくなってくる。くそ、現実を見るのは良そう。
「こっちのオレンジの花も水やったほうがいいんすか?」
方波見が指さす先にはチューリップを二回りほど小さくしたような淡い橙色の花が咲いていた。砂利のわずかな隙間からニョロニョロと数本の茎や葉ををのばす姿は生命力にあふれている。
よしよし、ここで先輩モードにスイッチ。
「それは勝手に生えてきた雑草。ケシの花の仲間で名前は……」
「ケシって麻薬の?」
方波見は、ひぃっと口元を引きつらせる。表情がころころ変わって、見ている分にはとてもおもしろい。
「種類違うから麻薬作れるような成分はろくに入っていないと思うよ、多分」
河川敷から街路樹のわきまで、どこでもわんさか生えてくる雑草だから、そんな危険はないだろう、多分。
「それより、そろそろ終わりにして部室帰ろう。温室の水やりはまた明日教えるから」
「ああ、例の……」
その時の方波見の目は僕に似ていた
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