アブラナ(後編)

自己紹介(先輩の場合)

 数か月ぶりに自分以外の人間が入れたお茶を飲んだ。

 おいしいと言えばウソになる。

 草の香りがとても強く、ふんだんな渋みと苦み。カモミールティーという優雅な響きの飲み物であったことを忘れるほど、一口目のパンチが強い。いつもより二杯多めに杏子ジャムを入れた。

 園芸部の部室は久しぶりに手狭な空間となっていた。もともと僕の部屋とたいして変らない広さだが、出入りする部員も三、四人だから狭さ以上に寒々しさが勝っていた。

 でも今日は久々にこの部室を窮屈だと感じる。

 二つ並べた長テーブル回りには二人の新たな住人がいる。

 違和感、緊張。数週間前に二年生の教室へ移ったときの気持ちがよみがえる。新歓のころと違いこの状態が今後も続くのだ。

 そんな僕の感傷など知ったことではない夏目は、目が痛くなるほどのウキウキオーラ全開で、来賓用の高級紙コップを二つ差し出した。

「二人も自分用のマグカップ持ってきてね。それ以外も私物の持ち込み自由だから」

 どうでもいいけど、その紙コップ残り少ないから買いたしておいて。

 楽しくて仕方がないのはよくわかるが、これがいつまでもつのだろうか。偉大な教訓に敬意を払い、三日と予想しておこう。

 一方でお茶を渡された二人の反応は分かれる。

「了解っす。ウチ探してきます」

 僕の隣に座る一年生A、リンゴジャムは前に来たときよりもよそよそしかった。瞳の輝きはそのままだが、右見て左見て上を見てと、一度来たことのある場所だとは思えないほど挙動が定まっていない。それでもぶんぶんと振られるしっぽが見えるのは、愛嬌と興奮がはちきれているせいだろう。

「私も帰りに駅前のお店よってきますね」

 左斜め前、夏目席の隣に座る一年生B、マーマレードは少し余裕を感じる。多少胸元の緩んだワイシャツにシルバーとピンクが目を引く胸ポケットのペン。入学したてとは思えないほど、校則の範囲でできるおしゃれがよくわかっている。ただし、いくらこなれているようでも、深い黒髪黒眼や背格好のせいで少し背伸びをした小学生のようにも見えた。

 ふと、マーマレードと視線があってしまい、無理矢理夏目の方を見る。

 直後に逃げた後悔が腹からギューッと上がってきた。

 なんでもいいから一言口に出せば良かった。変なやつだと思われただろうか。いや、でもなにを話すのが正解だったんだ?

 横目で見返すとマーマレードは素知らぬ顔で紙コップに口をつけていた。

 まあストレートに昨日のことを話し出さなかっただけ、まだましな対応だったと信じよう。

 そんな僕の葛藤などとは別の世界で生きるエセイケメンこと駒草先輩が二人に笑いかけた。

「二人とも、そんなに緊張しなくとも大丈夫だよ。みんな悪い奴じゃないし。茅野もこんなふてくされた顔してるけど、根は優しいやつだから」

 失礼な。茎も葉も優しいやつのつもりだ。……そうだよね?

 二人を引き連れた僕らを部室で迎えたこの人は、待ちくたびれたと言わんばかりに勉強道具を片付け、アメリカのホームドラマよろしく大げさに手を広げた。

 悪態の一つでもつきたいところだが、新入生二人の前では気が引けた――これも計算の上でここにきていると思うと余計にムカつく。

 こげ茶色の木製深皿にビスケットをぶちまけると、夏目も席へ着いた。

「それではみなさん、あらためて自己紹介タイムと行きましょうか!」

「イエーイ!」

 場違いなテンションの駒草先輩とパチパチとつられて手をたたく新入生。うーん、立ち位置に困る。

「誰からいく? ここはやっぱりえらい順とか?」

 夏目の視線がこちらに向く。

 あいかわらずパスが雑だ。

「それなら駒草先輩からで――」

「俺はラスボスだから最後」

 なるほど敵側なら仕方ない。

「名前、クラス、好きな食べ物、嫌いな食べ物、あとワンポイントアピールを添えてね」

 ワンポイントアピール? 

 自己紹介定番ネタだが、模範解答が出たためしがない。

「シンキングタイムは?」

「茅野ならゼロで行けるでしょ!」

 バックパスをやるならせめて事前相談をしてほしい。

茅野圭太かやのけいた、二年理数科で副部長です。好きな食べ物はサバの味噌煮、苦手な食べ物は辛い物全般、アピールは特になしでお願いします」

 イエーイ、とセルフで拍手をしておく。残念ながら司会の夏目はのってくれなかった。

「アディショナルタイム三分で」

 腕時計を見ながら右手を上げる夏目。それはゲーム終了時のポーズな気もするが。

「……、中学時代は剣道部でしたが、竹刀は重いのでじょうろに持ち替えました」

「じょうろのほうが重くない? 水入ってるし」

「でも人を傷つけることはなくなったよ」

「うーん、そんなにうまくない」

 うるさい。

 確かに植物の命を握っている分、今も重いか。

「さて、お次は私、二年特進の夏目結依なつめゆいです。好きな食べ物はポテチ、嫌いな食べ物は魚全般、大富豪は苦手だけどポーカーには自信があるのでこの後一緒にやりましょう」

 こんなもんでよかったのか。アピールというよりはただの願望になっている気もするが、ルールブックはメイドイン夏目なのだから何も言うまい。後輩二人もさして気にしていないようなのでいいだろう。

「三年一貫の駒草つか――」

「ラスボス、フライングしないでください」

「特技は塩と砂糖をにおいだけで判別できます」

 あれ、塩と砂糖ってにおいあったっけ?

 リンゴジャム以外真顔で考えてしまいリアクションが遅れた。

 塩と砂糖を間違えたなんて料理初心者のミス二十年連続一位みたいなところだけど、プロだって嗅ぎ分けながら使っていないだろう。

 ただ、駒草先輩の言うことだから適当なことを言っているようにも本当にできるようにも思えて怖い。

「無駄に高度なアピールやめてください。この後に続く後輩のこと考えてないでしょ」

「いや、本当のことだしなあ」

 嘘つけ、遊んでいるだろ。

 ちなみに帰ってから家の砂糖を嗅いだところ、隣に置いてあったオレガノのにおいがした。

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