S海岸は、相変わらず殺風景でした。

人は誰もおらず、古びた木製のボートが捨て置かれているだけ。

私は周辺を隈なく探しましたが、これといったものは見つからず、1人途方に暮れていました。

みのりちゃんはここで何を見たのか。

どうして何も言ってくれなかったのか。

――自分を残して消えてしまうなんて。

そんな仄暗ほのぐらい考えが頭をよぎった頃、静かな波音に混じって砂を踏みしめる音が聞こえてきました。

私が物思いから覚め反射的に振り返ると、少年が1人こちらに向かって歩いてくる所でした。

彼を見た瞬間、鏡の中の少年という言葉がふと思い浮かびました。

確かにここにいるはずなのに、決して届かない場所にいる存在――。

少年は私の横を通り抜けて、打ち寄せる波に程近い距離でしゃがみ込むと、砂遊びを始めました。

夕闇が迫る空の下、季節外れの半袖シャツから伸びる少年の日に焼けた腕が、せっせと砂を積み重ねて動くのを私は茫然ぼうぜんと眺めていました。

突然現れた少年に理解が追いつかなかったのです。

彼は棒立ちの私に視線を投げかけると、「城作りを手伝って?」と呼びかけました。

へらを手に持った少年は、いつの間にか積み上げた砂を城の形に掘り始めていました。

私は断りたかったのですが――。

彼の黒い瞳に、なぜだか萎縮してしまったんです。

引き寄せられるように少年へ近づくと、彼の指示に従いながら砂城を作り上げました。

――おかしな話ですよね?

当初の目的も達成できないまま、見知らぬ少年の言いなりになって、砂遊びに付き合うなんて。

2段に重ねた城壁のシンプルな城が出来あがった頃には、辺りも暗くなり、上空では星が瞬いていました。

少年は砂城をひと通り眺め回した後、ひとつ頷きました。

私は少年が満足したのだと思ったのですが、彼は完成したばかりの城を、なんと崩し始めたのです。

城壁の角を不恰好ぶかっこうに削りとり、外壁を無造作むぞうさえぐって。

それを何回か繰り返し醜悪な物体につくり上げると、彼は私を見つめ、今度こそ満足そうに微笑ほほえみました。

そうして、ごく自然に私に手を差し伸べてくると、「僕と友達になって」と言ってきたのです。

普段の私ならよく考えもせず行動に移すなどあり得ません。

少年の言葉は余りにも突然のことでしたし、彼が現れてから今までの倒錯的とうさくてきな出来事にすっかり参ってもいました。

それなのに――。

気がついたら私は、少年の手を取っていたのです。

自分の行いに混乱する間もなく、彼に手を握り返された時。

私は慄然りつぜんとしました。

何故なのかはわかりません。

ただその時、漠然ばくぜんとした恐怖心が沸き起こったのです。

激情に駆られるまま少年の手を振り払い、砂で足がもつれてもとにかく前へ――。

砂浜を抜け出た所で、背後から「月夜にまたここで」とささやく声が聞こえました。

私はそれにこたえることなく、かつてみのりちゃんと共に走り抜けた道を辿たどりました。

無意識の内にあの路地に着き息を整えた後も、彼の声が耳から離れませんでした。


あの少年は一体何者なのか。

授業中、クラブで過ごす時間、塾の間……。

何をしていても、ふとした瞬間にあの出来事を思い出し、彼の姿がまぶたの裏に焼きついて離れませんでした。

塾がない日はクラブ室を早々に抜け出して、海岸に向かう。

――そう。

私はあの日のみのりちゃんと同じ行動をとっていたのです。

当時の私は気がついていませんでしたが。

みのりちゃんのこともそっちのけになって、彼の姿を探しに行きました。

そうして何度目か、ついに彼を見つけたのです。

張り付いた声を振り絞って少年を呼ぶと、彼はそっと振り返り私に微笑ほほえみました。

「こっちにおいでよ」と呟く彼の隣に立ち、月明かりに照らされた海を眺めていると――。

やっと自分が戻ってきた。

そんな穏やかな心地になって、私は自然と彼に話しかけていました。

彼のことを知りたくて色々尋ねたのですが、この時応えてくれたのは、住んでいる場所だけでした。

月影島つきかげじまを指して「あそこにある施設」と素っ気なく。

――ええ、そうなんです。

私はずっと後になってから知ったのですが。

月影島つきかげじまは十数年前に世界文化遺産に登録されていて、関係者以外の立ち入りは禁止になっていたのです。

少年の言った施設は、現在私たちがいる場所へとっくに移転していたから、誰もいなかったはず。

少年は、島の施設にはいなかった。

私は彼に誤魔化された。

みなさんがおっしゃる通り、そう考えるのが普通ですよね?

でも、私はそうは思わないんです。

夜になると施設には滔々とうとうと明かりが灯っていたし、少年をボートで迎えにくる職員の姿だって見たのですから。

私が施設の詳細について尋ねようとした時。

少年が投げやりな口調で「迎えが来た」と呟いたんです。

彼の視線を辿たどると海上の向こうで、ぼんやりとしたシルエットが揺らめくのが見えました。

それは段々と近づいてきて、輪郭がはっきりしてくると、ボートをぐ黒い人影へと変わったのです。

あの人は誰――。

口に出したつもりはなかったのですが、その疑問に答えるように、施設の職員だと彼がささやくように言いました。

浅瀬まで来たその人は、月光に照らされても黒いままでした。

ひょろりと細長い体躯たいくに喪服を思わせるスーツ。

それと同じ色合いの帽子を目深まぶかかぶって、ボートから降りずにうつむきながら立っていました。

彼はまたね、と私に一言告げるとボートに乗り込み、その人に背中を預ける形で座りました。

声をかける間もなく、ボートはきしみながら私から離れていってしまいました。

――まるで少年が影に飲み込まれてしまったようだ。

月影島つきかげじまに向かって、真っ直ぐ進むボートをぼんやり見送りながら、そんなことを思いました。








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