リビングに戻ったとたんに談笑が再開されたような気配があったけどたぶん気のせいだろうと思いたい。

き、気のせいですよね……?


「おい」

「わおびっくりした」


戦々恐々していると、不良ががっしりと肩を組んでくる。

どこからともなく『ガギッ』という音がして視線を向けると、先輩がなにごともない顔でもぐもぐとなにかを咀嚼している。チョコフォンデュのクシの先端にはチョコレートパフの塊がついていて、なるほどあれが音の正体……なんだろうか。それにしてはどことなく金属的な気がしたんだけど。


さておき。


「どうしたのサクラちゃん」

「食え」

「ありがと?」


差し出されるチョコクッキー(骨型)をぱくりと一口。

サクサク食べているともうひとつ。


「うまいか」

「うん、おいしい。ありがと」

「ばぁか、てめぇが作ったクッキーだろぉが」

「ええ」


ここまで理不尽な『バカ』が未だかつてあっただろうか。

苦笑していると彼女はそのまま私をダイニングのほうに連れて行って、プチシューとかクッキーとか摘まめるものをポイポイ食べさせてくれる。

餌やりされている気分だ。

なんだか癪だったのでお返しすると当たり前のように指ごといかれた。


ぴゃあ。


「ちょ、」

「んだよ」

「や、あ、えと、なんでもないですけども」

「? そうかよ」


ヘンな奴、なんて言う彼女はどうやらまったく気にしていない。

なんともひどい話だと思う。

もっとこう、気にするとかさ。

いいけども。


「いったいなんで急にこんな?」

「オレぁチョコなんぞ用意してねえからよ」

「そんなの気にしないでいいのに」

「ほかのヤツらに負けんのは気に入らねえだろ」

「いや勝ち負けとかなくない?」


そう言っても彼女は納得しないようで、うむむとしばらく考え込む。

かと思えば何か思いついたようでポンと手をたたいて彼女は笑った。


「じゃあよ。ホワイトデーな。言うだろ、三倍返しとかなんとか」

「あはは。そこまで気合い入れないでもいいからね」

「いや―――」


ぐいと引き寄せられて、耳元に吐息が触れる。

普通に抱き締めるみたいな体勢で、耐性のない私にはちょっっっとばかり刺激が強い。

チョコのにおいをかき消すくらい、彼女の匂いががががが


「―――ちゃんと悦ばせてやるからよ。せいぜい覚悟しとけ」

「ひぁ」


かぷ、と耳をかじられる。

容赦なく牙を立てられる感触があって、それなのにこう……いや、深く考えてはいけない。

というかなにをお返しするつもりなんだ……?


ぐるぐると考え込む私だけど、彼女はもう満足したのかあっさりと去っていく。

取り残された私はとりあえずケーキを食べた。

甘くて美味しいなぁ……ッ!


そんな風にヤケ食いしていると、そそそ、と隣にやってくる気配。

振り向けば図書委員ちゃんがいて、お皿に乗せたホットケーキのチョコソースがけをちまちまフォークで破砕している。


「あ、あの、シマナミさん」

「どうしたの? なにか困ったことあった?」

「あ、いえそうではなくてですね」


何か言いにくそうに言葉を濁すたび、いじくるホットケーキが砕けていく。

もはや吹けば飛びそうだけど、チョコソースによってなんとかお皿の上につなぎ止められている感じ。


しばらくあーうーと勇気を振り絞っていた彼女は、やがてようやく意を決したのかお皿を置いた。


「じ、じつは今日お渡ししようと思って、おうちでチョコレートを作ってみたんです」

「ほんとっ? めちゃくちゃうれしいよっ」

「ですが……」


彼女の手作りチョコレートとか、めちゃくちゃうれしい。

本を借りるときに話すくらいだし、実はちょっと迷惑がられてたりしないかなぁとか不安だったんだ。

だけどそんなことをしてくれるだなんて。


うきうきと胸躍らせる私とは裏腹に、彼女はずぅんと沈んでいく。


「どうしてもうまくいかなくて、その……」

「ああ……そう、なんだ」


ぎゅ、と服を握りしめて悔しそうにする姿に胸がきゅんきゅんと鳴く。

彼女が頑張ろうとして、でも失敗してしまったことを悲しく思う。

だけどそもそも私のために頑張ってくれたことと、そしてその失敗をこんな風に悲しんでくれることがたまらなく愛おしい。


気にしないでと声をかけようとしたら、だけどそれに先んじて彼女は言葉を続けた。


「その、こんな粗末なものになってしまったんです……」


そういって差し出されるのは、可愛らしくラッピングされたシンプルなチョコレートのお菓子。丸っこくて小さなやつがコロコロしていてキュートだ。


「パフにチョコレートをコーティングしただけのもので、その、いわゆる麦チョコ? のようなものなんですけど、こんなものしかできなくて……」

「いやいやいや。こんなものって。すっごいうれしいよ」


大事に大事に両手で受け取って笑いかけると、彼女は少しだけホッとした様子でほほえみを浮かべる。


「それにこれめちゃくちゃきれいにコーティングされてるし。どうしてもうまくできなくてさ、私がやったの、ほらこれこれ。あきらめてかみなりおこしみたいにまとめたんだ」

「か、かみなりおこし……ふふっ」


私もトライしようとしたやつがあるけど、見事に失敗したからチョコクランチもどきということでお茶を濁したのだ。そんなものと比べるのもおこがましいいくらいに器用に出来上がっている。

あと彼女の口から放たれる『パフ』って音がすごい好き。

なんか、こう、破裂音がね。いいよね。


「でもわたしも本に書いてあったので」

「へー。なんて本?」

「えっと……どれだったかちょっと」

「たくさん読んでくれたんだ?」

「はぅ」


恥ずかしがる彼女とチョコレート菓子の本についての話題でしばらく盛り上がる。

来年のバレンタインデーには一緒に作ろうか、と誘ったらキッパリ断られてしまったけど、来てくれる自体は来てくれるっぽいのでまあ、いい、のか……?


さておき。


たくさん喋った彼女のために飲み物を用意して持っていくと、そこにはカケルがいてふたりで待っていた。


「おお、意外な組み合わせ」

「あはは。それワタシが本読まないって思ってるでしょ」

「バレた?」

「あ、あのわたし、向こうに行ってきますね」

「あうん。あ待って待ってこれ紅茶―」

「ありがとうございますっ」


紙コップの紅茶を渡すと彼女は脱兎のごとく去っていく。

あんまり相性が良くなかったんだろうかとカケルを見ると、彼女は苦笑していた。


「気つかわせちゃったかなー」

「ええ。なんでさ」

「や、さっきちょっと話したときにワタシもユミカにチョコ作ろうとしたって言ったからさ」

「そうなの? ……作ろうと?」


口ぶりからして作っていないみたいな感じだ。

別にそれをどうこう言うつもりもなく、ただ単になんだか気になって問いかけると、彼女はまじめな顔になる。


「よくよく考えたらワタシ、チョコとかそんなすごいもの作れないんだよねー」

「あ、へえ」

「あはは。許せないなぁそのナットク」

「ごめんごめん」


うりうりと頭を小突かれるからとりあえず謝っておくけど、正直意外性は……まあ、ないですね?


「まあカケルは陸上一筋っていう感じだからね。そんなところもむしろカッコいいよ」

「……最近はそーでもないケドね」

「え?」


はてなと首をかしげると、彼女ははい、と箱を手渡してくる。

文脈的にチョコレートだろうか。

受け取ってみると、すぐに開けてとお願いされる。


お礼の言葉をたっぷりと伝えてから開くと、そこには―――


「わぁ。すごい、かわいい……」


きらりとさざなむネックレス。

銀色の鎖と、そこに通るひねりのあるリングは、なにげなく身に着けられるくらいにシンプルなものだった。


「あはは。気に入った?」

「うんっ。一目ぼれ。……でもこれ、その、」


装飾品の良し悪しが分かるほどの目はないけど、なんとなく箱からして高級感がある。

大丈夫なのかと心配すると、彼女はからからと笑う。


「気にしないでいーよ。ちゃんとバイトして買ったやつだから」

「いやそうじゃなくてね」


別にどういうお金か、なんて気にしたりするわけもない。

彼女がもうしないことは知っている。

そうじゃなくて単純に金額の問題だ。

気持ちは心の底からうれしくて、だけどあんまりにも高価なものだと恐縮してしまう。


「……貸して?」

「う、うん」


そう思う私からネックレスを取り上げた彼女は、それを私の首に巻いてくれる。

普段の制汗剤の匂いじゃない、だけどイメージ通りにすがすがしいような彼女の匂いがする。


「ワタシ今、陸上と同じくらいユミカのこと大切だからさ」

「え」

「だから気にしないでいーよ。言っても高校生レベルだって」


さらりととんでもないことを言われた気がして硬直しているうちに彼女は離れていく。

そして私をじっくりと見やった彼女はうんとひとつ頷いた。


「似合ってる。けっこー悩んだ甲斐あったかな」

「あ、ありがと……?」


なんだか彼女の顔をろくに見られない。


な、なん、なんだこれ……?


「さてもうちょっと食べてこよっかなー。お昼抜いたからおなかペコペコなんだ」

「いってらっしゃい……」


にこにこと笑う彼女を見送って、私はなんとなくリングをぎゅっと握る。

なんだかよく分からないけど気恥ずかしくて服の中にしまっていると、突如として背中に衝撃が走る。


「ぐえ」

「ゆーみーねーえー!」

「ど、どうしたのメイちゃん」


ぐりぐりと頭をねじ込んでくるのはバ先の女子中学生ことメイちゃんだった。

なにやらご不満があるらしい。

どうしたのかと尋ねると、彼女はずぃと口元にパウンドケーキを一切れ差し出してくる。

パクりと受け取ると、まあ、味見した時と同じくらいおいしい。


「おいしいね」

「ぜんぜんだめですっ」

「ええ」


突然のダメだしにショックを受ける私に彼女は尊大に胸を張る。


「せーぜー65点だよっ!」

「平均点くらいはあるんだ」

「平均点くらいしかないのーっ!」


そりゃあそんな料理上手でもないし平均点が取れたら上等なものだろう。

だけど彼女はそう思わないらしくぷりぷりと怒っている。


「なんで誘ってくれなかったのっ!」

「えー?」

「ユミ姉とお菓子作りしたかったのに! そしたらもっと美味しくできたよっ! だってわたし―――パン屋さんだもんっ!」


どうやらそういうことらしい。

つまりなにかこう、プロ意識みたいなものがくすぐられたわけだ。

パン屋さんの娘である彼女だし、今からそういう気持ちを宿しているのは当然……なのか?


どちらかというと最初の一言が本命なんだろうなぁと思いつつよしよしと頭をなでる。


「でも、そうしたらメイちゃんに手作りのお菓子をふるまえないでしょ?」

「でもぉ……」

「私ね、メイちゃんのことも大好きだから……だから、メイちゃんにも私の手作りを食べてほしかったんだ。……あんまり上手じゃなくて、ごめんね」

「そっ、そういう意味じゃなくてっ」


しょんぼりとしてみせれば彼女はあわあわと慌て始める。

もちろんそういう意味じゃないのは理解している。

言葉のはずみみたいなものだろう。

なにせわざわざ全部食べてからこうして来てくれたわけだし、ココアプリンとかホイップマシマシにお代わりして食べてたのも見たし。


まああんまりイジめるのも悪いかなと笑いかけようとすると、彼女はずぉ、とすごい勢いで私の口になにかをつっこむ。

もぐっと受け止めると、ほろ苦いチョコレートのしっとりとした生地に軽快なナッツの食感、そしてお酒がほんのりと香って……うわ、え、美味しい。


「おいしい……!」

「ゆ、ユミ姉の手作りはわたしの分だけでいいもんっ! 次はほかの人のはいっしょに作るからっ!」


私の口にプロクオリティなチョコレートブラウニーを突っ込んだメイちゃんはそう言い残して去っていく。

あの年でこのクオリティのお菓子を作るとは……これがパン屋の血……!


ごくり、とチョコレートブラウニーを飲み込んでしみじみと感じ入っていると、ずだだと戻ってきた彼女はもう数切れのブラウニーが入った袋を押し付けてまた去っていった。


「ありがとー!」

「どーいたしましてー!」


急いでいても挨拶はしてくれるあたりがかわいいんだ。うん。

とりあえずこれは丁重にしまってゆっくりと味わうことにしよう。


うんうんと頷いてから冷蔵庫のほうに向くと、無言で私をにらみつける親友がいた。


「どしたの?」

「なんで驚かないのよッ!」

「いや普通に気づいてたし」


話している最中からこそこそ近づいてわざわざスタンバっていたのは知っていた。

ただ普通に無視していただけで。


そんなことを理解した彼女は足を踏み鳴らして怒鳴る。


「声かけなさいよっ!」

「それはこっちのセリフじゃない?」

「ぐっ……! な、生意気なこと言うじゃない」


この恐るべきほどの弱さよ。

まったくやれやれと呆れて見せながら、で? と首をかしげる。


「けっきょくなんの用?」

「よっ、なっ、き、決まってるじゃないのっ」

「なになに」

「だっ、あ、アンタねえ……ッ!」


正直なところさっきから彼女が後ろ手に隠している箱が見え隠れしていて気が付かないほうが無理というものだ。

だけどそれはそれとしてうろたえている彼女はかわいいので少し焦らしてみる。


「なんだろ。お腹いっぱいだからもう帰るとか?」

「ま、まだ腹八分目よっ」

「結構ちょうどよさそうだね」

「ワタシは満腹じゃないと満足できないタイプなのよッ!」

「じゃあもっと食べてきたら?」

「そうさせてもらうわよっ! 悪い!?」

「いやいや。じゃあどうぞ」

「えっ、あっ、」


はぁー、ほんとにアイはもう……なんだろうね。

変な人に騙されないか不安だよ私は。


なんて思いを胸に秘めつつどうぞどうぞとお菓子たちのほうを指してみると、彼女はぐぬぬと唸りながら歯噛みして、それから突然殴りつけるような勢いで箱を振り下ろしてきた。


「うわびっくりしたっ!」

「う、受け取りなさいよっ!」

「ある意味食らうところではあったけどね?」


なんて言いつつ、そろそろ限界っぽいので大人しくもらっておく。

どこかで聞き覚えのある名前の刻まれた箱は、見るからにお高いチョコレートっていう感じだ。


「ぎ、ギリよっ! 勘違いするんじゃないわよっ!?」

「友チョコでさえないんだ……」

「とっ、友チョコなんかじゃないわよッ! バカにしないでちょうだい!?」

「カタギじゃない人なの……?」


友<義理。

仁義とか語りだしそう。


というか、このレベルで義理チョコとか言われるとなんだかこう……さ。

友でも義理でもないチョコを照れ隠しに義理って言うみたいな構図に見えるっていうか……ね。

あんまりそういう、ドキドキすることはしないでほしいんだけどなぁ。


まあそれはそれとしてチョコを受け取って、お礼にハグしたら無事に撃沈した彼女を置いてちょっと距離をとる。


はぁー、熱いなあ。


……うん?


「あの、えっと……?」


なにかまた、妙に視線が集まっている。

気を取り直した親友も同じようにだ。


なんだろう、とても嫌な予感がするんだけど……?


「あの、な、なんでしょうか……?」


おずおずと尋ねても、沈黙。

もしかしてこのまま私は帰れないのか……?

いやここ我が家。ディスイズマイホーム。

なのにこのアウェイ感はなんだ……?


「―――返事はホワイトデーでいいよ」

「へん、じ……?」


どういうことかと問い返しても、先輩はもう私に視線を向けさえせずチョコフォンデュを楽しんでいる……っていうか気に入りすぎじゃないだろうか先輩。


というかみんなもまた普通にパーティに戻ったし……


えっと。

わ、私は一体、何に対してどんな返事を返せばいいんだろう……?

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