チョコレートパニック
くしやき
上
バレンタインデー。
おいしいチョコを好きな人と食べる楽しい日。
あまり深いことを考え始めるとアレなので、とりあえずそれくらいの認識で。
普段からお世話になっているみんなに、ぜひともチョコレートをふるまいたいなとそう思って。
だというのに今日は土曜日だったから、じゃあどうするかといえば、もちろん。
「おジャマするッスー!」
「はいいらっしゃい」
にこやかに迎えれば後輩ちゃんはぎゅむうと抱き着いてきて、ふんすふんすと甘いにおいを嗅いでくる。それからふと私の向こう側に喧騒を聞きつけて首を傾げた。
「ほかのひとたちも来てるッス?」
「うん。みうちゃんドベ」
「ぐはぁー! くやしーッス!」
大げさに悔しがって見せる彼女についつい吹き出しつつ。
私は彼女をリビングに案内する。
そこにはすでに、今日のバレンタインチョコパーティの参加者である10人がそろっている。後輩ちゃんを入れて11人―――結構広い我が家でも、さすがにキャパシティの限界を感じる人数だ。
「おぉー、ソーカンッスね!」
「うん。でもちゃんとチョコはたっぷり用意してあるからね」
「さすがセンパイッスー!」
今日のために用意したクッキーやらケーキやらホットケーキやらチョコフォンデュやらなんやらかんやら……思いつく限りのチョコレート菓子を作ったり買ったりした結果、部屋はとんでもなく甘い香りに包まれている。
なんかもう、あれだ。
女の子とチョコの香りで混沌としすぎて脳が溶けそう。
「あ、じゃあセンパイこれどぞッス!」
「え?」
後輩ちゃんがおなかを漁って取り出すのは、小さな箱。
「チョコッス! センパイと比べたらちょこっとッスけど、ちょこっとホンメーだと思っちゃっても……いいッスよ?」
「あ、あはは。ありがと」
ぱちんとウィンクを見せる後輩ちゃんに、一瞬どきりとさせられてしまう。
ウィンクする前の彼女のあの、どこまでもまっすぐな視線……うっかり、これが冗談だと理解できないところだった。
「懐で温めておいたっすから! よく冷やしてお食べくださいっす!」
「えー。ちょっともったいないね」
「センパイヘンタイみたいッスよぉー」
わいわいと笑いあって。
―――ふと。
さっきまで和やかな談笑とかに包まれていた部屋が、妙に静かだということに気が付く。
視線を巡らせれば、私へと向かう目と目と目と目と目と―――ひえ。
「あ、あの、ど、どうしました……?」
恐る恐ると問いかけると、まるでなにごともなかったかのように視線は逸れてまた和やかな談笑ムード。
「あちゃー。抜け駆けしちゃったッスねー」
「え、えと」
「おお!? センパイあんなおもしろそーなのあるッスか!」
戸惑う私を置き去りに、彼女は小型のチョコレートファウンテンへと駆けていった。
呆然と見送ると、ちょうどそこでマシュマロをコーティングしていた先輩と目が合う。
頼れる先輩は私の困惑を見て取ると優しく微笑み、ちょいちょいと手招きしてくれた。
安心して傍に寄るとぎゅっと肩を抱かれて、心臓を吐き出しそうなくらい驚く耳元に吐息が触れる。
な、なんだ、ただの内緒話だ。
「先輩、いったいさっきはどうしたんですか?」
「さて。多分みんなユミカ後輩からチョコレートをもらうつもりで、自分があげるっていうのは考えていなかったんじゃないのかな」
「あー。別に気にしないでもいいんですけど」
私が言うと先輩はくすくす笑う。
それからわずかに眉根をひそめた。
「かくいうボクもすっかりと忘れていてね。だから申し訳なく思っているんだよ」
「今日は私が主催ですから。あ、それならホワイトデーにでもまた一緒に遊びましょうよ」
「それはいいね」
にこにこと笑いながら、チョココーティングしたマシュマロを差し出してくれる先輩。
はむっと咥えると甘くて甘い。
このとことん甘い甘さがたまらないのだ。うむうむ。
「おいしいです。ありがとうございます、先輩」
「うーん。これはキミが用意したものだからねえ……ああ、そうだ」
先輩はなにかとてもいいことを思いついたようなにこやかな笑みを浮かべて、指を立てる。
そしてその指を、なんのためらいもなくチョコレートの噴水に浸した。
……え。
しょ、食品衛生は……?
「ボクが用意できるものなんてカラダくらいだからね。ほらユミカ、あーん、だ」
頬に手を添えられて訳も分からず口を開かせられる。
そして彼女は私の口の中に指を差し入れ、緊張にすくむ舌の上にそれを乗せる。
体温と唾液にとろけるチョコの甘さが脳でバグって、先輩の身体は甘いのだという不可解な理解が落ちてくる。
「おいしいかい?」
その問いかけに私はこくこくと頷くしかできなかった。
あ、あまい、なぁ……
それからちょっとの間先輩チョコをいやでも堪能させられた私はふらふらとさまよって、ともかく人気のない場所に移動しようと思ってキッチンのほうにやってきた。
そして気が付いたらポケットの中に細長い箱が入っている。
もしかしてこれ、先輩のチョコ……?
忘れたって、え、あの……
……
とりあえず水でも飲んで一息つこうとしていると、隣から湯気の立つ紙コップが差し出される。
視線を向けるとそこにはシトギ先輩がいて、普段通りの無表情を浮かべていた。
「あ、どうもありがとうございます」
「いえ。お気になさらず」
それで会話が途切れて、私はなんとなくコップに口をつける。
酸味のある……なんだろう、ハイビスカスとかかな。
甘いものばかりだと飽きるからといくつか用意したお湯だけで飲めるドリンク類だけど、名前のおしゃれさだけで用意したものが結構あって判別はつかない。
それでもこの甘すぎる口の中にはちょうど良くて、私はごくごくとそれを飲み干した。
……それでもまだ、彼女は私の隣にいる。
静かにたたずんで、コップのミルクココアを揺らしている。
「あの、先輩?」
「……どうして
「え?」
首をかしげると彼女は私を見つめて、そして言葉を続ける。
「
「そんなことないですよ」
彼女の言葉を否定する。
確かに彼女と関係が生まれたのは夏からだし、普段から仲良くしているわけでもない。
だけど私が生徒会役員になってから、元生徒会長としていろいろと親身になってくださったことは大切な思い出だ。
もうひとりの頼れる先輩ができて、それがとてもうれしかったんだ。
むしろ聞きたいのはこっちだった。
「先輩こそ、どうして来てくれたんですか? 正直私、あんまり先輩からしたら可愛い後輩でもないでしょう?」
「そんなことはありませんよ」
今度は私の言葉を彼女が否定した。
そして緩やかに頬を和らげて、私が驚くと恥じらうように頬を染める。
シトギ先輩があんな風にやさしく笑っているところは、初めて見たかもしれない。
それにこんなはにかみも。
すっかり見とれてしまう私に、彼女はそっと身を寄せる。
「あなたは
そう言って周囲に隠すように差し出されるのは、ささやかな包みに入った丸いチョコレートクッキー。
「これって……」
「なにせ他人にこうしてお渡しするのは初めてですから、変に感じられたらどうしようかと少し不安だったのです。けれど、たぶんきっと、それは杞憂なのでしょうね」
「はいっ。めちゃくちゃうれしいです!」
まさかシトギ先輩からもチョコレートをもらえるだなんて。
めちゃくちゃ大切にしようと抱きしめる私に、彼女は「大袈裟ですよ」だなんて笑った。
そんなチョコレートを後輩ちゃんの分と一緒に冷蔵庫の奥に丁重に隠して、私もパーティを満喫しようかなとダイニングのほうに向かう。
と、そこでくいくいと左右から裾をひかれる。
見下ろせばそこには双子ちゃんがいて、ぐいぐいと私を引っ張ってくる。
「ゆみこっちー!」
「こっちにきてください、ゆみかちゃん」
「おっとと。どうしたのかなふたりとも」
なんだかかわいらしくて付いていくと、ふたりは私を連れて廊下に出る。
そしてちょいちょいと手招きをされるからしゃがみこんで視線を合わせてみると、ふたりは顔を見合わせて頷きあう。
「はいゆみ!」
「どうぞですゆみかちゃん♪」
「わぁ」
ふたりはそろって小さな小箱を差し出して、受け取るとにこぱぁと花が咲いたような笑みを浮かべる。
かわいい。
「えへへ。あのねあのね、ママといっしょにつくったの!」
「ゆみかちゃんのためにてづくりしてあげたんですよ♪」
「ほんと!?うわぁ、すごい、うれしいよ」
「あけてあけてー!」
「えっ、いいの?」
「ゆみかちゃんもまちきれないはずです」
無邪気におねだりするおねえちゃんと、むん、と胸を張るいもうとちゃんに促されるままに、箱のリボンをほどいて開封する。
おねえちゃんのよりもいもうとちゃんのほうがリボンが上手なところもなんだかたまらなく愛おしかった。
箱を開いてみるとそこにはまん丸のチョコレートがででんと乗っていて、各々アイシングとかいろいろなもので装飾されていた。
おねえちゃんのは一面のスプリンクルキャンディの上ににっこりマークがチョコペンで書いてあって、いもうとちゃんのはハートを基調とした精緻な模様が丁寧に描かれている。
どっちもどっちの趣があって、こう、なんだかもうほんとに、かわいいなぁふたりとも……
「どっちから食べようかなぁ。迷っちゃうね」
「どっちも!」
「いっしょにたべればもんだいありません♡」
「え」
どっちも。
この、大きめのスーパーボールくらいあるチョコを、どっちも。
いやいやと思って苦笑するけど、期待の視線が計4つ。
これは……さすがに『カクゴ』がいりそうだ。
「え、えっと、じゃあ、い、いただきまーす!」
私は可能な限りの大口を開いて二つのチョコレートを口に放り込んだ。
がぶ、とかみ砕くとどうやらこれはボンボンショコラらしくて、見かけほどにチョコレートたっぷりということでもなさそうだった。
安堵しつつ、ベリー系と柑橘系のジャムをチョコと混合していく。
正直ひとつずつ味わいたかった気持ちがあったけど、このふたりのきらめくような笑顔を見ていればそんなことも気にならない。
「―――んぐ。ん、おいしかったよ、ありがとうふたりとも」
お礼に頭をなでてあげるとふたりは顔を見合わせて、そして口々に言った。
「えへへ、これねこれね、『ほんめい』だよ!」
「セキニンはとってくださいね?」
「あ、あはははは」
い、意味分かってないんだよね……?
幼気なやつだよね……?
……え?
―――さておき。
幼女に爆弾発言を投下されつつもリビングに戻って、とりあえず口のあっまいのをすっきりさせたいなあとか思っていると、またなにやら裾をひかれる。
振り向けば仏頂面のユラギちゃんがいて、なんとも居心地悪そうに身を縮めている。
「先輩。トイレどこ」
「ああえっと、廊下をまっすぐ行って、」
「めんどいから案内してよ」
「そうだね。そのほうが早いかも」
そう複雑な構造はしていないけど、お手洗いって見落とすときは見落とすものだ。
もちろん彼女に請われれば快く受け入れて案内してあげると、彼女は扉のノブを掴みながら振り向いた。
「あのさ、先輩」
「なぁに?」
「……わたし、べつになんにも用意してないから」
「え?」
「バレンタインとか、そういうイベントごとってイミわかんないし、だから、」
言い訳みたいに早口でまくし立てる彼女についつい笑ってしまう。
そんなこと気にしなくたっていいのに。
「ふふ。いいよいいよ。それよりちゃんと楽しめてる?」
「まあ、お菓子はおいしい……」
「ならよかった」
それだけ聞ければ満足だと頭をなでると、慌てて振り払われる。
つい、さっきの双子ちゃんのノリでやってしまった。
ごめんごめんと謝って戻ろうとすると、背中に声がかかった。
「ま、待って」
「どうしたの?」
ふりむくと彼女はびくっと震えて、顔を真っ赤にしながらポケットに突っ込んでいた手を突き出してくる。
「な、なんかあったからあげる」
「なんか?」
受け取ってみればそこには一目で義理とわかるチョコ。
顔を上げるころには彼女はもう個室に消えてしまっていて。
「……ふふっ。ありがと、とっても嬉しいよ」
声をかけても返答はない。
私はくすっと笑って、それから部屋に戻るのだった。
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