第7話 青色のスリッパ

「泉、実は報告しないといけないことが……」


 コラボが決まった次の日の放課後、教室で俺はそう泉に切り出した。


「どうしたんだい? そんなに深刻そうな顔をして」


 泉は、そう訝しげに俺を見たが、うなずくと、あとに続くように促した。


「ここではできない話だろうから僕の部屋に来なよ」


 泉についていきながら、俺は昨日からすでに何回も考えを巡らせている泉にどうやって説明するのかという難題に再び頭を悩ませた。



「そのスリッパを使いたまえ」


 泉は仕事部屋につくと、俺に青色のシンプルなスリッパを履くように言うとそのまま冷房のきついパソコン部屋に入っていた。俺はスリッパを履いてついていくと、泉に続いて部屋に入るとすぐに扉を閉めた。泉は部屋の温度管理にはうるさいのだ。


「それで、Vtuber関連でなにか問題でも起きたのかい?」


 泉は座席に座って、パソコンのスリープを解除しながら、そう尋ねた。


「コラボをすることになった」


「それがなにか問題になるのかい?」


 単刀直入にそう言うと、泉は怪訝そうな顔でそう聞き返した。


「それが、東京で直接打ち合わせすることに」


 俺が、その普通は問題になりもしないが、俺の場合極めて深刻な問題点であることを言うと、泉は肩をすぼめるような、あの入試の時のような思わずぐっとくる笑い方で笑う。


「それは君にはとても深刻な問題だろうね。でもオンラインにしてもらえばいいことじゃないのかい?」


 泉がもっともな指摘をするが、俺は恥も捨てて本当の事情を話した。



「くく、そうか、君は君が好きなVtuberに直接会いたいがためにこのコラボを思わず受けてしまったと、それで妹に替え玉を頼んだと」


 泉はそう言って、俺が説明したことを繰り返す。俺は、なにも言い返せないのでただ、うなずくしかない。


「それで、事後承諾で共犯者たる僕にも事情を話したと、まあ、面白そうだからいいよ」


 そう言って、泉はひとしきり笑うと、部屋の隅にあるダンボールを指差す。


「ちょうど使えそうな品があるよ。ベンチャー企業と協力して開発していたんだけどね、その企業が潰れそうになったものだから、僕がすべての権利を買い取ったのさ」


 俺は泉が指差したダンボール箱を持ってくると丁寧に中身を出した。

 泉が関わっているとなるとどんな高価なものなのかは想像がつかない。


「メガネ?」


 箱の大きさの印象と高価なものだという先入観よりも小物であったので思わずそう言葉にすると、泉は得げに言う。


「ただのメガネじゃないよ。箱に入っているタブレット端末を僕に渡して、君はその眼鏡をかけたまえよ」


 俺はタブレットを泉に渡すと言われたとおり黒縁のメガネをかける。


「ただのメガネにしか思えないけど」


 そう言った瞬間、視界の中に文字が浮かんだ。


『これはただのメガネに見えるかもしれないけどね。様々なサポートに使えるように開発した。ARゴーグルなのさ』


 視界の文字を読み終わって、泉の方を見ると泉は得意げに言う。


「このゴーグルは一方向からしかグラス上に写った文字が見えないようになっているんだ。見た目はほとんど普通のメガネだから、量販店での接客などあまり物々しいメガネが導入できない場所で活用することを目標に開発していたものなのさ。今回のようなケースに使うにはぴったりだろう?」


 泉の言葉に俺はうなずくことしかできなかった。同じ年齢だとは思えない。どうしたらここまで飛び抜けた才能が手に入るのだろう。そう思わずにはいられなかった。


「全く、同じ高校生だとは思えないよ。本当に」


 俺が、そう言って泉を称えると、泉はしかしと続ける。


「問題は、その妹君からコミュニケーションをするにはどうするかだね」


 泉はそう言って珍しくうんうんと頭を悩ませる。


「大丈夫だと思うぞ」


 悩んでいる泉の表情を見て少しもったいない気もしたが、俺は、その表情をよく目に焼き付けてからそう言った。


「大丈夫なのかい?」


「ああ、俺の妹はスワイプ入力のブラインドタッチができる。もちろん送信まですべての操作をね」


 俺がそう言うと、泉はくくくと笑った。


「そうか、身近にいる人10人を平均したものが自分自身とはよく言うものだね。つまり君の妹もそれなりの変人ということか」


 兄として否定してあげたかったが、事実であったので、心の中で梓に謝りながらも苦笑いでうなずいた。


「それで、その打ち合わせとやらの日程はどうなっているのかい?」


「次の、日曜日だな」


 壁にかけられたカレンダーの日付を見てそう言うと、泉はうなずいて言った。


「よし、僕もついていこう」


「泉も来るのか?」


「だめなのかい?」


 泉がついてくるとは思わなかったので思わずそう言うと、泉はそう聞き返してきた。


「いや、だめというわけじゃないけど」


「こんなに面白そうなことに参加しないなんて変人としての矜持が傷つくよ」


 泉がついてくる理由があまりにもらしかったので俺は思わず苦笑いを漏らした。



 その後、軽く今後のVtuberの活動について打ち合わせをしたあと、俺は泉の仕事部屋を後にした。泉が俺を見送るはずもなかったので、階段を一人で降りていくと、雑貨屋の前にここには似つかわしくないような外車が止まっているのに気がついた。


「君が、楓の友達ね」


 左ハンドルの運転席で座っている、大学生と社会人で迷うくらいに若い女の人が窓から顔を出しながら話しかけてきた。


「えっと、どなたでしょうか?」


 そう言いながら、改めて見ると、その女性が長い黒髪に枝毛ひとつなくとてもきれいで、整った顔立ちをしていることに気がついた。そう、まるで入試の時の女装泉が大人になったらこんな美人になるだろうといった風で、と思ってハッとする。


「もしかして泉のお姉さん?」


 俺がそう言うと、その女の人は呆れたように言う。


「お姉さんなのだから私も泉よ、下の名前は翼」


 そう言って、翼さんは、胸ポケットから名刺を取り出して渡してきた。


「全く、この前、あの子の部屋に行ったら、スリッパが3足用意されていたからとても驚いたわ。あの子色々あって両親のスリッパすら用意してないの。それにあの性格でしょ? いままで友達なんてできたこともなかったから」


 翼さんはそう言って俺の顔をまじまじと見てくる。


「で、君の名前は?」


 名乗り忘れたことに気づいて俺は慌てて名乗った。


「泉と同級生の松浦傑です」


「そう、よろしくね。あら、改めて見ると君、なかなかかわいい顔しているじゃない? お姉さんと一緒に来る?」


 恋に落ちそうになったあのニセ泉がちゃんと中身が女性になって姿がそのまま大人になったような女の人からそう言われたものだから俺は緊張してしまい慌てて首を振った。


「冗談よ。本当にそんなことしたらあの子に文句言われそうだし」


 そう言って翼さんはちらりと、雑貨屋の二階を見た。そのあと、車のエンジンを切ると翼さんは助手席から降りてきた。


「傑くん、これからも楓と仲良くしてあげてね」


 翼さんからそう言われて、俺はしっかりとうなずく。


「じゃあ。また会うと思うから、またねー」


 そう言いながら、翼さんは俺が今さっき降りてきた階段を上がっていった。


「全く、とんだ美人さんだったよ」


 俺が小さくひとりごちると、階段の方からわざとらしく聞こえてきた。


「あら、ありがとーう」


 どうやら、翼さんはかなりの地獄耳をお持ちのようだった。

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