1.『開花』
気付いたら自分の名前以外きれいさっぱり忘れていたヤツがいるらしい。
…つまり、俺のことだ。
桜間
──つーか、なんで名前だけ覚えてるんだ?普通名前も忘れるだろ。
色々と言いたいことはあるが、とりあえず生きてることには感謝しておこう。
記憶に関しては、これからゆっくりと探っていけばよい。
そんな俺も17歳。花の高校生なのだ。
頭の中でごちゃごちゃと考えてはいるが、現在進行形で、俺の足は学校へと向かっているのだ。
ちょうど新学期が始まる時期だったので、高校2年生として、春に転校してきたという形で学校に通うことになったのだ。
第十三高等学校──俺が通う高校の名前だ。クラスは2年7組。
この国──ブバルディア──は、島国である。一周するには徒歩で十五年かかるほどの大きさだ。この国は三十個の地区に分けられており、それぞれの地区に本校が一個ずつ設置されている。つまり、俺の通う高校は第十三地区の高校というわけである。
とりあえず、今は考えるのをやめよう。失くした記憶の分まで青春を謳歌するのが俺の務めだ。
今、俺の青春が始まる────!
✿
「なんでいるんだよ!!!」
教室中に俺の怒号が響き渡る。直後、教室中のクラスメイトが一斉にその手を止め、俺の方を見る。…と言いたいところだが、残念ながらその教室にはクラスメイトなどおらず、そこにいたのは俺とおっさんの二人のみだった。
「うるせえなあ。初登校早々、恩人の鼓膜を破壊するつもりか? お前は」
気だるそうな態度で、俺の顔を舐めまわすように見るそのおっさんは、『ウニ』といった。まったく整えていないボサボサの頭と伸び切った青髭はもはや彼のシンボルである。
もちろん、『ウニ』はニックネームというやつだ。
「いや、だからさ、なんで”俺の恩人”がここにいるんだって聞いてんだよ! あんた管理局の人間だったんじゃなかったのかよ!」
「どこにでもいる、それが俺だアホンダラぁ。おっ、制服似合ってんな」
「意味わからねーよ! あと、話逸らすなよ! なんかもう、『今、俺の青春が始まる──!』とかさっきまで息巻いてた俺が恥ずかしくなってくるわ!」
そう、彼は管理局の人間のはずだった。記憶のない俺を高校入学まで導いてくれた恩人。住処も、学校も、全て手配してくれた。彼がいなければ、俺はここにいなかっただろう。
「つーかよお、お前、仮にも恩人の俺に『あんた』とか、ちょっと教養が足りてねえんじゃねーの? せめて、毎朝俺の前で土下座するのが筋ってもんじゃねーの?」
「そんな筋嚙み千切ってやるわ! いいから俺の質問に答えろよ!」
ふう、とため息を一つつき、ウニはボサボサの髪をかき上げ、得意げに着ている白衣を整えながら口を開いた。
「俺がここの教師だからだよ。生物のな。この教室だって俺専用の部屋だ。俺だけの実験室ってやつだ。つまり、俺がここでナニしようがバレないってこった。今ここで、目の前の生意気なクソガキを絞め殺しても問題ないってことよ」
「あんたは、そういうこと言わなければ、尊敬できるんだけどな」
だがまあ、腑に落ちないところはあれど、理解はした。こんな発言をする教師が存在して良いのかは甚だ疑問だが。
「俺は青春を謳歌しにこの学校に来たんだ。あんたみたいな中年おっさんにかまってる暇は無いんだよ。失くした記憶の分も、今のうちに青春蓄えとかないとならないしな。だから、早く教室に行きたいんだが」
「? …お前、もしかして、まだ教室行ってねえのか?」
「あんた忘れたのか!? 俺が教室入ろうとしてるときに、あんたが俺のこと拉致ったんだろうが!!! ご丁寧に、目隠しにさるぐつわまでしやがって!!! 周りの生徒ドン引きだったぞ!?」
「目立ってよかったじゃねえか。初日早々人気者だこの野郎」
「悪目立ちだアホ!!!」
この恩人との会話は頭が痛くなる。恩人ではあるが、関わりたくない。俺のIQがどんどん下がっていくのを感じる。
もう行ってもいいだろうか。早急にこの場から逃げ出したい。今すぐにこの男の前から消えたい。
「…という訳で、俺はもう行くぞ」
「何が『という訳』なのかは知らんが、……そうだな。」
そう言ったかと思えば、ウニは突然目つきを変え、俺をまっすぐと見てきた。しばらくして、彼は言った。
「ここにお前は連れてきたのには、理由がある」
「……なんだよ」
先ほどまでのヘラヘラした彼はどこに行ったのやら。
流石の俺も、この雰囲気で話を聞かない人間ではない。前までの自分がどうだったのかは知らないが。
彼は目線の先を俺に向けたまま、言葉を続けた。
「お前に伝えとかなければならないことがある」
「…………」
「あの
「……わかってるよ」
──しばらくの沈黙の末、最初に口を開いたのは俺だった。
「…そんじゃ、行くわ」
「ああ、寄り道させてすまなかったな。まあ、せいぜい楽しく青春を謳歌するんだな。何かあっても、俺がいつでもどこでもお前を見ててやるから安心しろ。俺はどこにでもいるからな」
一歩間違えれば犯罪まがいな発言である。やはり、こいつは教師としては危険すぎるのではないだろうか?
「…やっぱあんた、キモいな」
この言葉を放ったと同時に俺は扉を勢いよく閉め、自分の教室へと向かった。
✿
さて、ウニと別れた後、いったいどんな悲惨な運命が俺を待っていたのか。順を追って説明していくとしよう。
まず、肝心なのは教室に入るところだった。
ここで勢いよく扉を開け、元気よく挨拶をしたところで、冷たい視線を浴びるであろうことは分かっていた。俺は高校2年生として転校してきた、という設定である。他の生徒は高校1年生の時にコミュニティを築き上げているわけであり、そこに訳の分からない転校生が特攻しても冷たい視線を浴びるのが関の山だろう。
俺はこれを考慮して静かに教室に入ったわけだが、なぜか既に冷たい視線を向けられていた。さらに、誰も目を合わせてくれなかった。明らかに避けられていた。
この状況は自己紹介の時も続いていた。全員俺の方は見ていたのだが、俺に焦点を合わせているヤツは誰一人としていなかった。俺の自己紹介を聞いていたヤツも多分いなかった。こうして、俺が徹夜で考えた自慢の自己紹介はほとんど力を発揮することなく、その役目を終えた。
しかし、俺はまだ折れていなかった。自己紹介が失敗しても、そのあと取り返せば良いのだから。
俺は積極的に、周りのヤツらに話しかけていった。結果、惨敗。無視はされなかったが、数秒で会話は終わった。これが放課後まで続いた。もちろん、友達と呼べる存在は一人もできなかった。もはや、いじめである。
そして、今に至る。
放課後、俺は一人で土手に座っていた。新学期初日に土手で川を眺めている俺はいったい何なんだろうか。川で遊んでいる小学生たちに嫉妬する日が来るとは思わなかった。
まあ、記憶がないので、今までこんな感情を抱いたことがあるかどうかは分からないのだが。
「……ブラックジョークにしては分かりにくすぎるだろ……」
さて、今の状況、絶望以外の何といえるだろうか。転校初日でぼっちが確定したのだ。
俺はあと2年間、どのように暮らしていけば良いのだ。一人で虚しく青春を謳歌するしかないのだろうか。というか、それは青春と呼べるのだろうか?
その青春はさぞかし美味なのだろうな。
──ウニと二人で青春すればよいのでは?
「ウオェッ」
笑えない冗談だ。
こんな考えに至ってしまった自分に吐き気がした。というか吐いた。
あんなヤツと2年間青春するくらいならば、死んだほうがましだ。あんな頭のネジが全て外れているようなヤツと一緒にいれば、俺の印象はさらに悪化するに決まっている。しかも、おっさんだぞ。なぜ中年のおっさんと楽しく過ごさねばならないのか。
というか、なぜ俺はあんなにも避けられていたんだ? 特に何もしていないはずだが──
「あ!!!」
そうだった。俺は何もしていないが、何かはされていた。
あのアホに拉致られていたのだ。しかも、教室の目の前で。多くのクラスメイトの前で。
第一印象は最悪。関わりたくないと思われるのも仕方がない。
とどめに、目立ちすぎたのだ。あれだけ目立てば噂などすぐ広がる。
つまり──
「アイツが原因じゃねえか! 何が『せいぜい楽しく青春を謳歌するんだな』だ! 初日から地獄まっしぐらだぞ!」
絶叫に近かった。
羞恥心は怒りに抑え込まれる形となり、俺の声は河原に響き渡ったのだった。その声に驚いたのか、川で遊んでいた小学生たちは全員逃げてしまった。
「……なにやってんだろ、俺」
小学生たちの逃げている姿を見て、急に冷静になった。
ただただ、自分が虚しく感じる。
物事が上手くいかず自暴自棄になり、挙句の果てに周囲に迷惑をかける。自暴自棄とまではいかずとも、今の俺はまさしくそれだ。友達ができなかったという小さなことで、俺はここまで堕ちてしまったのだ。目覚めてから早くも自己評価が急降下中だ。
──前の俺は、以前の桜間爽は、どんなヤツだったんだろうか。
「今の俺は、前の桜間爽に顔向けできるような人間なのか? …俺は…」
ここに存在していてもいいのだろうか。下手をすれば、『今の俺』は『以前の俺』を否定しかねない。
つまるところ、『今の俺』に自信が持てないのだ。存在価値を見出せないのだ。
「…俺は、ここにいていいのかな…」
──その時だった。
どこからか、水をかき乱すような、濁りを含んだ音が聞こえてきた。時折、断末魔のような、悲鳴のような声が水の音に混じって聞こえてくる。
──どこかで聞いたことのある音だった。どこで聞いただろうか。思い出せない。しかし、なぜか、懐かしさを覚える。もしかしたら、以前の記憶かもしれない。
その時──
「⁉」
──恐怖だった。それは突然俺を襲った。懐旧の念のようなそれには、恐怖としか形容できない感情が混じっていたのだ。何に対する恐怖なのかは分からないが、懐かしさに浸っていた俺を正気に戻すには十分すぎる衝撃だった。
「──ッ!」
突然襲ってきた恐怖に息が詰まり、正気に戻った俺は音の正体──川で溺れている人──に目を向ける。
躊躇している暇はなかった。今ここで俺が動かなければ、あの時のように──
──あの
誰かの声が聞こえた気がした。だが、構っている暇はない。
大きく息を吸い込み、腹の下に力を入れ、瞬き一つせず集中──
──瞬間、足元が爆ぜ、俺は一瞬にして水面上に移動した。否、地面を強く踏み込み、高速で目標へ飛び込んだだけである。そう、ただそれだけである。
異常な速度で移動する物体に大気が振動し、水に触れているわけではないにも関らず、水は物体を避けるように波打っていた。
大気を裂くような甲高い音が河原に響き渡り、直後、轟音とともに向かい岸に大きな穴が開く。そこには、髪の赤い少年──つまり俺──と、びしょ濡れの少年がいた。
「…! ゲホッ! ガハッッ…!」
濃い土煙の中、俺は全身の苦痛を体外に追い出すようにむせかえっていた。受け身をとることができず、また、少年を守るために背中から思いっきり地面に激突したにも関わらず、俺は見事に無傷だった。ただただ、耐え難い苦痛が全身を蝕むだけである。
「クッソ…ッ…これは……マジっで…ッ…キツ…」
強い吐き気を感じながらも、自分がここまでした理由──少年──の無事を確かめるため、自分の腕の中へ目線を移す。そこには溺れていた少年が見事に収まっていた。息もしている。外傷もない。
「…なんッだよ……俺…結構…ッ…できんじゃん…」
ほっと一息つき、そのまま苦痛に身を任せ、俺は気絶した。
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