第2話 唱
「恋愛問題で悩んでた?……ふうむ、そうだったのか。そういう子だとは思わなかったな」
「男子に興味がなかった?」
「いや、年上の俳優やミュージシャンが好きだとは言っていた。同級生にはあまり惹かれないとも言ってたな」
「そう。……じゃあもしかしたら上司とか、わけありの恋愛だったのかもね」
「かもしれないが、僕がそんな事情を詮索してもしょうがないよ」
夫は室内着に着替えると、夕食の支度を始めようとしたわたしに「食事の前にちょっといいかな。話があるんだ」と、ダイニングテーブルにわたしを招いた。
「……話って、なに?」
「うん……君、今週の土曜日に友達と一緒に遊びに行っただろう?その子、なんていう名前だっけ」
突然、問われてわたしは「えっ」と返答に詰まった。なにかわたしの行動に至らない点でもあっただろうか。
「さくら……小宮さくらだけど、それが何か?」
突然、胸に黒々とした雲が沸き上がるのをわたしは感じていた。
「その小宮さんと今日、街でばったり出くわしたんだ。その時の会話が変でさ」
「変……」
「別れ際に「美名ちゃんによろしく、しばらく会ってないからそろそろ会いたいって伝えて下さい」って言われてさ。あれっと思ったんだ。一週間前に会ってるはずなのにって。で、この間、食事したんですよね?って聞いたら急に慌てだして「ああ、そう言えばそうでいた、忘れてました」って。変だと思わないか?」
わたしは愕然とした。彼女には抜けている所があるのだ。
「実は僕がこの前、野崎君の家でお母さんと話した時、「実は先生に宛てたらしいメモが残されてたんです」って言われてさ。これを渡されたんだ」
夫がそう言ってわたしに見せたのは、折り畳まれた一枚の便せんだった。
しまった、とわたしは思った。遺書こそ準備しておかなかったが、放っておけば誰かが適当に動機を憶測してくれると思っていた。メモの始末までは気が回らなかった。
『先生、お世話になった恩返しがしたくて色々お誘いしたけど、仇になってしまいました。奥さんに申し訳ないです、ごめんなさい』
「美名、正直に、本当の事を話してくれないか。僕も本当の事を話すから」
夫の表情からは、悲壮な覚悟がうかがえた。どうやら、隠してることを洗いざらいぶちまけるつもりらしかった。
「本当の事って……?」
「僕は君に隠れて野崎君とつき合っていた。……彼女を七階から突き落として殺したのは、君だね?」
※
「違うわ」とわたしは言った。
「じゃあなぜ一週間前、嘘をついて出て行った?……友達にアリバイ工作まで頼んで」
「野崎さんに会うためよ」
「でも殺してはいない――そう言いたいのか?」
「そう、わたしは野崎絵美さんを殺していない。……でも、あなたの奥さんは彼女を殺した」
「……何を言っているんだ、美名?」
「わたしは美名じゃないわ……わからない?先生」
「まさか、野崎君……か?」
夫の目が驚愕に見開かれるのを見て、わたしは思ったより早く気づかれてしまったと思った。
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