みちづれ
五速 梁
第1話 夫
やっぱりあの子だったよ、と夫の
「そう……残念ね」
わたしは言葉少なに応じると、煮物を温め直すためキッチンに移動した。
夫が新任教師だった十年前、初めて持ったクラスの生徒が一週間前、マンションの七階から転落して死亡した。遺族の元を夫が訪ねるまで間が開いたのは、事件性なしと判断されるまで時間がかかったからだ。
「……どんな子だったの?」
わたしは酷と知りつつ、夫に若くして死んだ教え子の印象を尋ねずにはいられなかった。
「真面目な子だったよ。放課後も色々と質問しに来たりしてね。母子家庭でお母さんが働きづめだったから、ちょっと寂し気なところもあったな」
「ふうん……だったらなおのこと、幸せになって欲しかったわね」
「そうだな。救えたかどうかはわからないけど、SOSして欲しかった」
夫は温め直した夕食に箸をつけながら、ぼそりと漏らした。
わたしは一週間前のことを思い返した。夫は交際範囲が狭く、飲み会などに頻繁に足を運ぶタイプではない。ここひと月ほどは職場と家の往復で、休日も家事を手伝ってくれるか体を休めているかのどちらかだ。
「さすがに卒業生の日常までは把握できないものね」
洗い物を手にシンクに向かう夫に、わたしはそう声をかけるのが精一杯だった。
※
亡くなった元教え子、野崎絵美はこの春、小学校で教鞭を取り始めたばかりだったと言う。事故現場に遺書らしき物はなく、発作的に飛び降りを図ったと見られているらしい。
わたしは夫が仕事に出ている日中、何か事件に付随するトピックがないかどうかネットの記事をあさった。死者のプライベートを詮索するのはお世辞にも品のある行動とは言えないが、わたしの立場でできることと言えば、夫の罪悪感を少しでも払拭してあげることしかなかったのだ。
わたしの目がふと止まったのは、ネットニュースのコメント欄に気になる書き込みを見つけた時だった。
『被害者の方の同級生ですが、つい最近、会いました。人間関係で悩んでいる的なことを漏らしていました。雰囲気から察するに、彼女がいる男性と深い仲になったという状況のように感じました。そう言った背景もあったのではないでしょうか』
これだ、とわたしは思った。ニュースにはオーバードーズ気味だったという情報を載せているものもあり、発作的に飛び降りたという可能性もなくはない。
――これで夫に「恋愛問題じゃ、先生に相談することはなかったと思うわ」と言ってあげられる。
わたしはコメントの画面を保存すると、スマホをダイニングテーブルに置いて買い物のための身支度を始めた。
※
わたしが気落ちする夫を過剰に心配するのは、ここ数年、夫の身にストレスのかかる不幸が立て続けに起こったからだ。
最初は二年前、夫の母――義母が突然、事故で亡くなった。前に住んでいたマンションのリビングで倒れ、頭を打ってそのまま亡くなったのだ。
さらに半年後、母を失ったショックも癒えないうちに今度は夫自身が交通事故で大怪我を負い数日間、意識不明の重体が続いたのだった。
意識が戻ったのは三日後、それからリバビリや復職の手続き、引っ越しなどでしばらくは慌ただしい日々が続いた。わたしたちが穏やかな日常を取り戻したのはごく最近と言っていい。
それなのにまた、夫を悩ませるような事件が唐突に起こる――なぜだろう?
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