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 西暦二〇六六年、今にも来るぞ来るぞと言われ続けていた、東海・東南海・南海連動地震がようやく発生した。これによって九州から東北地方にかけての広い地域がその被害を受けたが、実際の悪夢はその後にやって来た。まず情報ネットワークの寸断である。二〇三〇年代に電信省として国営化されていったされていった旧NTTの基地局が、地震の揺れ、土石流、津波などの被害を受け相次いで倒壊。これに伴い、東京では電話回線とインターネットはほとんど使用不能になり、この状況を重く見た政府による緊急ネットワークが提供されるも一瞬でパンク。電気、水道、都市ガスなどの基本的なインフラがストップしたことも相俟って、都内の生活は一瞬にして前近代へと逆戻りした。

 幸いにも水道は直ぐに復旧したが、電気、ガス、ネットワークはなかなか復旧しなかった。このことが、歴史家をして「学術知最大の危機」「戦後最大の悪夢」と言わしめる動乱を引き起こした。これまで生活の情報リソースとなっていたテレビ、ラジオ、インターネットが利用不可能なものとなったため、市民が得る情報は新聞、雑誌もしくは「人伝て」によるものがほとんどとなった。しかしながら、社会混乱に乗じて情報を悪用する連中のたゆまぬ努力の結果として、新聞と雑誌の質は総じて劣化。昨日の嘘は今日の真実、今日の真実は明日の嘘となり、客観的に「正しい」と判断できるものは、見ることも聴くこともできないテレビとラジオの番組表、それからスポーツの試合結果くらいになった。

 そんな中、誰が発生源かは不明だが、「先の震災は人の手によるものだ」という流言がいつの頃からか飛び交い始めた。悪事千里を走るというわけではないが、噂は人から人へと伝わり、「震災は自然発生によるものである」という政府の公式声明すら――情報媒体が完全でなかったこともあって――かき消してしまった。そして二〇六六年の暮れ、来年は良い年でありますようにと多くの市民が願うなかで事件は起きた。陰謀論を信じる過激派からなる少人数グループが同時に都内の大学図書館数館を急襲、プラスチック爆弾と火炎瓶を炸裂させた。この過激派の行動がかなり綿密に計画されていたこと、また事件が発生するまで存在すら明るみに出ていなかったことも相まって、大学は全くの不意を衝かれる形となり、甚大な物的・人的損害がもたらされた。「大学図書館同時多発テロ」と名付けられたこの事件の三日後、実行犯は全員検挙され終身刑が言い渡されたが、それ以上に、「知識を持った奴らがおれたち市民を見えないところで虐げている」「我々は組織の末端に過ぎない。情報を掌握し諸悪の根源となっている金持ちと知識人は根絶やしにする」という彼等の証言が国中を震撼させた。

 これを受けて、情報の管理者、学術知の管理者の存在が大学関係者や一部の市民、財政界から要求されるや否や、時の首相・一条は迅速に「学術保護のための特別措置法」を発布し、与野党の意見を全て無視して図書館改革に踏み切った。彼の目的は学術知を含む知的財産の厳重な保護管理、またそれに従事する人員の保護であった。後者はテロの尋問に際して実行犯の一人が「大学の図書館長は恣意的な閲覧制限を設け、我々が得る情報を操作している」と発言したことを受けて――もちろん図書館の閲覧制限の判断基準は国立国会図書館規則に準拠するため館長が故意に閲覧制限を設けることは事実上不可能なのだが――定められた。

 一条首相が最初に目を付けたのは司書職の地位向上であった。それまで財政状況を理由に非正規雇用と低賃金が一般化していた司書職を「綜合司書」として再編し、これに国家資格を付与することにした。二〇六八年、筑波大学に合併されていた図書館情報大学を「図書館大学院」として再独立させ、これと同時に図書館法を改正。第五条にて定められていた司書の資格を大幅に変更した。


 一 図書館大学院修士課程を修了し綜合司書国家試験に合格した者

 二 次に掲げる職にあつた期間が通算して三年以上になる者で綜合司書国家試験に合格した者

  イ 司書補の職

  ロ 国立国会図書館又は大学若しくは高等専門学校の附属図書館における職で司書補の職に相当するもの

  ハ ロに掲げるもののほか、官公署、学校又は社会教育施設における職で社会教育主事、学芸員その他の司書補の職と同等以上の職として文部科学大臣が指定するもの


 この条項では改正前に定められていた「大学を卒業した者(専門職大学の前期課程を修了した者を含む。次号において同じ。)で大学において文部科学省令で定める図書館に関する科目を履修したもの」という部分が全面的に改正された他、「大学又は高等専門学校を卒業した者で次条の規定による司書の講習を修了したもの」という文言が削除された。

 こうして司書を国家資格へと変更すると、首相は公共図書館の一部を国立図書館に再編する政策を提示した。この再編は莫大な費用を要求したため、復興の優先を唱える野党からは強い反対が挙がったものの、持ち前の迅速果断な行動力によって政策は強引に推し進められた。二〇七三年、大学との連携の下で一般利用と学術利用の両方を担う図書館として新たに「綜合新図書館」という分類を設けると、試験的運用として七五年に福岡市総合図書館および名古屋市舞鶴総合図書館、八〇年に広島県立図書館および京都府立図書館、八三年に都立中央図書館に「綜図オフィス」を次々に設置、これらを綜合司書の受け皿とした。およそ四半世紀にわたり政権を運営した一条首相は、都立中央図書館の綜図オフィス設置を見届けると退任、その翌月に死去。享年七七で世を去った政治家は、独裁者というイメージが持たれた一方で、後に「知の救世主」「大文人政治家」などと呼ばれるようになる。

 そして世間が急激な変化を見た二一世紀後半から約五十年が経過した現代、西暦二一二二年――嘉祥かしょう一三年。通りの桜がすっかり緑一色になった五月初旬のことである。

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