第14話 誓旨の大社
ふさふさと長毛をなびかせて、猫たるおれは痩せっぽちな灰色の少女を見た。
浴衣のような着衣は乱れ、髪も体も泥だらけ。おまけに、応急処置が効いてはいるが——気色悪い闇色の魔力に全身を蝕まれつつあるようだった。
おれは寝起きの少年のような声色で、女助手——カミナの背後に立つ《ホロ》に呼びかけた。
「えぇと、《ホロ》……残り時間は?」
『……55秒です。契約の即時締結および執行を推奨。』
「おいおい、まじか……因子のストックは充分だったはずだけど……。」
ホロは相変わらず抑揚のない調子で時間を告げる。おれの羽刷毛のような長い尻尾が、意識の制御をはずれてぱたぱたと左右に振れ動いた。
「おい、なあ、えぇっと……。」
『スキャン結果を共有します。個体名:カミナ=ルシッドレッド。15才。性別:メス。フラガニール騎士学院所属。体格データ——上から胸囲:8……』
「ちょっ、ちょい、ストップ……!」
おい、助手よ。なぜバストから……?
おれの潜在意識の問題か……?
欲望ってやつは、何度生きても厭わしい。
「……こほん。なあ、カミナ。時間が無い。手早く取引といこうじゃないか。おれの力でお前の望みを叶えてやるよ。その代わり……。」
「うん。わかったわ。万事よろしく。」
「ああそうだろう。警戒するのもよく分かる……! 説明しよう。力の《対価》は……ん? 今なんて?」
『43……42……』
「死ぬでしょ、わたし。何もしないと、みんな死ぬ。」
「まあ、そうだけど……望みとか?」
「特にない。どうにかできる?……してくれるなら、なんでもいいわ。」
「あぁ、そう、か……?」
薄い。感情が。欲望が。
目の前の少女は灰色だった。瞳も、髪も、心の中も——その薄弱な魔力すら。
「……足りない、な。」
それでは、足りない。
おれの求める《契約》には、対価以前にそもそもの動機、心の底からの強い願いが必要だからだ。
幸いなことに、この症状の原因は我が事のようによく分かる。
——強引だけど、仕方ない。
おれは尻尾に銀色の魔法陣を浮かべてくいっともたげ、その先端をひょいと伸ばすと、棒立ちの少女の胸元に——心臓めがけて突き入れた。少女の躰がぴくん、と跳ねた。
「——廻れ・四象よ==簡易解錠:《銀の鍵》っ!」
仄かな光。少女の奥で、小さくかちりと音がした。
心の鍵を象る旧世の魔法は、三元の一つ——四象とよばれる4属性の魔力をこじ開けて、秘めたる情動を喚び起こす。
気持ちが魔力を高めるというが、感情は魔力の源ではない。魔力こそが感情の源なのだ。
魔力が、燃える。
「ある……ある、あるわ。あるわ! たくさん!」
効果は覿面。
灰色の瞳に色が踊り、無表情には表情が、青白かった頬には薄っすらとピンクの紅が差してきた。
「……死にたくない。痛いのは嫌。弱いのも嫌。強く、なりたい……世界一。」
「世界一……! おう、おう……そうだな!」
——いい感じだ。
おれは心の内でほくそ笑んだ。
叶える願いは大きければ大きいほど、願う強さは強ければ強いほど望ましい。
なぜならば、おれがカミナに支払わせる対価の高さ——それに釣り合うだけの強度の願いが必要だからだ。
しかしまあ、無気力そうな、こんな娘が……「世界一」などと口にするとは。
意外といえば意外だが、してやったりというものだ。
解釈次第で対価と釣り合う大きな願い。
そして何より、おれにかかれば不可能ではない。
しかしカミナは止まらなかった。
「体力、魔力、それから、魔術……。学校は嫌だから、魔術、教えて。とにかく強いの。いろんなやつを。ゲロマズ玉を食べさせてきた
「お……おう? そうだな……?」
「——好きなものだけ、素敵でおいしい、1日3食4おやつ。夜寝る前のハーブティー。特選の茶葉を日替わりで。いつでも入れる熱いお風呂。堅苦しくないやわらかい服。防御も万全。あ、そうだ。もふもふペットを撫で回したい。都市は嫌い。街の外に出て旅がしたい。できるの? ぜんぶ?」
「できる、できるが……ちょっと待っ……」
めっちゃ喋る。欲がやば……。
鍵、開けすぎた?
『26……25……』
無情なホロのカウントダウン。
「ちっ……時間が無え! 《対価》の説明、省いていいな?」
「あとなんだっけ。それから、それから……」
聞いてない。イエスと取ろう。
恥ずかしそうに、そして少しだけ寂しげにカミナは言う。
「……ともだち、いない。ともだちに……なる?」
「わかった、わかった……! 《願い》はそれで最後だな?」
「……もう終わり? ……けちんぼねっこ……。」
困ったわねと小首をかしげ、不満をあらわに少女は言った。
限界だ。
「《契約》するぞ! ホロ、頼むっ……!」
『……16……15……《誓旨の大社》——起動します。』
時間はぎりぎり。祭壇が、床が、神殿そのものが揺れ動き、光る粒子を発し始める。
巨大な神殿の左右には鳳の大翼のごとき側廊と副殿が音もなく現れ、おれたちのいる本殿へと接続される。
上空には、虹色に輝く三つの巨大な光環と十八枚の光翅が顕現した。現界に用いた存在因子そのものを霊的な燃料として、遥かなる調停神へと繋がる儀式装置と成したのだ。
おれは契約の起句となる詞を厳かに。注意深く、早く正確に諳んじる。
「——《誓約する》。——我が名はサマヤ、『廻る者』なり。我、大いなる対価をもって、須らく汝の願い聞き届けん——。」
「『——《誓約する》。——我が名はカミナ=ルシッドレッド。我、大いなる対価を捧げ……我が誓願の成就を望む——。』」
応答の詞。ホロから告げられる言葉を愚直になぞって、一句違わずカミナが唱じた。
あと8秒。
黄金に光る祭壇から複雑精緻な文字と呪紋が滔々と溢れ、広大な空間を満たし尽くす。それらは互いに相結び、少女と猫、祭壇、神殿、その外周に至るまで、何重にも立体的に重なる魔法陣の層を紡いでいった。
「「『——《誓約する》——我らが詞、三元九属の魂魄結び、相生相死の契りとなせ——』」」
声を合わせておれたちは続ける。
「「『——《聞こし召し給え》===《契約執行》エグゼキューションっ!!』」」
そしておれたちは天上を貫き届くよう、高く朗々と詠唱の結句を言い放った。
——刹那。
清冽な光が無垢なる繭のようにふたりを包み、そして弾ける。
ふわりと解けた光芒の束。綾成すように天地を彩り、新たな契りを寿いだ。
使命を終えた床が、壁が、壮麗な神殿そのものが、さらさらと光って崩れ始める。
『……1……0。活——限界——……ヲ——解……ます。』
使命を果たした白き女性——この擬神殿の意思もつ
天に舞い散る光粒とともに、すべては泡沫のように眩く弾けて消え散った。
眼下に広がる黒い氷原。落下しながらカミナは思う。
(ん……? 『対価』……?)
——もう遅かった。
そして時間が動き出す。
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