第11話 灰色の剣
《
詠唱とともに放たれた灰白い光はふわりとカミナの体を包み。
仄暗い森を薄い燐光がほのかに照らすと——そのまま何の痕跡も残さず静かに消える。
魔術の結果は、それだけだった。
カミナは相変わらず右手に剣、体には薄い湯浴み着だけを身に纏い、ゆっくりとその場に立ち上がる。
「なんだぁ? そりゃあ……?」
ヴォーチェは初めて、本当の意味でカミナを見た。
メインをいただく前の邪魔臭い殻。喰らう価値があるような魔力すら持たない、クソ生意気な腹立つクソガキ。
不可解だった。見覚えのない奇妙な術。何が起こるのかと思ったら、この痩せっぽちのクソ娘ときたら、相変わらず裸同然でぼんやり立っているだけなのだから。
——面倒だねぇ。
逆に、怪しい。あるいは暴威を発散したことで少し落ち着いたのか。短気な言動、激しやすそうな見た目とは裏腹に、初手から慎重に距離を取ろうと僅かに動く。
その隙をカミナは逃さない。
「——っ……しぃっ!」
目にも止まらぬ疾さで予備動作なく跳躍すると、抜き身の剣を相手の首元へ一閃。
重ねて二閃。
がぎぎぃんと白い火花が散る。
娘の細腕にはあり得ない、重く鋭い連撃だ。
大鎌の柄で難なく初撃を受けた魔女は、目を丸くしつつ、どこか喜んでいるようでもある。
柄尻の小鎌を用いた反撃は、カミナの見失いそうなほど素早い回避に空を切った。
「……っはあ、やるねぇ!? ……おまえら、手ェ出したらぶった斬るからなぁ!?」
周囲ににじり寄る屍者たちを威圧し制すると、巨大な凶器を片手で風車のように回しはじめる。飛び退るカミナを追って高く跳躍するとともに、豪速で回る刃を投げつけた。
「——ぶっっ千切れろやぁ……《旋斬華》!!」
たとえ重鎧の騎士であっても両断、いや何人もまとめて細切れにするほどの暴威をもって襲いかかる鋭刃の旋風。避けようの無い空中に放たれた必殺の鎌。
カミナはその回転する柄に難なく両手を差し入れる。あろうことかふわりと受け止めて。
「……ん。返す。」
くるりと全身を捻りつつ、指をかける。
回転の勢いをそのままに——いや幾分か加速すらさせて、敵めがけてびゅぅんと放り返した。
「……っ!……なんだぁてめぇ? ——生意気だなぁ! うぉらぁぁああ!」
増した威力を意に介せず、ばしんと音を立てて鎌を受け取ったヴォーチェ。
反撃とばかり、怒りを撒き散らすかのように鎌を振り回す彼女の脳内は——激しい見た目とは裏腹に氷のように冷静になりつつあった。
(……何かしてるな。うざったい小細工ってやつをよぉ……。)
より多く殺すための圧倒的な殺意と暴力。より確実に殺すための徹底した技術と洞察。それらを高い水準で併せ持つからこそ、女は百年以上にわたって《殺生》のヴォーチェと呼ばれて恐れられてきたのだ。
「うぅらぁあ! 《百華暴嵐》っ!!」
「——《
嵐のように全方向から繰り出される死刃の剣閃。カミナは掴み所の無い浮塵のように、それらを躱して逸らし、逸らしては受け、受けては躱す。
ステップを踏み舞い踊るように、懐に入っては急所への鋭い刺突を、退きながら手首や足首への厭わしい斬撃を、僅かな隙を見つけては矢継ぎ早に繰り出していった。
(……うぜぇ。このガキ、胸糞悪ぃが、天才の類か……。)
鎌を握る手から伝わるざらついた感触。精度を高めた魔力の眼による観察から、カミナの実力——そして用いる術の正体について、ヴォーチェは早くも結論へと辿り着いていた。
「……塵……いや、《灰》か? 撒き散らしたなぁ?」
「……ばれちゃったのね。ご明察。」
カミナが魔術で生み出せるのは僅かな火花、そして奇しくも彼女の通り
しかし、その灰こそがカミナの絶技。
魔力を帯びた彼女の灰は、纏えば肉体の動きを意のままにサポートし、撒き散らせば周囲の空間を完全に知覚、さらには敵の動きをゆるやかに逸らして妨害する。
カミナは言った。
「もう、遅いけど。」
(——《火石》フリント……起爆)
小剣の柄に仕込んだ小さな火石に、なけなしの魔力を注いで火花を繰り——灰から爆ぜた爆炎を蹴る。
本来受け継いだはずの火魔術が使えない、出来損ないの《灰娘》。
彼女は長い苦悩の末に、わずかな魔力の灰を操る《
その限られた力を最大限に活かすため、天才騎士たるモーケスを師として磨き上げられた戦闘術こそ《
引火性を持たせた《灰》を精確に起爆し跳躍台とすることで、常人にはあり得ない速度と軌道で縦横無尽に駆ける技術だ。
瞬時に跳んで——木を蹴り、宙を蹴り、二度。三度。反応を許さない立体的な高速機動で切り返すカミナは、瞬く間に敵の背後に回り込む。そしてそのまま——
(——もう一回……!)
火石にさらに魔力を込める。
小さな手持ち花火ほどの、しかしカミナが咄嗟に出せる最大の火閃。
弾ける炎が、四方の空気を爆ぜさせる。
「《
小爆発を囮としつつ、《灰》を纏った爆速の回転斬り。
棒立ちとなるヴォーチェの頭上の死角から閃光のごとく、喉笛めがけて放たれた。
自身の名を冠した超速の一撃は、人間の反射速度を凌駕する。
いかなる詠唱も置き去りにする——「術師殺し」の絶技だった。
——そのはずだった。相手が並みの術師であれば。
「……ぶっっっ……《凍れ》えぇっ——《
詠唱を破棄。
空間が破裂するかのごとく放たれた膨大な魔力。
魔術を帯びて、凍てつく大鎌が確かな死を伴って薙ぎ払われる。
(……っ……!!)
避けきれない。
荒ぶる吹雪のような極寒の波動が、一瞬でカミナの視界を冷気に閉ざす。
吹き荒れる風。
冥府の氷——光を滅する紫黒の氷爪が無数に生じる。
切り裂き、突き刺す、凍てつく暴嵐。
木々を、大地を、揺蕩う湖面をも遍く捉えて覆い尽くす。
灰も、炎も、斬撃も。すべては虚しく喰らい裂かれた。
それは、魔女の秘技たる旧き魔法。
仇なす者を裂き破る氷河は、純粋な暴威の顕現だった。
——《灰闘術》。
きっと成功していただろう。
そう、その相手がよりにもよって《殺生》のヴォーチェ——生前には氷瀑と呼ばれて恐れられた、伝説級の魔女でさえなかったならば。
穏やかで平和だった小さな湖畔の風景は今、何もかもを凍てつかせ。
少しの生命、少しの熱も許さない、毒々しい紫黒の氷原と化したのだった。
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