第10話 殺生の魔女
——この気配……確かに覚えがある。
老執事ウェルダは、険しい面持ちで手を止める。
辺りには、無残に刻まれた死者たちの体。それらは周囲の木、石、地面に溶接でもされたかのように不自然に固定され、びくん、びくんと虚しく震え、蠢いている。
既に十数体もの化け物を屠ったにも関わらず、低く構えた短槍の穂先には一点の曇りも無い。
老人の技量の高さが窺い知れた。
もはや残すところはあと数体。早くカミナの後を追わなければ。そう思った矢先に、ざわりと寒気を帯びて森の空気が変わったのだった。
「……急がねば、じゃな。」
忘れもしない、死が跋扈する南の果て。
最前線に身を置いた頃の、臓腑をちりちりと抉られるような戦慄。緊張。
それは確かに、大遠征と呼ばれた殲滅戦で感じた恐るべき魔力に違いなかった。
(……お嬢様……!)
ウェルダは首筋に感じた冷たいものを振り払うように、鬨の声をあげて屍兵たちへと躍りかかった。
**
「なぁんだ……ようやくお出ましかい?……なんとも不味そうな嬢ちゃんだ。美味そうなガキはウチの中かぁ?」
外へと躍り出たカミナを出迎えたのは、数十体にも迫る屍人と泥魔の群れ。
そして、その中心に傲然と立つ、一人の異様な女だった。
身の丈は大柄な男にも迫るほど。
豊満というよりは筋肉に満ち満ちた恵体を惜しげも無くさらしている。網状のタイツのような着衣。締め付けられた体の上から青黒い金属質の胸鎧と腰当て——いわゆるビキニアーマーというものだろう——と、膝から下には同じ素材の刺々しい脚鎧を纏っていた。
「ちっ、家ごとぶち壊そうかと思ったのにねぇ……。」
邪魔だわあ。残念そうに言い捨てると、手にした得物をびゅおんと回す。
その途端、突っ立っていた屍人の数体が、ばちゃびちゃと音を立ててその場に崩れた。
不気味な大女は、禍々しい気配を放つ大鎌のような得物を肩に担いでいた。
下卑た笑みを浮かべながら辺りを睥睨する。
黒くねじくれた長柄の両端には大小の鎌。闇に濡れてぬらぬらとした輝きを放っていた。
「……あなた……だれ?」
カミナは言った。
右手に剣を構える以外は、先ほどの湯浴み着と父の外套。下着も着けず、細々とした両足は素足という、あまりにも頼りない出で立ちだった。
「なんだい、嬢ちゃん?……風呂上がりかぁ?」
「ちがう。おふろに入る前。」
「……あぁ゛ん?……そうかい、そうかもねぇ……!」
「だから、できれば、帰ってほしい。」
額に一瞬ピキリと血管を浮かべた大女は、切れ上がった目尻をひくつかせる。
「……なんだぁ、てめえ……舐めてんのかい……? あたしをだれだと思ってる?」
「だから、聞いてる。おばさん、だぁれ?」
「……おば——ったくよぉ。近頃のガキは勉強不足か?」
——このクソガキ。一周回って笑えるねぇ。
そう言って女は壮絶な笑みを浮かべた。
笑っていない。怖い。目が。
「……宵闇の《十悪》たるあたしの——《殺生》のヴォーチェの前に、そんな色事の後みてぇな恥ずい格好で……」
遥か南、常闇の魔女が統べる死の国の永久に凍れる玉座の下。
闇より出でて死を奉ずる、邪悪なる十つの魔なる存在たちが傅いていた。
人はそれらを《十悪》と呼び、災禍を、呪いを、そしてその武威を大いに恐れてきた。
《十悪》の一柱、《殺生》の悪、ヴォーチエ=トライカ。一国一城に相当する数の人間を殺し、殺して殺し尽くしてきた魔女にして生命の簒奪者は、熟練した騎士ですら死を覚悟するほどの、生ける者すべてに対する脅威である。
そして、高い目線から傲然とカミナを見下ろす彼女の紫眼には、軽蔑と嗜虐、そして荒れ狂いはじめた憤怒の色が宿っていた。
ちなみに、本拠地では闇嬢会メイデンなる派閥を束ねる領袖の一人である。
《殺生》ヴォーチェ。
生前からの肉体は百年ものだが、嬢である。少なくとも……姉ではあっても婆ではない。
そう信じている。
「しかも寝言まで宣いやがるのは……百年間で、たぶんてめぇが初めてだぜぇ……?」
「初めてなのね? それは……光栄?」
(えっと? せっしょう……って、なんだっけ?)
特に勉強熱心ではなかった不登校児は、あまりにも物を知らなかった。
大女——ヴォーチェの顔面がひくり、ひくりと痙攣し出す。
阿呆なのか? なんだ……なんだか、この、娘っ……!
あたかも噴火寸前の活火山を見るかのごとき奇妙な静けさがそこにはあった。
「あなた、すごいわ。」
「……あぁん? ……なんだぁ?」
「すっごい勇気。そんな格好で歩けるなんて。百年間も? わたしなんかよりよっぽどすごい。」
「……! ……っ………っ…………!!」
ちなみにカミナは、敵ながら「こんな美人がこんな格好で歩いてたら、たいそうモテモテで大変だったに違いない!」と思ったのだったが、決して相手には伝わらなかった。言ってないから。
ぶち。ぶちり。複数の血管が切れる音が聞こえたか聞こえなかったか。
ヴォーチェの周囲に、凄まじい魔力が渦を巻く。
(あ。まずいかも?)
さすがに危険を感じたのか、じりじりと湖のほうへ移動しながら。
「灰は・灰に——灰から・灰に——」
カミナは唱える。聞こえぬほどの小さな声で。
「……ぶっっっ……ころおぉぉォォすっッ!!」
足元を爆砕せんほどの乱暴な踏み込み。両者の距離を強引に詰めたヴォーチェの大鎌が、轟音と颶風を伴って真一文字に切り払われる。
一刀の後には、腰から真っ二つになったカミナの姿と、斬撃の余波に裂かれて大きく波立つ黒い湖面——
「——灰より出でて・灰へと還れ——」
——立ち姿のまま切り払われた、父の外套がぱたりと倒れる。
カミナは地を這うように身をかがめることで服から抜け、同時に六節から成る魔術の詠唱を終えていた。
「
カミナのちいさな体から。
薄灰色の、仄白い魔術の光が放たれた。
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