第9話 来訪者
水辺の小屋の東面の軒下には、ほどよい長さの薪がどっさりと積まれていた。
周りの森林から集めた原木を家人が伐って丸太にして、いつでも使えるように細かく割っておいたものだった。
積み切らない残りの薪は、きっと家の北側に作った背の低い薪小屋に整然と納められているはずだ。
「さぶぅ……さ、さぶぃぃ……。」
カミナは、粗布の袋を片手に外に出て、なるべく乾いた燃えやすそうな焚き付け——蒸気風呂と暖炉に焚べるためだ——を一本一本選んでいるところだった。
脱げかけた湯浴み着の上に大きすぎる父の外套を羽織り、爪先に亡き母のサンダルをつっかけている。
さっと外に出て戻ることだけを考えた、冬の夜の寒さを防ぐにはあまりにも頼りない装いだった。
雨の音の他には木々がわずかにざわめくばかりで、死者の発する音も臭いも、特有のぬらりとした魔力の気配も感じられない。カミナは、老執事の足止めが首尾よく終わったのだろうと理解していた。
「あああー、さぶい、さぶぶぶぶ……。」
もちろん体内に魔力を熾せば、たいがいの寒さであれば跳ね除けられる。火魔法を使えないカミナとはいえ、その程度であれば容易かった。
しかしそれは、死者たちの目をこちらに向かせる危険な行為だ。生命の火を死者は求める。
そのことをよく理解しているカミナだから、こうしてブルブル震えながらも、やむなく手ずから火を起こそうとしているのだった。
「も、もう、これくくくらいで、いいかしららら……」
細め、太めあわせて10本程度の薪を包んで抱え、カミナは苦労しながら階段を上っていく。
暖炉に火をつけたらスープの準備。干し肉と瓶詰めの野菜を炉端でゆっくり煮込みながら、あったかい蒸気のお風呂に入って……。お湯を沸かしてミルクも作って。火打ち石は物入れの引き出しにあったかしら。
懐かしい家。気持ちが緩んでしまうのは仕方が無かった。
うきうきと夢想をはじめた少女は気づいていない。今の状況——戦える者なくして逃げ隠れる状況においては、魔力を熾す危険について、その場の全員が理解している必要があったのだ。
(……ぁぁ………ぉ……ぁ……)
突如として聞こえたその声は——熱を伴う魔力の波動を伴ってカミナの感覚を捉え、逆立たせた。
——うぇあ……うわぁぁん……!
か細く、小さく、次第に大きく、泣き声が闇夜に響きわたる。
「……っ! だめっ……!」
部屋に残された幼きオルバ。
誰もいない見知らぬ部屋に一人で置き去られた弟が、わけも分からず泣き始め——それと同時に、制御されない赫々とした魔力を撒き散らし始めたのだ。
青ざめたカミナは薪を放り出し、取るものも取りあえずに家の中へと駆け出した。
あの子をまずは泣き止ませなきゃ。だけど、それでも、そのあとは? もしも、泣き止まなかったら……? どうしよう、どうしたら……?
[[[——……——?。 ——…………!]]]
木々の、森の、訪れた宵闇の空気が変わる。遠ざかっていたざわめき。気配。
昏く潜んでいた存在が、活き活きとした新鮮なエサの臭いを嗅ぎつけて、ぞわり、ぬらりと蠢き始める。そのことが家の中からでも感じられるほどだった。
小さな弟の声は雨音を突き抜けてよく響いた。赤髪灼眼から立ち昇る濃密な魔力は、たいそう大きなご馳走に見えていることだろう。
「……うぅっう、ふぐぅふ、ままぁ、ままアァ……!」
「ほらほら、いい子ね、大丈夫……大丈夫だから……!」
大丈夫なことなんて何にもない。だけどお願い、泣き止んでっ……!
甘えん坊で継母にべったりの弟を、カミナがどうこうなどできるのか。
母性の薄い寂しい胸元を省みながら、少女は忸怩たる思いで歯噛みする。
「……アァッ……うわああぁぁあーーン……!」
(お菓子で釣る? それとも玩具? いっそ気絶でもさせようかしら……)
などと不穏なことを考え始めた矢先に。
それは来た。
[……こぉ……ぁぁん……わぁあ……]
遠くはない。いや近く。外からだ。
——この感じ……?
[……ばぁあん……わあぁ……]
もう、玄関の前にいる。
いったい、誰?
……違う。何?
知り合いの誰かではもちろん無い。だけど、屍人や泥魔でもない。ふつうの死者は口をきけない。
「もぉーしもォーし? こぉんばァんわあァー……!」
ともすると熟れた女のような、しかしあまりにも濁った不気味な声。
明らかに人間のそれでは無い——おどろおどろしく、生々しい。暗く冷たく凍えた気配。
それは濃密で精神が捻じ曲げられそうな、爛熟した魔に違いなかった。
大泣きをやめたオルバがふぐぅ、ひっく、とえづく声がする。赤子とはいえ、身近に迫る危険を本能的に感じたのかもしれなかった。
「ちょおっとォぉー?……無ぅゥ視してんじゃねえェわよぉおっコラァ! ぶっkkこわスぞォ? ごぉォらァぁぁーッ?」
荒ぶる女……のような何者かのひび割れた罵声が——おそるべき魔力の波が、湖畔を、建物を、か弱い二人を震わせた。きっとこのまま、扉を、家を、そして二人を蹂躙するに違いない。それだけの力が相手にはあった。
……それは、だめ。
カミナは思った。
薄く目を閉じ、すぅ、はぁ、と一呼吸して目を開ける。心は不思議と落ち着いていた。
床に落ちた愛用の小剣を引っ掴んだカミナは、風のように部屋を駆け抜ける。玄関扉を跳ね開けて、ひらりと闇夜に躍り出たのだった。
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