第2話 来たれ照霊

堅い岩盤を掘り抜いた薄暗い回廊。

沐浴に濡れて冷え切った胸に、腕を回して暖をとる。

地下聖堂を後にしたカミナは、陰気な通路をのそり、のそりと歩いていた。

儀式の場までの道程は、不自然に遠く感じられた。


父からは、儀式を受けなければ勘当、追放と言われていた。


(「もう娘とは思わない! 家から出ていけっ——!!」)

あの父が——外では炎匠なんて呼ばれて恐れられてるのに娘にメロメロのデロデロな父が——あふれる涙を(実際に)飲んで、そう言ったのだ……。


中年の涙、ちょっときもいな……と思ったカミナも、さすがにちょっと悪いのかもとは反省したりしなかったりして、夜のおやつは我慢した。


——そんなに言うなら、仕方がないわ。


やむを得ずカミナは儀式を受けると約束した。

照霊アニマを呼び、成人として、都市を護る騎士としての資質を示すために。


カミナの内心はさておいて、ひとつ確かなことがあった。

能力も、生活の術も人脈もない。

意欲すらほとんど持たないカミナにとっては。

明日も快適な在宅生活——不労不学三食おやつに適度な運動までセットな最高最強引きこもニート駄娘生活を続けるには——もはや、逃げるという選択肢は残されていないのだった。


(——わたしなんかが照霊を手に入れたって、どうせ、無駄だと思うんだけど。)


乾いた灰色の目が、目の前に現れた重厚な木扉の色を映して染まる。

その色はどんよりと灰黒く、深い諦念のような色だった。


「(すぅぅぅ)——はぁぁあ…………。」


万感を込めて空気を吸い切り、長く湿ったため息を吐き出す。

薄く緩く、灰色の魔力を巡らせる。


(……それでも。無駄だとしても、もしかしたら……もしかしたら何かが、変わるかも……。)


馴染んだ魔力が熱を持ち、久方ぶりに、少しだけ前向きな気持ちを呼び起こす。

重い鋳鉄の把手を握り、力を込めて扉を開けた。


**


室内の壁、床、柱は、薄い黒班の入った白大理石で統一されている。

砂と水で磨いて艶を抑えた、神官たちが好みそうな質感だ。

装飾的な柱に支えられた天井は、岩山を刳り貫いた彫り痕がそのまま残る荒々しい仕上げ。

床には何も置かれていない。

敷石の目地が、黒鉄で縁取られて物憂げに輝いている。


くすんだ灰眼を刺すように、きらりと光が飛び込んできた。


「……えぇっと、鏡……《照鑑かがみ》は……あれ、かな?」


石造りの小部屋の奥には同じ素材の祭壇が設えてある。

壁と同じ石でできた艶のある天板には、手のひらほどの小ぶりな鏡が置かれている。

一点の曇りもなく磨き抜かれた、真円形の銅鏡だ。


これが《照鑑》。

思ったよりも小さいのね。

何とはなしに、カミナは思う。


鏡の左右に、燃え尽きかけた1対の蝋燭がちろちろと炎の舌を揺らしている。

きっと前回の儀式の燃え残り。

カミナの儀式が重視されていないのは明らかだった。


火に照らされた室内をひととおり——未練がましく観察すると、観念したように扉を閉め、祭壇の前に進み出た。


記憶を辿って言葉を紡ぐ。


「……えっと、《起句》は……『照らせ。照らせ。母なる光。父なる——炎。我が血は血河けつが。命は……篝火かがりび——』」


鈴のような、というには少しばかり掠れた小さな声。

冷水に浸かって喉が枯れたし、そもそも大きな声を出すのは得意ではなく、好きでもなかった。


神殿に伝えられた起句により鏡を『起こし』、霊なる世界とこの世を繋ぐ。

すぅっと右手を持ち上げて、鏡に小さな手掌を向けた。


(……お願い。来て……。)


「……遠く、近き、聖火のしもべ——集え、集え——照覧せよ——。」

続く《承句》をつっかえながらも吟じていく。

遥かに存在するといわれる幽界を想じて目を閉じる。


(……第一階位……せめて第二か……第三でも……。)


勲話に語られる数多の力ある英霊たち。

騎士には、最低でも第三階位の照霊を従えることが求められた。


絵物語に残された、名だたる英雄、精霊、霊獣。

輝く勇姿が心に浮かぶ。

軽く開いた手のひらから、仄白い魔力の波を滔々と放ち——


(……誰でもいいから(ただしかわいいに限る)……来て……お願い……。)


「——来たれ照霊アニマよ——我が身の光の招きに応え——此岸に来たりて常世を照らせ——。——我が名は——カミナ=ルシッドレッド——!!」


願いを込めた名乗りととともに、《結句》に至る。

一気に力を解き放つ。


徐々に激しく、光を帯びて。

小さな照鑑が身悶えるように震えだす。

纏う微光は輝きを増し、白く、眩く。

遍く全てを包み込み————


…………。


……………………。


…………………………………………。


…………。


——音もなく。

幻のように消えていった。


あたかも何も起こらなかったかのように。

  


(………………。…………………?)



来るべきはずの照霊は、影も形も見当たらない。

消えた蝋燭の火だけが、何かが起こったことをかろうじて証していた。


(…………? なんで……?)


諦めない。認めない。

両手をかざし、もう一度。もう一度。もう一度。


(……来て……来て……来てっ……来いっ……!)


何度も、何度も魔力を放つ。


(やむをえない……今なら……1日3食……なんなら、おやつもつけるから……!!)


《照鑑》はただの鏡のように、少しの反応も示さなかった。


……………………。


「……うぅ……なんでよ……どうしてなの……。」


膝をつき、少女はうなだれる。

神に祈る。

いや、神そのものに絶望したかのような姿勢だった。


「——もしかして……。」


少女は言った。


「——おやつは食べない系だった……?」


凍てついた真っ暗な堂内には、ずぶ濡れの少女と無言の静寂だけが残されていた。


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