第1章:灰より出でて

第1話 照鑑の儀

(冷た……つめだぃ、死ぬうぅぅ……。)


灰髪の少女。

カミナ=ルシッドレッドは震えていた。


都市の中央。

霊峰の山頂近くには、大神殿が聳え立つ。


硬い岩盤を刳り出すように造られた、荘厳にして頑健たる聖火の教堂。

眼下に広がる生と死の営みを超然と見下ろす佇まい。

その地下深く。地下聖堂の、痺れるような冷気のなかで。


「……まだです。沈めて。沈めなさい。」

冷徹な女の声が響く。


肉付きのよくない貧相な裸身に、粗く織られた麻布の沐浴着。

なみなみと揺蕩う冷水の槽に、カミナは何度も沈められる。


計り知れぬ年月を支えてきた荒々しい積み石のアーチ。

古代の石工による質実で美しい飾り彫り。

荒立つ水中にもがく少女からは、歪んだ泥色の模様にしか見えていない。


——半年ほど前。

ひどく暑い夏至の日に、カミナは儀式から逃げ出した。


そして今日は、その暑い日の半年後。

秋を越え、真冬へと差し掛かるこの季節。

カミナが凍てつく水に浸け込まれるのは……つまるところ、単なる自業自得でしかないのだった。


(……やぁばぃぃぃぃ………しんじゃうぅぅゥ………!)


側に控える無慈悲な修道女たちが、無様にもがく少女の躯を押さえつける。

いざとなれば槌矛を振るう堅い手掌は、筋力、魔力——あらゆる抵抗を拒絶する。

猛禽のように曲がった指が、か細い鎖骨にぎりぎりと食い込んだ。


(……なんだろ……なんか……ひどすぎるぅぅ……)


逃げ出したカミナひとりのために、朝から準備した儀式。

寝坊した少女が到着したのは、日没直前。


しかも、その少女が——よりにもよって街で有名な出来損ないの《灰娘》だったときたものだから、それはもう修道女たちの不興を買い漁るほどに買ったのだが。

常識と心の機微に疎すぎるカミナには、怒られる理由の検討さえもつかなかった。


凍えた肢体は力を失い、水底へと虚しく縫い止められる。

噛み鳴らされる奥歯の音は、いつか幼いカミナを襲った、死者たちの嗤いのようだった。


「……ええ。ええ。いいわ。起こしなさい。」


信仰と慈愛に生きるはずの女司祭は、冷徹な事務員のようだった。

カミナのことを淡々と、毟られて茹でられる鶏のように処理していく。

あるいは、腹の足しになるから鶏肉のほうがマシだぐらいに思っているのかもしれないが。

堰鼎都市の食糧事情は、お世辞にも豊かなものとは言えないのだ。


カミナがざばぁと体を起こす。


「ぶるるるるううう゛ぅー……」


剛健たる女たちに脇を抱えられ、うめきながらなんとか立ち上がる。

頭を柔布で拭われながら前襟を合わせ、浅く何度か呼吸した。


「——髪と顔を拭ったら、側廊へ。突き当たりの階段を下って扉を開く。外廊を進めば奥院です。御鏡に祈りを捧げなさい。」


矢継ぎ早の指示は正確、簡潔、無駄がない。

それは寒さに震える少女への配慮ではもちろん無くて、さっさと面倒ごとを片付けたいと言う思惑が溢れんばかりの振る舞いだった。


一息ついて、思い出したように女は言った。


「——《照霊アニマ》があなたを照らしますよう。」


幸運を願う定型句。


照霊アニマとは——騎士の願いに応えて顕現し、騎士の力を高めて闇を照滅する意思ある聖霊たちのことである。主によって多様な姿を持つことから、その者の本性を反映する霊なる鏡であるとも言われていた。


15歳となる騎士の子女たちが成人の証として、一人前の騎士となる証として、それぞれの照霊を授かる。それこそが、これから行われる《照鑑かがみの儀》の目的だった。


「……みっ……み御心の……まっまッ、ママに……。」

冷え切った奥歯を震わせ、どうにか定型の返事を返す。


沐浴という責め苦じゅんびを終えて、カミナは地下聖堂を後にして奥へと向かった。

大きすぎる沐浴着の裾から滴る水跡が、長く陰鬱な影のように大理石の床をずるずると引きずられていった。

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