(5)
「……かさん、百家さん? 」
「……はい? 」
「どうしたんですか、一点を見つめて。……食パンは何も塗らない派ですか? 」
目を見開き、あたりを見渡すと、店の休憩室だった。手には半分くらい食べてしまった六枚切り食パンがあった。パン袋の中には残り二枚、無意識にずっと食べていたようだ。
「あぁ、ぼーっとしてました、すみません」
「大丈夫ですか? ……頑張りすぎは良くないですよ? 」
声をかけて来たのは、たまたま休憩が重なった惣菜担当の栗嶋さんだった。昼間は働いて、夜に大学に行く夜間部の大学生で、仕事と学業を両立している努力家だ。店長からも一目置かれている。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、俺はまだまだですから」
「もう! そうやって無理するから、無心で食パンなんか食べてんのよ! そんなに細いんじゃ倒れるじゃないの! ほら、これでも食べてもっと太りなさい! 」
いつからいたか分からないうちの店のボス、大浜さんは、買ってきた惣菜の唐揚げに爪楊枝を刺し、一つ食べるよう促してきた。
「あぁ、ありがとうございます。じゃあ……一つ、後でいただきます」
「今食べなさい! またぼーっとして食べ損ねたらいけないからね! 」
逆らえないのを分かって言ってるな、この人……
「じゃあ、お言葉に甘えて。いただきます……ん、美味しい」
俺が唐揚げを食べた事を確認して満足げな大浜さんは、次の標的に狙いを定めた。
「今日唐揚げしたの誰だったの? クリちゃん? 」
クリちゃん、というのは、今春雨スープの麺を箸で持ち上げ、フゥフゥ息を吹きかけて麺冷やしていた栗嶋さんの事だ。緩く癖のついた栗色の髪を一つにまとめて、大浜さんとは正反対の少し控えめで、学校で密かにモテそうなタイプだ。
「あ、あぁいえ。今日は、私はフライはしてないです」
「あぁそう、ならよかった。自分で揚げた商品食べようとは思わないじゃない? はい、貴方も一つ食べなさい! 」
「わ、私は今日は……」
「何、食べないの? あらぁ、美味しかったのにぃ。じゃあいいわ、私があと全部食べるわ」
「わ、分かりました……一つ、いただきます」
悲しげな顔から一瞬にして陽気な笑顔に変わった。女性は怖い、特に大浜さんは表示がコロコロ変わる。敵に回したらいけない人だ。
「食べて勉強出来る事もあるからね、しっかりしなさいね」
「は、はい! ありがとうございます」
大浜さんと対等に話せるのは店長くらいだと思う、長年のベテランに刃向かったら面倒になる。無言の圧がかかってくるのは、誰しも感じるようで、誰も言い返さない。ただ、悪い人ではない。少し話口調が強いだけだ。
「あ、大浜さん。何か備品の追加しといた方がいい物ありますか? 」
「そうねぇ、領収書がそろそろなくなるかもしれないかなぁ。あとは今のところないかな」
「領収書、ですね。分かりました、ありがとうございます。じゃあ、俺はこれで。お疲れ様です、ごゆっくりどうぞ」
「もう終わり? あらまぁ、もっとしっかり食べなさいよ、倒れるよ! お疲れ! 」
心配してくれるのはありがたい。しかし、俺にはこの場にいるのはしんどいから、ちょっと移動するだけですから。
「ははは、はぁい。お疲れ様です」
結局、外の喫煙所に座って、朝コンビニで買っておいたおにぎりをひっそり食べた。なかなか女性との対話は難しい。
「まぁた、逃げてきたのかよ。正直に言えばいいじゃないか」
「え? あぁいたんですね先輩」
「いたんですね、じゃねーよ。モモが来る前からいたさ」
先輩は依然いた店でお世話になった方だ。俺より少し先に入って、アルバイトから社員に昇格したので、敬意を表して先輩と呼んでいる。異動を繰り返す中でこの店で久しぶりに再開したので、俺の事は大体把握されてしまっている。
「苦手なんですよ、あぁ切り詰まった空気」
「だろうなぁとは思ったよ。でも、ずっとあんな感じだからなぁここ。まぁ、いずれ飛ぶ時が来るからそれまでの辛抱さ」
「はぁ、いつになるかなぁ」
「あ、此処にいた! ねぇモモちゃん、休憩室のティッシュがもう少ないけど何処にあったかなぁ? 」
「はい! 少々お待ちください取ってきます! 」
噂をすれば、大浜さんに見つかってしまった。何処まで聞いていたのか、恐ろしい……
「頑張れモモ、いつでもまた聞くからな」
「はい、すみません」
「モモちゃん早く! 何処にあるの? 」
「はい! 今参ります! 」
脚立を持ってきて備品置き場を漁ると、天井近くの収納からティッシュ箱が出てきた。こんな場所にあったら、長年いる大浜さんでも見つけられないはずだ。
「あらまぁ、なんでそんな所にあるのよ! 誰かしらね、そんな悪戯する人は! ありがとうねぇモモちゃん」
「いえいえ、流石にここは誰も分からないですよ。見つかってよかったです」
「あぁ、それとね? レジが混んでるから手伝ってやってくれる? 」
ティッシュよりそっちの方が重大じゃないか、先に言ってくれたらいいのに。
「分かりました、すぐ行きます! 」
「……はぁ、頼りになるわぁあの子は」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます