(4)
最初のうちは、隣のキタサキさんなる美人がいるという無駄な緊張感で、テレビの音量を調整したり、洗濯物も迷惑をかけてはいけないと部屋干しにしてみたり、いざという時のために部屋を掃除してみたり、いろいろと気を遣っていた。
しかし日が経つたびに、仕事の忙しさも相成って、キタサキさんの事は忘れていってしまっていた。
何週間か経った後日、ゴミ出しの日に向かった時、忘れていたキタサキさんを思い出してしまった事件が起こった。
ゴミ回収の日、忘れる前に早く出そうと、その日は起きてすぐにとりかかった。いつも通りにベランダのポリバケツからゴミ袋を取り出して、専用燃えるごみ袋に詰め込んで玄関を開けようとした時、左の玄関の扉が開いた音がした。
「……! 」
キタサキさんが外出したのだろうか、ある程度足音が遠のいた後、静かに扉を開けて確認した。
「ぇっ⁈ 」
信じたくなかったが、歩いていたのは、黒いジーンズを履いて、黒い帽子を被り、黒いフード着きジャンバーを着た人物だった。持っている大きなキャリーケースまで真っ黒な黒づくめだ。バック帽子とフードで髪型は分からないが、歩き方からしてあれは……
「男……だよな、あれ」
キタサキさんにはやはり相手がいたようだった。俺の淡い期待は、呆気なく幕を閉じてしまった。そもそも俺の勘違いだ、勝手にキタサキさんがフリーだと決めつけて、あわよくば、とか妄想膨らませてやっていた事だ。馬鹿らしい、ただのフリーターの分際で何を期待していたんだ、恥ずかしい、このままゴミと一緒に燃やして欲しいくらいだ。
重たくなった足を引きずり、何とかゴミ出しはしてきた。何だか惨めで悔しくて、ゴミ袋を蹴り上げて入れたかったが、散歩中の人がいたので、挨拶をしながら、そっとゴミ置き場に置いてきた。
「やっぱり、もう懲り懲りだ……」
綺麗な女性には、大体既に先客がいるものだ。いない場合もあるかもしれないが、簡単に見た目では判別できない。みんな衣装や化粧で変わってしまう、知らない所で男には分からないくらい努力しているんだ。そんな彼女らに、俺みたいな紙屑が何も言えやしない。
もう、まだしばらくは恋愛はしなくていい。殻に閉じ籠って、仮面を被って仕事に行って、ゲーム漬けの日々が一番だ。
「……やっぱり俺は、この子でいいよ」
イベントを走ろうと、アプリを開く。
キタサキさんの第一印象は、育成アプリゲームで見た推しの彼女そっくりだなぁと言う、どうにも現実が見えていないような、救えない感想だった。
今考えれば、髪型も、服装も、何もかもが似ていた気がする。まるでコスプレをしたかのように、画面から彼女が出てきたように、画面の中の推しと外見が似ていた。
「……いい人だったな、先客はいたけど」
今日は推しキャラの大好きなハンバーグにした、ちょっと奮発してレトルトで一番高いやつを買ってきた。推しと同じように、人参とブロッコリーを添えて。
「いただきます」
一人の部屋に声が虚しく響く。何処であれ、礼儀はするようにしている。せめてもの抗いだ、何にとは言わないが。
あれ以来、外に洗濯物を干すのはどうしても干しきれない時以外は控えるようになった。ベランダに出るのも、ゴミ出し以外は全く出なくなった。
引越しまではしたくない、仕事場にも、バス停にも近いし、費用がそもそも用意がない。何より、相手がいたショックで引っ越したなんて思われたくない。
……そもそも、あの黒づくめの人物が誰かすらまだ分かってないのに、こんな事考える事自体がおかしい話だ。
「……よし、もういい! 」
隣にはキタサキさんがいる、それだけは事実だ。美人が隣にいる、それだけの事だ、気にしないようにしよう。
「バンッ! 」
隣から大きい音がした、大丈夫か、あの黒づくめの人物が何かしたのか?
「ありがとうございましたー」
玄関に向かうと、キタサキさんの明るい声と宅配員とのやり取りが聞こえた。重い荷物が届いたのかもしれないな、びっくりした……
うちの地域は、週に二回燃えるごみの回収がある。という事は、またベランダに出向かなくてはならない日が来るという事だ。
何かまた落ちていたら、届けに行かなくてはいけない。黒づくめ男が出てきたらどうしようか、そもそも何もせずにドアノブに掛けておけばいいんじゃないか? いや、誰かに取られたら困るかもしれないしな。
「……今のところは、ないな」
気にしようにしようとすると、余計に気になる思考に嫌気がさすが、そういう頭だから仕方ない。
「また、明日も仕事か……」
また気を張って女性だらけの仕事場に行かなければならない、それだけで肩が凝りそうだ。この仕事もいつまで続くだろうか、先輩に相談してみるかな。
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