(2)


 なんとか家路に着き、ポストに挟まったチラシを取り、レジ袋と一緒に机に置いた。新築案内だの、宅配ピザカタログだの、しばらく縁がなさそうなチラシだった。


 今日は風が強かったからか、外に干していた洗濯物が、ベランダに取り付けた物干し竿に巻き付いている。

 「はぁ、またかよ」

 飛ばされなかったのはよかったが、巻き取るのが面倒だ。足拭き用マットとか、バスタオルとか、薄いからこそ綺麗に巻き付いている。家の中に干して乾かなかったら困るから、まぁもういい。

 全部干していた物を外し終え、ベランダの床を見渡すと、何処から飛んできたかも分からない落ち葉、何かの包装ビニールが散らかっていた。


 「ったく……ん? 」

 落ち葉とビニールを拾った先に、白いTシャツが落ちていた。手触り、サイズからしても、俺のではない。

 「どっから飛んできたんだ。どうすんだこれ……」

 警察か? 大家さんか? 勝手に処分するわけにもいかないし、知らない人の服が飛んできたのは初めてだ。タグをめくってみると、器用に名前が書いてあった。

 「キタサキ……さん? 」

 キタサキさんなる人物の白Tシャツが俺のベランダに迷い込んだらしい。

 「まさか……隣からか? 」

 うちのマンションは一部屋ずつベランダが個別にある。連なったところなら飛んでこないのだろうが、もしかしたら有り得るかもしれない。右は空室なはずだから、飛んできたなら左だろう。


 「……男だよな、きっと」

 もし隣が女性で、知らない男がいきなり訪ねてしまったら、こんな世の中だ、通報されかねない。しかし、他人の服を持ち続けるのも気分は良くない。仕方ない……


 天パの大浜さんから以前差し入れで貰ったケーキ屋のクッキーが入っていた紙袋に畳んだ白Tシャツを入れ、念の為、もらったクッキーを二枚拝借し、隣の住人を訪ねる事にした。


 実家にいた時の回覧板以来、震える手を抑えながら、人差し指で、久しぶりにインターフォンを押した。

 「……はい? 」

 少し控えめなか細い声がした。インターフォン越しでも、俺が緊張して挙動不審になって震えているのが分かるのか、警戒されているようだ。

 「すみません、あの、突然申し訳ございません。隣に住む百家と申します、ベランダにTシャツが落ちてたので、こちらかなぁと思いまして……」

 「……少々お待ちください」

 男性でも女性でもいそうな、そんなに低くない声だった。大丈夫だろうか……


 しばらくして、ガチャガチャと鈍い金属音がしたのち、ゆっくりと扉が開いた。

 開き過ぎないように対策のバーを取り付けて、扉をゆっくりと開けた住人は、驚くほどの煌びやかな女性だった。

 「お待たせしました……どちらの服でしたか? 」

 「あ、えっと……こ、こちらです」

 白い壁の部屋からも、着ている白いトータルネックとキャラメル色のカーディガンからも、鎖骨の下くらいまである綺麗な黒茶色の髪からも嗅いだことのないいい匂いがして、目眩がしてしまう。

 「ありがとうございます……少し拝見しますね」

 細くて透き通った綺麗な指先には、薄ピンクのマニュキュアが塗ってあり、ラメ入りでキラキラしている。こんなに女性の指は手入れしてあるのか。しばらく女性の指先をまともに見たことはないから綺麗、良い以外の語彙が頭に出てこない。

 髪の毛で隠れて少ししか見えなかったが、長い睫毛と二重瞼、シュッと伸びた鼻筋、透き通った肌、とても整った容姿なのが分かる。そんな人が隣に住んでいたなんて、夢にも思わなかった。


 「ありがとうございます、うちから飛ばしてしまった服みたいです。クッキーまで入れて頂いたみたいで……すみません、ありがとうございました」

 くしゃっと笑った笑顔に、簡単に射抜かれてしまった。世の中の男がその顔に弱いのが分かっていないのような、困ったそうな笑顔だった。

 「あ、あぁいや、その、そんな……ははは……。つ、次はお気を付け下さい、それじゃ!」

 「あ、ちょっと……」

 体の温度が上がっていくのを見られたくなくて、回れ右をして早々と退散しようとしたが、呼び止められてしまった。

 「な、何でしょうか」

 「ふふっ、お礼です。クッキー貰ったからクッキー返しです。美味しいですよ、食べて下さいね」

 近場で人気のクッキー専門店のチョコクッキーだった。こんな人からもらえる日が来るなんて……

 「あ、ありがとうございます! 」

 「ふふっ、それでは失礼します。ありがとうございました」

 会釈と微笑みを返され、キタサキさんは扉を閉めて、すぐに施錠した。





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