Ⅷ.幕間(3)
狙撃兵の骸からナイフを引き抜く。
そして、エクスは乱暴に頭を掻いた。
大きなため息が漏れる。
「まったく、何をしている……」
露骨な苛立ちを表に出すのは久方ぶりだった。
今回の顛末は明らかにイレギュラーだ。
事前に説明されるべきこと、いや、それ以前に本来なら挑戦すら受け付けられないはず。
挑戦する意味が無いのだから。
そういったケースはA.D.が選別時にはね除けるはずで、つまりこの世界に到着しないはずなのだ。
それなのに、無意味な戦いが為された。
さすがにこれはもう、A.D.は役割を歪めている、と言わざるを得ないだろう。
この世界の意味が永い時間ですっかり変容してしまっているとはいえ、容認される範疇を逸脱した行為だ。
ということは……。
エクスは冷静さを取り戻した。
「……そこまで壊れているんだな……」
カァーーーン、カァーーーン……。
鐘の音、それに合わせて復元していく街。
そして立ち尽くすエクス。
迷い。
鐘が鳴り終われば次の挑戦者が訪れるだろう。そうなれば無視は出来まい。
行くなら今、このインターバルの時間だ。
幸いというか、今回は手足も欠けてはいない。散弾を食らって体中穴だらけではあるが、少年の融合剤のおかげで右腕は接合済みである。
約束を果たすぐらいになら、十分すぎる。
そう分かってはいても、エクスには躊躇いがあった。
永い永い繰り返しに埋もれる中で、きっかけを見失っていた。
自分のことはもう構わないとしても、そもそも『箱庭』は……。
エクスに自嘲が浮かんだ。
数々の最後の願いを潰してきたというのに。
散々終わらせてきたくせに。
自分の手の内に委ねられることになったとたんにこのザマとは。
手にかけてきた者たちに、彼らの願いに、顔向けができない。
コンバットナイフを目の前にかざす。
その切っ先が空間に突き刺さる――
――その時。
「うわあ、コレ大丈夫なん?」
緊張感の欠片もない声。
反射的に振り返ったエクスの前に、少女の姿があった。
いや、浮かんでいた。
「わわわ、ごめんなさいっ!」
文字通り飛び退いて、手を突き出しながら振る少女。
その邪気の感じられない様子に拍子抜けするエクス。続いて、コンバットナイフを構えている自分に気づき、苦笑して手を下ろした。
「いや、こちらこそすまない」
構えを解いたエクスを見て、少女はほっと胸をなで下ろす。
「えっと、驚かせてしまってごめんなさい」
律儀に頭を下げられた。
ぱっと見は十代半ばほどの、学生服姿の普通の少女だ。
普通でないのは、足が地に着いていないことと、透けているところだろう。
「君は挑戦者……ではないのか?」
「え? 挑戦って何ですか?」
きょとんとした顔。そこに作為が全く感じられない。
どうやら嘘ではなさそうだ。
それに、今はインターバル中、挑戦者は訪れないはず。
しかし、そうすると今度は別の問題がある。
「君は何者だ?」
「あ、失礼しました、皆川奏といいます。南校2年です」
自己紹介を求めたわけではなかったのだが、確かに、質問の答えとしては間違ってはいない。
どう訊いたものかと言い淀んでいると、逆に少女に質問された。
「えっと、お兄さん? は軍人さんとかですか?」
思わず軽く苦笑するエクス。
エクスは少女から見れば明らかに年上だ。お兄さんで留めてくれたあたり、気を使ってくれたのだろう。
「エクスだ。まあ、君の見た通りだよ」
苦笑を残したまま、エクスは答えた。
どうにも気が抜けてしまう。
まあ、無理もないことではある。
エクスが思い出せる限界まで遡っても、決死の戦いを挑んでくる相手しか浮かんでこない。『のんきな会話』という事象自体、きれいさっぱり忘れていたぐらいだ。
対して、エクスの神経を緩める元凶は、もう浮かれていた。
「エクスさんですかぁ。いやー、登場人物とホントに会話する夢なんて初めてですっ」
その中の一言にエクスが引っかかる。
「夢?」
「はいっ。私、今寝てるですよねー」
にっと歯を見せて笑いつつ、さも当然とばかりに気軽に答える少女。
しかし、当然のことでは、もちろんない。
この街も、エクスも、間違いなく実在しているのだ。
軽く考え込むエクス。
(ふむ、観測能力の一種か?)
異能の中にままあるものだ。
千里眼や透視といった具体的なモノを視るものから、『死』や『運命』、『未来』といったような形の無い何かを視るものまで、その幅は広い。
少女の場合、夢という形で対象を観測できるのだろう、とエクスは推測した。
「まあ、こんなにハッキリした夢は少ないんですけど。大体は、もっと夢らしい夢なんですよねー」
「ん? 夢らしい夢?」
「そう、アイマイなくせに何故かディテールがハッキリしてたり、ぶっ飛んでるくせに筋が通ってたり、妙にリアルだったり丸っきり幻想世界だったり。夢ってそんな感じじゃないですか?」
首を捻るエクス。
純粋な観測能力ではない?
「あ、友達と一緒の夢を見たこともあるんですよ? ま、あの子は私に気づかなかったんですけどねー」
「……なるほど」
自身の推測を修正するエクス。
少女の能力は観測と精神干渉の複合タイプだ。
夢という形で実際に在る場所を観測できて、また、他人の精神も観測できる。やや特殊といえるタイプである。
ただし、この街を観測できるということは並ではない。
潜在的な能力値は掛け値なしに超一流、世界が世界なら伝説になり得るレベルの能力者になれることだろう。
本人に自覚はこれっぽっちもないようだが。
「で、ココは何なんですか?」
輝く目で見つめられるエクス。
「興味があるのかい?」
聞くまでもなく、興味津々と顔に書いてはあったのだが、一応エクスは確認する。
「はいっ! 夢の中の人に直で話聞けるって初めてなんですよ! 何かいい話書けそうな気がします!」
前のめりに食いつかれて、エクスは思わず吹き出しかけた。
この絶望の溜まり場も、この子には話のネタか。
固く考えることは止めた。
夢と思い込まれているならば、むしろ好都合だ。現実だと気づかれて色々説明するのは面倒だし、場合によっては、最悪彼女を『消す』必要が生まれかねない。
無用な殺しはしたくない。
「えっと、オカシイです?」
「いや。そうだな……ここは願いを賭ける場所だよ。叶わない願いを叶えるために戦う場所」
思い切りざっくりとまとめたエクス。
「おおっ! アツいっすねー!」
少女のテンションが上がる。
「負ければ絶望が実現するけれどね」
「おおぅ……なんかドシリアスな気配……ハードですねぇ……」
上がった分だけ下がった。
「本来なら叶わないことを実現しようとするんだ。相応だろう?」
「うー……それはそうかもですけど……。で、エクスさんはどんな願いを叶えに来たんですか?」
エクスは首を振った。
「いや、俺は願いを潰す側だよ。ここへたどり着いた者たちにとっては最後の関門、いや、死神か悪魔ってところかな」
驚く少女。
「エクスさんがですか!? とてもそうは見えないですけれど……」
「本当のこと、だよ」
自嘲とともにエクスの目が陰る。
「それが役割だからね、長い間、願いを葬り続けてきた」
「えー……悪役じゃなくヒーローっぽいですけれど……。長い間って、どれぐらいですか?」
「ん……さあ、ね。彼らにとってはここが最後の可能性だから、こぞってここを目指す。無限に繰り返されてると思ってもいいかもね」
「はあ……なんか、途方もない話ですね」
唖然とする少女に、小さい苦笑だけ返すエクス。
「なんか、もうココにしか希望がないって感じですね」
「!!」
エクスの目が尖った。
「……そう思うのかい?」
その様子と口調に、少女が若干怯む。
「え、えっと、その……はい。世界中で、ココにしか希望がないから、みんな来るんじゃないかなーって」
ばつが悪そうに視線を泳がせる少女。
応えないエクス。
「ご、ごめんなさい! 変なこと言っちゃいましたよね!?」
「あ、いや」
少女に大慌てで頭を下げられてから、エクスはようやく我に返った。
「そうじゃない、変じゃないよ……うん、その通りだ」
エクスも少し慌て気味に応える。
それから、空を見上げて、小さく呟いた。
「そう、その通りなんだ……」
「……エクスさん?」
「いや、何でもない。ありがとう」
「はあ……?」
訳が分からないと顔に書いてある少女に、エクスは少し微笑んだ。
そして素早く目を走らせる。
街の復元がほとんど終わっている。インターバルが終わる。挑戦者が現れる前に、少女をここから帰さなければならない。
「さあ、夢から覚める時間だ」
「え? これから何か始まるんじゃないんですか?」
その通り。
だからこそ、早くこの場から退場してもらわなければならない。
ここに像を映しているということは、遠くから覗いているのではなく、精神ごとここへ来て観測している可能性が高い。挑戦者の能力によっては巻き添えを食って精神が消し飛ぶこともあり得るのだ。
「トラウマになる夢をお望みかな?」
「うっ!? それは丁重にご遠慮いたします……」
意味ありげに笑うエクスに、引け腰になる少女。
しかし、そこで彼女は悩み始めた。
「んー、でも、どうやって起きればいいのかなぁ」
エクスは思わず眉間を押さえた。
(そこからか?)
これだから天然物は……と半ば呆れるエクス。ちゃんとした指導者がいれば最初に教わるはずのことだ。
「……そうだな、自分を思い出してみなさい。今の姿じゃなく、寝るときの自分を、鏡に写すように出来るだけ正確に……そう、そのまま意識を利き手に集中して……それに今の自分の手を重ねるように、一つの手だとイメージする……」
「ぅわっ!? 手が光ってる! なんか紐みたいな光が伸びてます!」
エクスに言われる通りにしていた少女が、自分の右手を見て驚愕した。
「その光をたどっていけばいい」
「ありがとうエクスさん!」
明るい敬礼へ軽く笑って応えるエクス。
それから、光を手繰ろうとする少女に尋ねた。
「皆川さん、君はここで願いを叶えようと思うかい? 絶望で終わることも覚悟して、俺に挑むことはあり得るかな?」
呼び止められて振り返る少女。
ほんの少しの間首を傾げて、それから苦笑が浮かんだ。
「いやいや無理無理、エクスさんと戦うってそんな無理ゲー遠慮します。メチャクチャ強者感あふれてますもん、他当たりますって」
「他?」
「だって、ココじゃなくてもいいでしょ?」
少女に片目をつむられて、エクスの口の端も上がった。
「全くだ」
そのエクスをまじまじと見つめて、少女はハッキリとうなずいた。
「うん、やっぱり、エクスさんは死神とか悪魔とかじゃないですよ」
唐突に言われて面食らうエクス。
「いや——」
「うーん、上手く説明できないですけど、違います。絶対」
否定しようにも、少女は何故か自信満々でしかも勝手に納得してしまっている。
曖昧に笑みを浮かべつつ、エクスは「早く行きなさい」とだけ応えた。
「はーい、 じゃあ、ありがとうございましたー!」
光を手繰った瞬間、少女の姿はかき消えた。
独り残ったエクスが呟く。
「こちらこそ、ありがとう」
(続く)
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