Ⅸ.神の挑戦

 同時に街の復元が終了した。

 少女の姿も狙撃兵の姿も無い。


 重ねて、狙撃兵の跡にも、何も無い。


 今回の『奇蹟』には形がなかった。

 エクスの中に能力として直接残ったのだ。誰かに何かを『拒否』させる能力。精神的に作用するだけで、物質を『拒否』して消したりすることは出来ない。

 しかも1回限り、効果も数秒程度と、使いどころが難しそうな能力だ。


 耳に残る、狙撃兵の最後の絶叫。


 それを上書きするかのように、力のある声が響いた。


「お前がここの管理者か?」


 エクスが目を向けた先にある姿。

 一枚布を巻き付けたような服に、たくましい肉体の男。


 力ある言霊、あふれ出る神氣。


「旧き神の眷属か」


 その言葉に、エクスの目が険しくなった。


「……俺はここの管理人の片割れだ」


「む? ならば先ほどの男も管理者だったのか? 案内役だと言っていたが……まあいい。さっさと我が願いを叶えよ」


 尊大な口調だが、それに見合う力がこもっている。

 並の存在なら否応なく従わざるを得まい。


「ここでの勝負に勝てば、の話だ」


 抑えた声で応えるエクス。

 しかし、その低い声も、険しい目も、鼻で笑い飛ばされた。


「ふん。勝敗などとうの昔に決したのだろう? 我らが父祖に貴様等は敗北したと伝え聞いているぞ、堕ちた神どもよ」


 事実、ではある。

 遙かな神代、エクスを創った常闇の女神クルトゥトカリリムを含む前代の神々は、極星の神エルゥを代表とする新しく誕生してきた今代の神々に滅ぼされた。


「我は偉大なる父祖エルゥに連なる神アスル。神々を治める8柱の一柱。従うがよい、旧き神の眷属よ」


 見下されたエクスの顔に、逆に嘲笑が浮かぶ。


 偉大とは。

 毒殺に不意打ちに騙し討ち、暗殺と謀略の果てに座を奪い取った者が、だ。

 どうやら、相当に美化されているらしい。


 それにしても、今代の神、それも最高位の8席の一つに座するような神が『願いを叶えに』来るとは。

 ここの本来の意味を知らないとは。


 もう、知るものはいないということか。


 エクスの中を乾いた風のように吹き抜けるものがあった。


「……生憎、俺は神としてではなく人として創られたのでな。その理屈の範疇外だ」


「ほう」


 やや意外そうに首を傾げてから、アスルは物色するようにエクスを眺める。


「なるほど、少々変わっているが、確かに元々の造りは人間のようだな。ならば、なおのこと是非もあるまい」


 アスルの声に、あからさまな侮蔑が混じる。


「さえずるな、人間ごときが」


 ズンッ。


 エクスの腹に響く衝撃。腹から地面へと柄が伸びて、槍の穂先が地面に突き刺さっている。


 貫かれている。

 槍に。


 ノーモーションノータイム、エクスは全く知覚できなかった。まさに、そこに槍が突然現れたとしか表現のしようがない。


「……がっ!」


 エクスの口から、遅れて呻きと血反吐があふれる。その血が地面に届く、その前に――


 ズズズズズズズズンッ。


 エクスを貫いた形で現れる槍、槍、槍槍槍槍……。


「がはっ!!」


 為す術もなく磔さながらの有り様になるエクス。

 眉一つ動かさないで、悠然とたたずむアスル。

 エクスの血が槍を伝って地面を染めていく。


「そら、勝敗は決したぞ?」


 淡々と見下ろすアスル。


「さあ、我らが威光をより輝かせるために、旧き神の力の残滓を寄越すがよい」


 エクスは応えない。


「む? やり過ぎたか? 脆すぎる。これだから人間は」


 そのアスルの嘆息に、エクスの唇が小さく動く。


「……まだ、だ。俺が、認めない、限り……終わらん……ぞ?」


「ほう? まだ減らず口を叩けるか。貴様――」


 ほんの少しだけ驚いてから、アスルは改めてエクスを見つめる。

 その目が蒼く輝いた。


「――『命』を『外』に置いているのか? 貴様。それに、人間にしては妙な能力が色々と詰まっているようだな。これは後付けか? ずいぶんと無節操な」


 無遠慮にエクスの中を覗いてから、アスルはさも面倒くさそうにため息を吐いた。


「つまりは、貴様が分をわきまえるまで付き合わねばならんのか。やれやれ」


 アスルの芝居がかった呆れ方に合わせるように槍が消えた。現れた時と同様に、唐突に、全て。

 支えを失ったエクスが崩れ落ちる。


「ぐぅ……っ」


「さあ、好きにせよ。そしてとっとと己が愚かさを知れ」


 腕組みして棒立ちのアスル。

 全身から血を噴き出し、よろめきながら体を起こそうとするエクス。


 見下す神。

 見上げる人間。


 他の相手なら負けを認めているだろう。

 今まで敗北が無かったわけではない。むしろ、『ルール』が設定された当初はそれなりに勝ち負けを繰り返したものだ。


 だが、こいつ相手には認めない。

 こいつにだけは。


 エクスの目が紅く光る。


 体中の傷からの出血が止まった。ただし再生はしない。むしろ全身の血色が悪くなり、皮膚が醜く粟立ち始めた。

 以前に能力として遺された『奇蹟』のうちで【凍結】させていた『不死者化』を【解凍】。物理的外傷が無効になる代わりに生命活動自体が停止、いわゆる死体となった。

 続いて『遺伝子改竄』『細胞過剰増殖』『呪言付与』『知覚過増』『魔獣憑依』『空間歪曲』『多重時間』『分子運動操作』『存在確率乱数化』『因果律攪乱』……。


 永い時間でエクスの中に直接遺された『奇蹟』、数多の能力を次々に【解凍】していく。普段は使用不可にしていた力たち。


 その理由は、一つには、公正さを欠くほど強力なため。


 そしてもう一つには、人以外の生命体を起源とする故に、人間の肉体とは本質的に相容れないため。


 それを、全解放。


「はっはっはっ、まるっきり悪魔だな?」


 人の姿からかけ離れていくエクスを、愉快そうにアスルが嘲笑する。


 半分以上人でなくなった異形。

 人として残った口が吠える。


「ゥオオオオオオアアア!!!」


 エクスの姿が瞬時にアスルの周りに多数、同時に現れる。全方位多重空間複層時間軸からの一斉攻撃、大地が、大気が、空間さえもが切り刻まれ砕け散り、数千万度の熱と絶対零度の冷気が暴風のごとく吹き荒れる。

 物理法則、論理的帰結どころか因果律をも歪めた死と破壊が襲いかかる。


 廃墟の街を呑み込む光球。

 破滅が暴虐を振るう力場。


 熱量換算して星が消滅して余りあるエネルギーが密集する中心にあって、しかし、高みに君臨する神は欠伸すらしていた。


「ふむ、これで出し物は仕舞いか。飽きたぞ」


 キィン!


 エクスのナイフが空振った。


 刃が無い。根本から。


 枯れた小枝でも折るかのようにコンバットナイフを割り、その刀身を手に、アスルは淡々と言った。


「返すぞ、そら」


 無造作に振った手の軌道に沿って、エクスに袈裟斬りに斬撃が走る。


「ガアアアアアアッ!!!」


 肩口から斬り裂かれ、脇腹にナイフの刃を食い込ませたまま、地面へ墜ちるエクス。

 その眼前に立つアスル。


「負の、闇に類する力では光は消せんと知っておろうに。全く、人間の愚かさは度し難い」


 絶対者の風格を漂わせる姿。

 ほぼ腹の皮一枚でつながっているエクスが、辛うじて立ち上がる。

 力なく振るわれる震える拳を、アスルは悠然と、無頓着に胸で受けた。


「どうだ? 分はわきまえ――む?」


 怪訝そうに眉をひそめるアスル。

 エクスが押し付けてきた白い粘土のようなものが、体に食い込んで、溶け込んでくる。

 沸き上がる異様な感覚、悪酔いしたかのように意識が揺らぐ。


「何だこれは……」


 エクスが押し付けたのは少年の融合剤、しかも竜帝の牙を埋めたものだ。

 融合剤で竜帝の怨嗟の呪いと混ぜ合わされ、わずかに、神という存在自体が揺らぐ。


 唯一の勝機。逃さないエクス。

 『因果律攪乱』と『存在確率乱数化』を全開で仕掛け、取っておいた狙撃兵の『拒否』で『エクスを認識することを拒否』させる。


 至高の一角に座する神の意識に生まれる、空白。

 閃く刃。


「な……? あ……」


 コンバットナイフの刃を今度は自身の胸に突き刺されながら、アスルが我に返った。


「貴様、何……を、した?」


「お前の父祖たちと同じだよ。毒を一服盛らせてもらったのさ」


「な……偉大な父祖を、我らを愚弄するかっ」


 アスルの罵声を意にも介さず、エクスが手に力を込める。


「弱ったお前なら、旧き神の加護でも徹るぞ?」


 そう言って、エクスは刃を抉り込んだ。

 『全てを斬る』刃に、命を、存在を斬られる。


「馬鹿なっ! 我が、この我がああああああ!!」


 崩れ落ちる最高位階の神。

 刃を引き抜く異形の人間。


「その傲慢さが命取りだったな」


 カァーーーン、カァーーーン……。


 決着の鐘が鳴る。いつも通りに。

 しかし、エクスは眉をひそめた。


 街の復元が始まらない。


 正確には、復元しようとしているが上手くいかない。がれきが震えながらあやふやに浮いている。地面も大気も震えている。

 そして、それ以上何かが進展する気配が感じられない。


 この街が、『箱庭』が、神という存在を受け入れ切れていないのだ。


 半妖精の鈴で残りの融合剤を取り出し、自分の胴体をつなぎ直して、コンバットナイフも直す。

 そして、残っている『奇蹟』を全て取り出して、置く。


 こうしておけば、この『箱庭』が終わった時、各次元の各世界に散らばっていくだろう。

 どれもこれも絶望から生まれたようなものだが、厄災となるか救済となるかは、結局のところ使い方次第だ。


 願わくば、何かしらの救いとなるように。


 祈りを込めて見つめた後、エクスは立ち上がって、コンバットナイフをかざした。


 切っ先が空間に刺さる。

 静かに滑る刃が空間を裂く。

 切り開いた道へエクスは踏み出す。

 約束を果たしに行かなければならない。


 幕引きの時が、来た。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る