Ⅶ.兵士の願い
一方で。
「……何て化け物だ……」
若い狙撃兵の呟きには、驚きがありありと表れていた。
切れ長のカミソリのように鋭い目にも動揺が浮かんでいる。
無理もないことだろう、仕掛けを全て突破されたのだ。それも、標的を人間ではないと想定した上で、念には念を入れた仕掛けを。
並の人間なら5,6回は死んでいるはずだ。
これが最後の戦闘だからと、小型4連装高衝撃熱圧力ミサイル砲FGMHIT-158SS、携帯型ロケットランチャーSMAW-UEDP、対人地雷クレイモアⅡと、残っていた火器を全て注ぎ込んだのである。
骨董品のSMAWとは違って、FGMは第3世代のサーモバリック爆薬が使われる現役、クレイモアⅡなどは爆薬のC4++を無理矢理増量して戦車でも横転する爆発力に改造した『対人』地雷。
それでも、死なない。
そう、死なないのだ。仕掛けの全てを避けられた訳ではなく、いくつかはモロに食らっている。
標的の腕は千切れ、全身に散弾を浴びた。それはスコープで確認した事実であり、間違いはない。
が、食らった直後でも標的の動きは衰えず、超人的な反応で、流水の如き無駄のなさで、続く追撃を回避していった。
まさに化け物。
大体、要所要所で【囁いて】いるのだ。狙撃兵の仕掛けへと常に誘導し、決定的なタイミングを作り出している。
どれも避けられるはずがない。
それなのに。
PT-82SSA4を握る手に力が入る。
これで、残りはこの試作品の連鎖式相互作用阻害電磁場投射ライフル一丁と、護身用の拳銃M2011のみ。
PT-82SSA4は最後のS-MHD発電カートリッジを使ったので、残弾は十分にある。実際には電磁場を投射するわけで『弾』ではないのだが、狙撃兵としてはどちらでも同じだ。
詳しい理屈はさっぱりだが、射程は5キロメートル、その間威力は減衰せず完全に直進、進行上の全てを粉微塵以下に粉砕して穿つという特性だけ理解していればいい。
ついでに無反動ときている。狙撃手としてはこれ以上はないであろう代物だ。
(しかし、どこまでやれる?)
連合国のローランド陸軍第4研究所から強奪した、最新鋭のさらに先の銃火器、レジスタンスの虎の子であるPT-82SSA4を手に、それでもあの人外相手では心許ない。
が、やるしかない。
ライフルを手早く分解、マニュアルの参考値では15秒で解体できるところを15秒でケースに仕舞い、狙撃兵は立ち上がった。
標的は生きている。【覗いた】感じだと、隣のビルへ逃れたらしい。ライフルにロケットと続けざまに撃ち込んだのだ、この狙撃ポイントは知られていると判断すべきだろう。
始めに【囁いて】稼いだ1時間では、これ以上の仕掛けは出来なかった。
使える移動用のワイヤーは、このビルから遠方へ張った回避用ルートか、近場へ降りる接近用ルートか。最初のポイントへ戻ることは出来ない。
ワイヤールートはとにかく速く移動するためのもので、滑車で滑り降りるだけの単純な仕掛けだ。逆傾斜を登る機能は無い。
いったん距離を稼ぐか、勝負を賭けるか。
「……【接近して勝負を賭ける】か」
思わず呟いていた。
相手が相手なだけに、無意識が自身に言い聞かせようとしたのだろう。
そう自分で納得して、狙撃兵は接近用ルートへ踵を返した。
滑車を握って、到着地点を思い出す。その地点からあの化け物が居るビルを狙う最良のポイントを記憶の中から探しながら移動。到着すると即座にライフルを組み上げた。
スコープを覗くと、驚くほど、信じられないぐらい理想的に標的の居るビルを捉えられる。
よくぞここを思いついたものだ、と狙撃兵は自分に舌を巻いた。
滑車で滑っている途中に標的を【覗いた】ときは何も見えなかった。
目を閉じていたのだろう。
出血で意識を失っているのか、単純に休んでいるのか。
後者とすればこの状況で尋常ではない肝の座り方だが、いずれにしても移動されてはいないはず。
地の利は再び確保した。
(上出来だ)
「と思ったろう?」
唐突な背後からの声。
凍りつく狙撃兵。
かろうじて、口がわなないた。
「ば、馬鹿な……っ」
「お株を奪われた気分はどうだ? まさか【底】からミスリードされるとは思わなかったぞ」
標的の声は淡々としながら、しかし、賞賛が明確に表れていた。
一方で、聞き覚えのない表現に、狙撃兵は少し困惑する。
「【底】?」
「君たちの世界でなら、そうだな……集合的無意識、阿頼耶識、虚空、アーカーシャ、まあそういった根源を表す領域のさらに奥底にあるところ、かな。人間に限らず森羅万象あらゆる事象や存在の根底にある、共通の領域。気づいていなかったのか?」
意味が分からない。
それが正直な感想だった。
狙撃兵の感覚では、とにかく【潜って】行くだけ。
その途中は、例えるなら荒れ狂う海が圧し固められたような、凶悪な高密度の【何か】を潜り抜けている、そんな感じだ。
対象を定めて【潜る】と、その先に対象が【居る】。底にそっと【近づく】ことで対象が見ている景色を【覗く】ことができ、【囁く】ことで対象を操れる。
操るというと言い過ぎで、感覚的には『そそのかす』の方が近い。
「無意識のさらに底から介入されるんだ、誰かに干渉されているとは気づき難い。実際、俺に【接近して勝負を賭ける】と思わされたことも、このポイントを思いつかされたことも、気づかなかっただろう?」
標的に言われて、はっとした。
狙撃兵である自分が距離を詰めようとしたこと。
自分で思いもしない絶好のポイントを何故か思いついたこと。
冷静に考えてみれば、どちらもあり得ないことだ。
「……貴様も同じことが出来るのか」
「まあ、な。超能力だの魔法だの、もっと直接的な精神攻撃ならさっさと気づけたんだが、こんなに婉曲的な方法を使う奴がいるとはな。さすがに気づくのが遅れたよ」
狙撃兵の口から、思わず歯軋りが漏れた。
手の内が完全にバレている。その上、背後を取られている。
詰み、だ。
しかし、戦場で諦めるわけにはいかない。
ホルスターのM2011に、少し手を近づける。
頬を冷や汗が伝う。
背後の気配を探る。
「が、ここまでだ」
空気が変わった。
瞬間、電光石火で飛び退きざまに振り返り、拳銃を抜き――
――閃く刃――
「があっ!!」
背中から墜ちる狙撃兵、その両肘から先が別々に地面へと落ちた。
その上で、胸元にコンバットナイフが当てられている。
それを持つ手に、狙撃兵の目は驚きに見開かれた。
ナイフを持っているのは右手。千切れたはずの腕だ。
斬られた痛みだけが理由ではない汗があふれ、狙撃兵の皮膚を伝っていく。
体の芯からくる震えを食いしばって噛み潰す。
悲鳴の代わりに、一言だけ吐き出した。
「化け物め」
対する声は、ひどくあっさりしたものだった。
「終わりだ」
死神の宣告を受け、激痛の中、狙撃兵は天を仰いだ。
負けた。完敗だ。
訪れるであろう結末に、狙撃兵は思わず目を閉じる。
数秒。
(……?)
訪れない。結末が。
不審になって目を開けると、標的の困惑した表情が目に入った。
いや、困惑というよりも、苛ついているというか、苦虫を噛み潰したような顔だ。
「……それがお前の願いか」
やや吐き捨て気味に言われて、今度は狙撃兵が困惑する。
その様子に気も留めず、ではなく気づかずに、標的は続く言葉をはっきりと吐き捨てる。
「それは叶わない願いだ」
言われる意味が分からなかった。
敗北したのだから願いは叶わない。当然のことではないのか? そういう『ルール』だと聞いたが……。
「……分かっている」
出血で意識が薄くなりつつある中、それでも狙撃兵は応えた。
しかし、標的は首を振る。
「そういうことじゃない。そもそも叶わない願いだ、それは」
「……何?」
聞き返した狙撃兵に、標的はため息で返す。
「お前の願い、人民解放戦線の指導者の蘇生は叶わない。その本人が既に挑戦して敗北しているのだから」
「何だと!?」
反射的に、狙撃兵の声は叫び声になった。
「どういうことだっ!」
「彼は以前ここで戦い、既に敗北している。故に大戦の責任を背負って処刑された。この『箱庭』で決した事象は『箱庭』では覆すことは出来ないんだよ。A.D.から説明されなかったのか?」
「そんな馬鹿な!」
狙撃兵の声が荒くなる。
残っている血が頭に集まったかのように、脳が沸き立った。
舌打ちする標的。
「A.D.め、何をしている……とにかく、ここで決定したことは覆らない。それは変わらん」
愕然とする狙撃兵。
「それじゃあ、この戦いは……俺のしてきたことは……」
震える声に標的は応えない。
「なら、俺たちの敗北は決まっていたというのか……あの人が勝利を賭けて、負けた、と……」
「違う」
脈絡無くこぼれる狙撃兵の呟きに、標的が応じる。
「……違う? 何が違う?」
少し言い澱む標的。
続く口調は、狙撃兵には不服そうに聞こえた。
「お前の指導者が賭けた願いは『敗戦の責任から逃れる』ことだ。戦争の勝利ではない」
「……は?」
拍子抜けした声。
「お前の指導者は負けると思っていた。勝てない戦争を始めてしまった、と。だから、彼の心の奥底では『勝ちたい』よりも『責任をとりたくない』という気持ちが強かったんだ。まあ、望まれてやらざるを得なかった者としては思うだろうことだが……。とにかく、賭けられる願いとして判定されたのは『敗戦の責任から逃れる』ことだった」
「何だと!?」
狙撃兵の口調に覇気、もとい怒気が戻る。
「彼が負けたことで『敗戦の責任を負う』ことが『ルール』で実現、つまり敗戦自体も確定してしまった。逆説的だが、彼の逃避願望が敗戦を決定づけたわけだ」
「う、嘘だ! あの人はそんな人間じゃないっ!」
売り飛ばされた先で飽きられて捨てられ、後は飢えて死ぬだけだった自分に差し伸べられた手。
ドブの中に投棄されて積み重なっていた、腐った同胞の死体をかき集め抱きしめた腕。
「兵士になってほしかったわけじゃないんだがなぁ」と苦笑した顔の、困ったような、でも柔らかくて優しい目。
屈強な肉体と不屈の意志を持ち、深慮遠謀と大胆不敵を兼ね備えて、その大きな背中で悲痛に潰えた人々の無念を背負い続ける、気高い理想を掲げる指導者。
虐げられる人々の最後の希望。
狙撃兵がただ一人敬愛する人。
自分を育てた、慈しんだ、唯一の存在。
他には何もない。
何も。
「……彼だって、普通の人間だったんだ」
標的の声は、不機嫌さを隠そうとして失敗、といった風だった。
その中にかすかな寂しさを漂わせて。
「違うっ! 違う違うちがうチガウゥゥゥッ!!」
狙撃兵の叫びは、最後は獣の咆哮のようだった。
その視界が一瞬歪んだ。
間髪入れず標的の顔が遠退くというか、薄くなるというか、区別が付けられなくなる。
「ゥォァアアアアアア!!!」
出血多量が引き寄せてくる死の眠りに、抗うように叫ぶ狙撃兵。
いや、全てに、何もかもに抗うように。
己が絶叫の中に紛れる標的の呟き。
表れていたのは、悲痛。
「……介錯だ」
かすかに残った狙撃兵の感覚が最後に捉えたのは、自身の胸、心臓へと冷たいものが滑り込む感触だった。
(続く)
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