Ⅵ.兵士の挑戦

 とりあえず、戦闘時により手早く使えるように少年の残した融合剤を小分けにして……と考え始めたところで、エクスは思考をいったん中断した


 周囲のがれきが宙を漂い、ゆっくりだが滑るように移動している。

 即座に腰を下ろして、意識を閉じるエクス。


 カァーーーン、カァーーーン……。


 鐘の音が終わって目を開くと、前進は復元していた。


 そこからのエクスは素早かった。

 コンバットナイフで融合剤を取り急ぎ4等分し、軽く形を整えて、2つを腰のポーチに仕舞い、残りを鈴で魔法陣に収納する。


 そして周囲を警戒。


 がれきがまた一つ、しゃがんだエクスの横に崩れ落ちてきた。

 復元されきっていない、徐々にだが、確実に悪化している。


 が、それ以外、何も起きない。


 エクスの眉が不審そうに寄った。


 この街、『箱庭』の崩壊は正真正銘憂うべきことだ。

 それは限界を示しているのだから。


 しかし、エクスの疑念は、今はそこではない。

 鐘の音が終わった、つまりインターバルが終わったということは、次の挑戦者がいるはずなのだ。

 それなのに誰も現れない、周囲は無人のままだ。


 味気のない空気が、埃を舐めるように押し流す。


 見晴らしはいい。

 後ろは少年とやり合ったビル、前はちょっとした広場で、見通しを遮るものは無い。


 埃が隙を見て舞い戻る。


 過去にこのパターンが無かったわけではない。

 それはもちろん多々あったが、ここのところ正面切って向かってくる挑戦者が続いていたので、エクスは少々面食らったのだ。


(……隙を窺うタイプか)


 となると、どちらが先に索敵に成功するかが鍵だ。

 こちらの位置を気取られずに、相手の位置を把握する。神経を研ぎ澄まして心理を読み、精神的な消耗戦になることもしばしば、場合によっては持久戦の色合いが強くなることもある。


(では、こちらの攻め手は――)


 一瞬考えるエクス。


(――【相手の出方を見てみる】か)


 方針を決めて、いや、決めたくせに少し首を傾げるエクス。

 その自分の仕草に、さらに首を傾げた。


(?)


 自分が少し首を傾げたのが何故か、自分で分からなかったのだ。

 わずかに引っかかる、奇妙な違和感。


(いや、【周囲の警戒に集中】しないと)


 喉に引っかかった小骨のような感覚を、エクスは無視することにした。

 冷静に、かつ集中して辺りを窺い続ける。

 かすかに動く空気の流れさえも見逃さずに。


 ……。


 …………。


 ………………。


 ……………………………………………


 何も起きない。


 何一つ。かさついた風が相変わらず気怠そうに行ったり来たりして、埃がその足跡を埋めるように滑り込む。

 目に映る現象で動いているものはそのぐらいだ。


 時間は刻々と過ぎていく。


 エクスの集中力は簡単には途切れないし、体感時間も実際の時間からずれることはない。

 持久戦で後れを取ることは、通常ならば、まあそうは無い。


 1時間ほど経過。


 全く何も起きない。

 完全に持久戦の様相だ。


 改めて、エクスは首を傾げた。


(……何をしているんだろう、な)


 まだ見ぬ相手のことではない。エクス自身のことだ。

 相手の出方を窺う、それがおかしいのではない。

 悠長に待ち続けていることがおかしいのだ。

 大体、索敵が鍵だと自覚していながら、ただひたすらにじっとしているとは何事か。


(【疲れている】のか? 【まあ、一息してから動く】か)


 またもや何かに引っかかりながらも、エクスはポーチから携帯水筒を取り出す。

 そしてボトルのキャップを回し――


(!)


 走った悪寒に、反射的に横へ飛ぶ。

 摩擦音のような、破裂音のような、低く鈍い音とともに、エクスと入れ替わるように壁に穴が空いた。

 同時に、噴き出すような爆風。


 弾丸などの穿たれたのではなく、正真正銘穴が空いた。

 突如として、砂のように、塵のように、一瞬で崩れ散り、その一瞬後に爆発が噴き出すようにあふれる。


 エクスは転がるようにして停まり、さらにもう一歩横へ。

 その跡にはまた、重く響く摩擦音とともに崩れ散って穴が空く。


 振り切るように疾走、窓ガラスを突き破ってビルの中へ飛び込むエクス。

 そのまま姿勢を低く壁沿いに素早く移動、別の窓の下まで走りきって、そこで息をつく。


(狙撃兵か?)


 初撃、続けての二射目からして、腕は良い。ただし、獲物はいわゆる銃器ではなさそうだ。

 火薬の炸裂音と音速を超える時の低い衝撃音、銃声を構成するそれらの音が両方ともしない。

 耳をつくのは摩擦音のような鈍い音、それとともに唐突に、粉々以上に円状に崩れて散る。


 エクスの経験上から推測すると、おそらくは分子間力か素粒子の相互作用を切って対象を崩壊させる類の兵器。

 つまり分子レベル以下での粉砕、防弾チョッキどころかシェルターでも防げない攻撃だ。

 ずいぶんと凶悪な獲物を持ってきたものだ。


 そして、使い手はかなり周到なタイプとみた。


 エクスが頭を屈めるところを、動きが止まるところを、正面斜め上から撃ち抜いてきた。

 体ごと横っ飛びで避けなければ、例えばとっさに頭を動かした程度だったなら、体のどこかには大穴が空いていたことだろう。

 この手合いは、二手三手と詰めてくるタイプが多い。


 とすると。


 弾けるように駆け出すエクス。

 少し離れたところの窓を突き破って飛び出すのと入れ替わりに、黒い影が火を噴きながら、続けざまにビルへと吸い込まれる。


 ドドドドオオオオオオオオン!!!


 爆風に背中を押される、というより吹き飛ばされながらも、しかしエクスは着地後スピードを殺さずに疾走。その後ろで、ミサイル数発分の爆発にビルが耐えきれず倒壊していく。

 爆発で吹き飛んだというよりも、火の球体に食われた後でさらに炸裂されたというか、ダルマ落としで神速で一段打ち抜いたというか、2フロアほどをぽっかりと消し飛ばされていた。


「やってくれるな!」


 だが生き埋めは御免こうむる、と胸の内だけで続けて、エクスは別のビルの陰へと身を寄せた。

 そして、狙撃があった方向を窺う。


 後手を踏み続けたが、相手の位置も見当がついた。


 初撃は正面かつ斜め上から。

 ならば、広場の向こうの大通りの、さらにその道が伸びる先にある向かいのビルしかない。

 ざっと見ても2キロメートルは余裕である。それであの精密射撃とは、大した腕前だ。


 大通りの際、左右は植栽で歩道と区切られている。

 木は枯れてしまっているが、遮る物の無い大通りど真ん中を行くよりは遙かにマシだ。


 右か、左か。


(【右】)


 手前ではなく向こう側の歩道に決めて大通りを横断、植栽に沿うように疾走を始める。


 吹き抜ける一陣の風の如き戦闘服姿。


 ただし、エクスはランダムに速度を変え、左右にブレながら駆けていく。

 狙撃兵相手に単調に進むのは、どれだけ速くともタイミングを計ってくださいと言っているようなものだからだ。

 それでも常人の短距離走を凌ぐ速度で、2分もあれば目的地へと着ける。


(逃げられる前に詰める!)


 狙撃ポイントがばれたのに、そのまま居続けるバカな狙撃手はいまい。

 既に移動し始めているだろうが、間合いが長距離の相手なら、とにかく距離を詰めないと話にならない。

 エクスの獲物はコンバットナイフのみなのだから。


 瞬く間に中程までを踏破。

 違和感――

 前の路面、何本も、かすかに引かれた線、極細のワイヤー――


 ――トラップ!


(【跳べ!】)


 とっさにまとめて跳び越えるエクス。


 ぞくり。


 本能の警告、反射的に体を無理矢理ねじる。


 ドンッ!!


 千切れた右腕が宙を舞い、崩れた体勢が撃たれた衝撃でさらに振り回される。


「ちいっ!」


 瞬間、大きく足を開いて、勢いに沿わせながら振って姿勢をコントロール。

 ギリギリで着地し、間髪入れずに右腕をつかみ取って、全速力で手近な路地へと飛び込んだ。


 ピィン。


 軽やかで、鋭い音。

 足下に踏まれたワイヤー、路地の際に無骨な薄い小箱。

 箱からあふれる閃光。


 ドオオオォォォン!!


 路地を埋め、通りへと噴き出す爆風に押されるようにしてエクスが宙を舞う。

 その全身から飛び散る血飛沫。

 爆発の衝撃ではない。それは全力で飛び退いて、何とか凌いだ。同時に飛んできた細かな散弾を食らったのだ。


(対人地雷っ!)


 爆発と同時に散弾をばらまく地雷、狭い空間で逃げ道も限られるような場面では効果的なトラップだ。

 千切れた右腕を盾にしなければ、頭と心臓も撃ち抜かれていただろう。


 受け身は取った物の勢いは死なず、エクスは路面を転がる。

 で、止まらない。

 そのまま駆け出すエクス、それを追うように路面に円状の痕が空いていく。


 大通りをまた横切り、対岸のビルへ。

 飛び込んで即座に目を走らせる。ここにはトラップは無いようだが、念のためにビルの中を走り抜け、裏手へ出て、さらに隣のビルへと身を移した。


 ドゴオオオッ!!


 轟音が鳴り、地響きが走る。

 振動の元は先ほど逃げ込んだビル、ロケットランチャーか何かの追撃があったのだろう。

 崩れ落ちるがれきの響きが続いている。


 エクスは舌を巻いた。


「本当に抜け目無いな」


 二手三手どころではない、半端ない用意周到さである。

 よくぞこれだけトラップを仕掛けられたものだ。


(……いや、あれだけ時間があれば可能、か)


 思わず苦笑が漏れるエクス。

 始めの一時間のことだ。ただ待ち続けたあの時間、その間に、相手は仕込みを済ませていたということ。

 さっきの狙撃も横からで、狙撃ポイントを変えるには速すぎるが、それも、あらかじめ移動方法まで仕込んでおいたのだろう。

 まあ、超能力だの魔法だので瞬間移動した可能性もあるが、それはエクスは疑っていた。

 完全に銃火器で組み立てられた戦術から、それはどうにもしっくりこない。


 それにしても、相手に好き勝手できる時間をくれてやるとは。


(何をしているんだろうな、俺は)


 自嘲し、はたと気づいた。


(何故だ?)


 おかしいのだ。

 控えめにみても、普段の自分の判断とは思えない。


 そういえば度々違和感があった。


 何故、自分は【相手の出方を見てみる】と決めた?

 戦場で【一息してから動く】などと思った? 

 大通りを進むときに、わざわざ遠い方の【右】を選んだ理由は?

 路面のワイヤーを見た瞬間【跳べ!】と命令したのか? 自分へと?


 あり得ない。あまりにも相手に都合が良すぎる。

 これではまるで、相手の思い通りに動かされているようなものだ。思考そのものを操られる――


「……そうか」


 ある可能性に気づいて、エクスの苦笑が不敵なものに変わった。



(続く)

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