Ⅳ.少年の願い
ずるり。
コンバットナイフを引き抜きながら、エクスは立ち上がった。
血は吹き出さない、が、傷跡はしっかり残っている。
「……僕を斬れるんだ?」
少年の声は疑問形だが、口調は放心した無感情なものだった。
いや、どこかしら、ほっとしたようにも感じられる口調。
「ああ。これは全てを斬る。形が有ろうと無かろうと、思念体であっても、な」
答えながら、エクスはナイフの刃を確かめた。
付着物は無い。
「僕のこと、知ってたの?」
「知ったのは今だ」
その言葉通り、エクスの頭の中に少年のデータがダウンロードされたのは、たった今だった。
つまり、勝敗は決した。
「それにしても、随分と特殊な存在だな君は。人為的に抽出加工された思念体を『部品』として造られた人工生命体、か」
驚き、というよりは感心した風に呟くエクス。
少年は苦笑で応えた。
データによれば、ただの思念体ではない。サイコキネシスだのパイロキネシスだの、いわゆる超能力と呼ばれるものを加工して造られた思念体だ。
超能力そのものを抽出し、それを思念体というモノへと造り変えている。さらに、それを部品としてつなぎ合わせて、彼という存在を造り上げたのだ。
現在の彼の人格は、もっとも大きな部品、コアと設定された人物のものらしい。
あの自由奔放すぎる攻撃手段は、単純に少年のイメージが再現されたということだ。
例えば、彼にとって磁界追走式電磁加速砲は『もの凄い大砲』だが原理の詳細が分からないため、結局レーザー砲となったのだろう。
もっとも、これだけの密度の存在となるためには、大元の『素材』は相当量を必要とする。百や千の桁では到底足らないだろう。
ここに横たわっているのは、数万か数十万かの命からむしり取られ、いじくられ、圧し固められた、そのなれの果てというわけだ。
「……辛かったんだ……」
少年の訴えは、小さく、乾いていた。
思念体へと加工する技術は、理論的には完璧だった。
実際、元の個体の意識は観測されないほどに純粋に仕上がっていた。
だが、『観測されない』ことと『存在しない』ことは、必ずしも等しいわけではない。
そう、観測されない程にわずかな意識が残っていたのだ。
それは、圧し固められていく中で、本当に少しずつ、しかし着実に、じわりじわりと積み重なっていった。
少年というコアを得て凝縮された時、それは、少年の意識をも凌駕する大きさになっていた。
明確な意識ではなく、混濁した無意識――いや、本能と言ってもよいものだった。
奪われることへの恐怖。
踏みにじられることへの憎悪。
様々な負の意識が積もりに積もった、その結果生まれたもの。
それは、不安と渇望だった。
狂おしいまでの。
「……苦しかったんだ……」
少年が試験球から排出された後、まず会わされたのは、コアとなった少年の姉だった。
最終調整時におけるメンタルデータの不安定さ、それで理論上はあり得ないはずの残留思念による影響を疑い始めた製造者たちが、不安定さを解消するためにと試した処置だ。
少年の自我を刺激して強化するための、単純で分かりやすい処置。
手抜きと言っても良い安直さに、製造者たちの危機感の無さがよく表れている。
それが裏目に出た。
駆け寄る姉弟、感動の再会――のはずが、少年の伸ばした手が異形に変質したことで、陰惨な離別となった。
口だけの不格好な獣となった少年の手。
姉の上半身を抉り切る牙。
噴出する血潮を飲みつつ残りへと裂ける獣の顎。
同じように裂ける口から迸る少年の悲鳴。
少年の中にねじ込まれ、捏造された本能は、不安と渇望は、少年の意思とは関係なく姉を食らった。
不安から逃れようとするあまりに。
最愛のものを渇望するあまりに。
そして、暴走した。
死ぬことのない少年の緊急『停止』用にあらかじめ組み込まれていた自壊ウイルス、それも己が身を変質して生成した免疫システムで駆逐し、逃げまどう製造者たちを食らい、駆けつけた警備員を食らい、セキュリティシステムが起動させたガードロボットを食らい、緊急封鎖モードで陰惨な監獄と化した研究所そのものをも食らい、制圧のために動員された精鋭一個師団をも食らい、果ては首都を丸ごと食らった。
少年の声が嗄れ果てる頃には、彼の周囲には何も残っていなかった。
「……償いたかったんだ……」
放浪する少年。
しかし、行く先々で出会ったモノを全て彼は食らってしまう。
どこまで歩みを進めても、進めても、進めても。
ただ、荒野が広がるのみ。
食らっても、食らっても、満たされることなく。
求めても、求めても、何一つ手に入ることなく。
悔やんでも、悔やんでも、償う術を見つけられない。
その擦り切れた心に残った願い。
「……ごめんって言いたかったんだ」
食らった首都の人々に、ではない。
脅かした世界の人々に、でもない。
ただ一人。
訳も分からずに、唐突に食われた姉に。
エクスはナイフを仕舞おうとして、うまく行かないことに気づいた。
左手を見ると、手どころか腕ごと丸焦げになっている。
改めて、凄まじい火力だと感嘆する。
炎は最優先で避けたはずなのに、かすった余波だけで2000℃にも耐える特殊アルミナ繊維が瞬殺。
ゴリラの腕を壁や足場のように利用できたから良かったものの、炎のレーザーだけを使われて冷静に狙い撃たれていれば、エクスは為す術もなく終わっていただろう。
精神的プレッシャーで少年を恐慌状態に追い込み、判断力を奪ったのが吉と出たわけだ。
とはいうものの、この火傷の範囲では皮膚呼吸での酸素吸収量が足りず、じきに酸欠の症状も出てくるだろう。
そう自覚すると、息苦しく、意識もぼんやりしてきた気もする。
地面にナイフを叩きつけたくなる衝動を抑え、深く息を吸って、長く吐く。
「願いは叶わん」
少年は薄く笑う。
「でも、もう終われる。あなたが斬ってくれたから」
一言の謝罪を。でなければ、終わりなき命に幕引きを。
少年にしてみれば、勝敗はどちらでも良かったのだ。
勝っても負けても、自分の望みはいずれかは叶う、と。
だから、彼は安堵しているのだ。
だが、エクスが吐いた言葉の意味は違う。
「だから、その願いは叶わんと言っている」
繰り返しエクスは言葉を吐き出す。
あくまで、淡々と。
少年がきょとんとした顔になる。
「……負けたから? 死ねないってこと?」
ある意味では、少年は正しい。
全てを斬るエクスのコンバットナイフで貫かれても死んでいないのは、この空間、『箱庭』システムが彼にとっての絶望を実現しているからだ。
でなければ、少年は即死している。
しかし、それは『死』が彼の願いだから、ではない。
「君は、願いは謝罪か死だと言っているようだが、この『箱庭』で賭ける願いとは、そういう表層的なものじゃない。ここは、深層にある願望、いわゆる本心から願いを拾い上げる」
少年が声を荒げる。
「本心だよっ、本当にそう思ってるよ!」
この場所では、勝てば願いの手助けになる『奇蹟』を選ぶことができ、代わりに負ければ絶望が実現する。
それが『ルール』であり、故に、それは間違いのないものでなければならない。
でなければ、フェアではない。
したがって、この『箱庭』の街は、挑戦者の願いを深く探り拾い上げる。
表彰で思う願いの、そう願う理由までも洗い出し、把握する。
エクスは首を横に振った。
無慈悲な宣告。
「謝罪でも死でも叶う願い、それは『逃避』だ」
「と……うひ……?」
意味が分からない、と言わんばかりの少年の口調。
だが、その暗い目に表れているのは、動揺や困惑といった類のものではない。
というか、感情が無い。
見ていない。見ようとしていないのだ。認識を拒否している。
エクスの宣告を正しく理解して、そして、その故に蓋をしてしまった目。
知っていて、知りたくない事実に対して。
一瞬、エクスの目も暗くなる。
しかし、宣告は何事もなかったかのように続く。
「姉に許しを請い許される。死ぬことで解放される。いずれにしても、その目的は『現状から脱する』ことだ。殺してしまった罪、殺してしまう業、その苦しみから逃れたい。楽になりたい。それが君の願いだ」
「な……あ……」
エクスに対して、少年の声は言葉にならない。
代わりにその体が小刻みに震えていた。
それを見下ろすのは無機質な目――に見えた。
その奥底を読みとれる程の年月を経ていない少年には、そうとしか見えないエクスの瞳。
「逃げられるならば、どちらでも構わない」
「ち、違うっ!!」
エクスの容赦ないまとめ方に、少年は叫び声で抗う。
なりふり構わぬ、悲痛な叫び。噛みつきそうな勢いだ。
だが、エクスは表情を動かさなかった。
何しろ、彼の頭の中にはそう結論が出ているのだ。『箱庭』が探り、洗い出した結果として。
である以上、それが揺らぐことは無い。
少年の必死の訴えにあえて耳を傾けず、エクスは告げなければならない事を告げる。
「したがって、君に実現する絶望とは『死なない』ことではなく『逃げられない』ことだ」
「……え?」
激昂を断ち切られた少年の口が半開きで止まった。
「それじゃあ、何も変わらないってこと?」
「違うな」
軽く咳き込むエクス。
くすぶってくる胸焼けは、酸欠のせいか、少年の悲壮な顔のせいか。
それとも、これから告げなければならない結末のせいか。
「今まで通りなら、いつか君の精神は壊れただろう。心が死ぬ。それに、君は気づいていなかったようだが、その思念体は完全ではない。ごくわずかだが結合に緩みがある。長い時間はかかるが、徐々に崩れて、最後にはきれいに分解されただろう。どちらにしても、君の願いはいつかは叶うものだったんだ」
もっとも、体の分解には悠久に思える時間が必要だから、先に心が死ぬだろう。
それも、そう遠くはなかったはずだ。
つまり、彼は自分の手で願いを手放したのだ。
たった今、ここで。
少年がまた震え出す。
心を抉られた先ほどとは、違う。
恐怖。
聡い子だ、とエクスは評価した。
エクスが言わんとしていることに気づいている。
エクスの眉間に、深く皺が寄る。
喉の奥、胸の奥で、何かが圧し潰されるような錯覚。
だからといって言わずに済ませるわけにはいかない。
もう遅い。全ては決してしまっているのだから。
少年の口がわななく。
「そ、それじゃあ……」
「そうだ。君の体は完全になる。永遠に滅びることのない、不死の怪物だ。さらに、君の精神もこの先永遠に壊れることはない。どんな狂気にさらされようとも、君の正気は強制的に保たれ、逃げるどころか背を向けることさえ許されない」
「あ……あ……」
「君は元の世界に戻って、これまで通り全てを食らうだろう。そして、食らった憤怒を、憎悪を、悲痛を、全て正気で受け止めなければならない。狂ってしまえれば楽だろうが、君の心は死ななくなってしまったからな」
「そ、そんなっ」
「君の世界を食い尽くせば終わり、じゃないぞ? 今度は別の世界に移って、また食らう。君の世界に留まらない、全ての世界にとって最悪の災厄となるわけだ」
少年の震えが大きくなる。
ガタガタと震える手で、少年はエクスの服の裾をつかんだ。
瞳孔が開いている。
「い、いやだ……っ!」
「……拒否は出来ない。そういう場所だと承知の上で挑んだんだろう? せめて、ゆっくり食らうように努力することだ」
少年の懇願を前に、抑揚のない口調を保つエクス。
ただ、続く一言には、殺しきれない感傷がにじみ出ていた。
「しかし、本能に抗い続けるのも、また地獄か……」
「いやだあああああ――」
爆発した絶叫が唐突に途切れる。
少年の姿は跡形もなかった。強制転移されたのだ、元の世界へ。
鐘が、鳴る。
(続く)
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