Ⅲ.少年の挑戦

「えっと、こんにちは」


 振り替えりはしたが、エクスは応えない。

 美しい少年だった。手術服のようなデザインの、白い服を着ている。


 する側出はなく、される側のデザイン。


 そして、服だけではなく、肌も、髪も、何もかもが白い。


「あの……おじさんが、その、死神なの?」


 おずおずと問いかける少年。かなり内気と見える。

 エクスは苦笑した。


(今度は死神か)


 A.D.のネタが尽きたか、またベタなところにきた。もう何千か何万回目の登場か分からないが、まあ、それも仕方がないだろう。

 そもそも、ネタが続く回数ではない。


「あ、あの――」


「ああ、合っているよ少年。私がここの死神だ」


 少年を遮ってエクスが答えると、少年の顔に安堵が浮かんだ。


 違和感に少し首を傾げるエクス。

 人違いではなかった安堵にしては少々素直すぎるというか何というか、少なくとも、死神だと自己紹介した相手に向ける表情ではない。


 それはそれとして、今度はエクスから続ける。


「君が挑戦者かい? 願いを賭けに来たのか?」


「う、うん」


「聞いているな? 負ければ絶望となって実現する」


「分かってる」


「そうか」


 改めて少年に目を留めてから、そして、エクスは真剣に構えた。

 見た目だけでは判断は出来ない。愛らしく話す子犬が音速を余裕で超える速度で飛びかかってくる、ここはそういう場所だ。


 ここにたどり着けたということは、まあ大半は、常軌を逸した存在なのである。


「では始めようか」


「……」


 無言でうなずく少年。


(……?)


 動かない。少年は立ったままだ。

 彼のプロフィールや願いの内容といったデータは、勝敗が決した後、エクスの脳に直接ダウンロードされる。

 それまでは、相手の手の内は不明。

 それが『ルール』だ。


(さて、どうしたもの――ん?)


 思索するエクスの目が、少年の異変に気づいた。

 震えている。初めは微かに、そして段々と大きくなり、その振動が少年の右腕に集まるようにうごめいて――


(まずいっ!)


 とっさに大きく飛び退いたエクスの、その元いた位置を貫く白い影。

 そのまま横薙ぎに、払うように追いかけてくるのを、屈んで転がるように避けるエクス。


 距離をとって構え直したエクスは、相手の姿に目を見開いた。


(……何だ、あの姿は?)


 少年の右腕のあったところから、右肩から、生えている。


 ゴリラが。


 少年よりも大きい白い巨獣の、その胸から上と右腕が、少年の肩から盛り上がっている。

 先ほどの一撃は、そのゴリラの腕だ。


 しかも、バランスが、長さがおかしい。

 ゴリラの頭から推定されるサイズよりも余裕で倍、いや三倍以上はある。


 とどめに、ゴリラの腕の先端は拳ではない。

 口だ。

 目も鼻もない、顎だけの獣。それが節操なくガチガチと、飢えに飢えたかのように牙を打ち鳴らしている。


 実に不自然極まりない。


 少年が歯ぎしりした。


「まだだ、まだぁっ!!」


 信じがたい速度で少年が跳び、稲妻のごとく打ち下ろされる白い獣の拳、もとい顎。

 それを数センチ単位でエクスがかわす。

 白い顎が打ちつけられた地面が爆発し、大穴が穿たれる。顎が咀嚼しているあたり、どうやら地面は衝撃で飛び散っただけではなく食いちぎられてもいるらしい。


「ぅぁああっ!」


 そのまま踏み込んで交差法で斬りつけようとして、一転、少年の叫び声に合わせるように、エクスは大きく飛び退いた。

 間一髪で、エクスのいた地面に顎がまた叩きつけられる。


 別の顎が。

 ゴリラの肩から新しい右腕が生えた。


「ああああああっ!!」


 少年の雄叫びが響き渡る。

 いや、悲鳴か。

 次々と生え続けて増える腕、その先端の顎が大口を開けて、次から次へと、疾走するエクスへと降り注いでくる。


 まさに、異形。


 しかし、エクスは冷静に観察していた。


(……素人か?)


 意外性は満点で破壊力も十分、しかし、単調で力任せの攻撃だ。戦闘訓練を受けているとは思えない。

 もっとも、こんなデタラメな戦い方に、そもそも訓練も何もありはしないのだろうが。


 顎の雨の中を縫うように、自分の間合いへと踏み込もうとするエクス。

 その一歩を踏んだ、その時。


「うわあああっ!!」


 少年の叫びに合わせるように無数のゴリラの腕が膨張、と思った瞬間に爆裂した。

 凄まじい爆音がまとまって響く。


 広くえぐれた地面を前に、荒く息をする少年の姿。

 理不尽かつ驚異的な攻撃だったが、しかし、驚いたのは少年の方だった。


「い、生きてるの!?」


 爆発の煙の向こうから現れるエクスを見て、少年が悲鳴を上げる。

 爆発とほぼ同じ速度で後ろへと跳び、衝撃を凌ぎきったのだ。


 歩み寄るエクス。

 たじろぐ少年。


「そ、それならあっ!」


 少年が胸を大きく反って、胸から無数の銃口が剣山のごとくわき上がった。

 そして、間髪入れず全てが火を噴く。


 閃くエクスのコンバットナイフ。


 飛来する弾が、瞬きとともに払い落とされていく。

 全て弾き落として悠然と立つエクスの姿に、少年の口がおびえて震えた。


「そ、そんな……」


 後ずさる少年から一瞬だけ視線を外すエクス。

 周囲の地面には小さながれきの欠片が散らばっている。

 先ほどまで顎が食らいまくっていた地面から、がれきの破片を弾丸として撃ち出してきたのだ。

 威力はいわゆる銃弾に迫るものだろう。しかし、先ほどまでの攻めに比べると、やや陳腐な印象を拭えない。

 どうにも、アンバランスというか、ちぐはぐというか……。


 これは本当に、本来は戦闘用の存在では無いのかもしれない。

 素人とかいう以前に。


 そこで疑念を保留して、エクスはまた歩みを進める。


「く、来るなあっ!」


 今度は少年の背中が膨れ上がって弾けた。

 現れたのは二対の純白の翼、その翼を大きく羽ばたかせて、少年の姿が空へと舞い上がる。

 続けて、今度は少年の左腕がぐにゃりと歪んだ。


 無機質な形状。生物に感じる柔らかさが全く無い硬質で直線的な造形の、二対の支柱に挟まれるように延びる長大な砲身。

 エクスには見覚えがあった。以前挑んできた兵士が携えていた獲物と似ている。

 あれは――


 汎用型磁界追走式電磁加速砲!


「うわああああああっ!」


 左腕の砲身が、少年の叫びに合わせるように火を噴く。

 横へ跳ぶエクス。

 迸る紅蓮。

 紅の閃光が、エクスが居た場所を抉った。


(電磁加速砲じゃない!?)


 削り取られた地面を見て眉をひそめるエクス。

 撃ち出されたのは弾丸ではない、明らかに純粋な熱線だ。

 ただし、先ほどの竜帝のブレスよりも高温高密度の炎、まともに食らえば、微細な空気を含んだ特殊アルミな繊維の戦闘服でもひとたまりもあるまい。

 一瞬でエクスは蒸発、かするだけでも重度の熱傷は避けられないだろう。


(何だ?)


 エクスの疑念が再燃する。

 おとぎ話の化け物のような打撃、とってつけたような銃撃、そして今度はエクス基準で6段階目後期相当の科学技術の砲撃、のはずが何故か高火力レーザー砲ときた。


 まるで子供の作ったキャラクターのような無節操さだ。


 とりあえず、本物を内蔵または再現している線はない。

 だったらレーザーではなく砲弾が飛んでくるはずだからだ。

 ならば……それにあの好き放題に作っているかのような攻撃手段……。


(いや、それで合っているのか?)


 ふと思い当たった仮説を遮るように、少年が絶叫する。


「ああああああっ!」


 続けざまに上空から降り注ぐ、赤い奔流。

 切り替えるエクス。

 ホーミングレーザーのようにつきまとうそれは、しかし、エクスを捉えられなかった。

 捕まる直前、消えたかと見紛う程の瞬発力で飛び退いて、距離が取れれば自然体で歩む。


 悠然と。


「当たれっ、当たれえええっ!」


 上空という手の届かない圧倒的優位からの一方的な攻撃。

 だが、精神的には、少年の方が見るからに劣勢だった。


 決して攻め手が弱いわけではない。火力、速度、意外性も含めて、十二分に苛烈といって差し支えない攻撃だ。

 実際、表情には出していないだけで、エクスには余裕など微塵もない。内心冷や汗まみれのギリギリである。


 しかし、それでも、エクスはあえて悠然と振る舞う。

 格上の相手を演出して、少年に精神的プレッシャーをかけるために。


 空で少年がじりじりと後退していく。

 少年の背後に見えるビルが近づく。


(もう少し、かな)


 追い縋ってくる赤い死の奔流を神速で、同時に悠然とかわしながら、エクスは少年を着実に追いつめていく。


「何で、何でだようぅぅぅ――ぅあっ!?」


 少年の半ば錯乱の声が、驚きで断ち切られた。

 背後のビルに気づかずに背中から突き当たったのだ。


 その瞬間軽く、しかし、間違いなく崩れる体勢と集中。


 見逃さないエクス。


 放たれた矢のように疾走、からの全力跳躍。そしてワイヤーガンを少年の頭上へ、その背後のビルの壁へと撃つ。


 ガキンッ!


「えっ!?」


 少年がエクスへと注意を戻した時には、ワイヤーで引き上げられるエクスが一気に迫ってくるところだった。


「うわあっ!!」


 二人が交錯する。


 弾かれたように、軽く舞い上がるエクス。

 壁に打ちつけられ、墜ちていく少年。


(外したか!)


 斬り飛ばした少年の右肩、ゴリラを視界の端で確認。さすがにあの肉厚に守られては、本体にナイフが届かなかった。


 だが、大きく崩れた。


「うぅぅ……」


 それでも、呻きながらも、少年は羽ばたきを取り戻そうとしている。

 エクスは動きを止めない。

 即座にワイヤーを引いて壁に着地、同時にワイヤー先端のアンカーを切り離す。

 そして壁を大きく踏み切った。


 下へと。


 ショックから立ち直る少年の目に、墜落してくるエクスの姿が映る。

 自分へと一直線に――


「っ、来るなああああああ!!」


 その叫びに応えるように、少年の喉にもう一つの口が浮かび上がった。

 コウモリを思わせるそれは、少年の声の後を拾うように奇声を放つ。


「アアアアアアアアアアアアッ!!!」


「ぐっ!?」


 エクスの視界が歪む。

 目をやられたのではない。だが、上下左右の感覚がかき回される。

 音波で三半規管をやられたのだ。


「「ぁあアぁァアあァアアああアアァあぁア!!!」」


 奇怪なハウリングが響き渡る。

 その中で、少年の右のゴリラが再生し、胸から銃口が盛り上がり、左の砲身が炎を溜める。


 その全てが一斉に解き放たれた。


 巨腕の群。

 無数の散弾。

 赤い奔流。


 目前に迫る、死を告げる怒濤。


 その刹那――


 エクスは三半規管からの情報を無視、肌を刺す感覚を拾うことに集中して、後は自身の肉体に全てを任せた。


 怒濤の猛攻の中を舞うエクス。

 激流に乗る笹舟のように。


 墜ちる――

 逃げる――


 墜ちる――

 追う――


 ――迫る地面。


 ドオオオオオン!!!


 爆発したかのように舞い上がる砂埃。

 それは重たい霧のようで、しかし、軽やかに風に払われた。


 現れたのは二つの影。


 一つは、ナイフで胸を貫かれている異形の少年。


 一つは、少年を刺し貫くナイフを握るエクス。

 ところどころ焼け焦げながら。



(続く)

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