革命
ボスがレイピアを片手に、六人の男らに突進していく。
そうだ、理由なんて今はいらない。俺も腕に絡んでいた縄を振り払い、自由になった右手でぎゅっと拳を作った。その拳を、隣で呆然としていたグルーダの顔面に思い切り叩き込んだ。
ゴリッと、食いしばった歯が擦れるような音がした。
「ずっとぶん殴ってやりたかったんだよ。噴水に投げ込まれたときから、ずっとな!」
ボスが許可してくれるなら、思う存分、暴れてやろうじゃねえか。
グルーダが声にならない呻きを洩らし、ふらついて壁に凭れた。俺は右の拳を左の手のひらでさすった。殴る方も痛い。指の関節がズキズキする。
俺はグルーダを放置して、ボスのあとに続いた。唖然としていた兵士や獄卒の男らに向けて、ボスがレイピアを振りかざす。刃の先端が斜め下向きに大きく一文字を描くと、我に返った男たちが首を引っ込めた。俺はボスのレイピアの下を潜り、蹲るクオンとシオンに駆け寄る。
「怖かったな。もう大丈夫だから」
双子の背中に手を添えて軽く撫でてから、ふたりの腕の縄を引っ張る。解いている余裕はないと思ったのだが、ふたりの縄ははらっと解けた。俺はぎょっとボスを振り向く。もしかして、今のひと振りで双子の腕の縄を切ったのか。
とにかく、レイピアを持ったボスと男らから距離を取りたい。双子は俺に寄りかかってようやく立ち上がった。その間、クオンもシオンも泣きそうな顔でボスを眺めていた。
兵士らがそれぞれ、携帯していたレイピアを抜く。
「手加減するな。殺せ!」
獄卒も護身用ナイフを持ち出し、ボスを威嚇した。
俺は双子を引き連れて、彼らから離れる。一旦部屋の隅へ双子を追いやり、再びボスに目をやった。
ボスのレイピアがひゅっと宙に弧を描く。兵士らの構えるレイピアに刃同士がぶつかり合い、キンッと甲高い金属音が響いた。
獄卒のひとりが、ボスを背後からがしっと取り押さえる。動きを封じられたボスが獄卒を一瞥する。俺は咄嗟に駆け出して、その獄卒に体当たりした。いきなり横から突進され、獄卒がボスから腕を離す。俺は獄卒と一緒に床に倒れ込み、彼にのしかかった姿勢でボスを見上げた。
ボスが俺を見下ろして、にんまり笑う。
「やるじゃん」
「どうも」
俺の膝の下で、獄卒がもがいている。俺はこの獄卒の手からナイフを奪い、姿勢を立て直した。ナイフを握りしめ、ボスの背中に背を向けて立つ。
固まっていたクオンとシオンの石化が解けた。ふたりとも、こちらに向かって叫ぶ。
「セレーネ様ー!」
「セレーネ様!」
涙を浮かべて絶叫する双子に、俺は一瞬、全てを忘れてぽかんとした。
「せっ……?」
背中を合わせた女を、ちらりと振り向く。彼女は双子たちに向けて、手のひらをひらっと振った。
「よっ。待たせたな」
「きゃああー! セレーネ様ー!」
「会いたかったー!」
アイドルでも見たかのように黄色い歓声を上げるクオンと、うっとりと見蕩れるシオン。
なんだって?
ボスがセレーネ? 月影読みのセレーネ?
「あの……ボス、じゃなくて……せ……セレー……?」
急に言語が不自由になった俺に、ボスが呆れ顔で苦笑した。
「好きな方で呼びな。それより集中集中!」
そう言いつつ、俺の死角から迫ってきていた兵士をひとり、レイピアで薙ぎ払ってくれた。同時にボス自身に襲い来る獄卒も、肘でみぞおちを突き飛ばす。
俺も別の獄卒に胸ぐらを掴まれ、我に返った。
「あとでちゃんと説明してよ!?」
ボスに言いながら獄卒の腕をナイフの柄で殴る。ボスはごめんごめんと謝りながらも高らかに笑っていた。
ボスにみぞおちを突かれて床に伏せっていた獄卒が、のそりと起き上がった。その男がクオンとシオンの方へ向かっていく。俺とボスは同時に身構えた。が、こちらが動く前に、クオンが壁にかかっていた拷問用の鞭を取る。
「きゃー! 来ないで!」
折ってまとめられている形のままの鞭を、クオンが獄卒の顔面に思い切り叩きつける。獄卒はギャッと悲鳴を上げたのち、鞭を持ったクオンの手を取り押さえた。
「このガキ!」
そのまま獄卒はクオンの腋に手を入れ、彼女を抱き上げた。高く持ち上げられたクオンは、ワンピースの裾を広げて獄卒の顔面を蹴飛ばす。その場で崩れ落ちた獄卒に、背後で待っていたシオンが、分厚い板を振りかぶる。獄卒の後頭部に、板が思い切り叩きつけられた。
「クオンに酷いことしないで」
持っている板は、鞭と同じく壁にかけられていた拷問器具だ。穴の三つ空いた、首枷である。
「許さない!」
余程怒りを溜め込んでいたのだろう。シオンは箍が外れたみたいに、何度も獄卒を殴り続けた。
「あ、ありがと……シオン、シオン殴りすぎだよ!」
クオンがブチ切れたシオンに戸惑う。しかしシオンの背に影を落とす兵士に気づくと、素早く跳ね上がって鞭で横っ面を殴りかかった。
双子に気をかけていたら、俺は後ろから首を絞められた。太い腕でヘッドロックされ、頭がくらっとする。苦しさで気が動転し、俺は咄嗟に、絞めてくる腕にナイフを突き立てた。
「うっ……」
絞めていた腕が力を緩める。その腕をすり抜けて振り向き、絞めてきていたこの獄卒の側頭部へとナイフの柄を叩き込む。
刃物で人を刺したのは初めてだ。自分の手の中に滴る血を見て、妙に冷静に、そんなことを思った。
横ではボスが、兵士とレイピアをぶつけ合っている。ポニーテールとそれに縛られた赤いチョーカーが振り乱れる。兵士のレイピアがボスの頬を掠めた。白い肌が血が吹き出し、その飛沫は俺にも降り掛かってきた。
ボスのレイピアが、相手のレイピアをキンッと突っぱねた。天井近くまで吹き飛んだ相手のレイピアが、回転しながら降ってくる。ボスはそちらに剣を高く突き上げて、降ってくるレイピアの柄を刃に通し、鮮やかに受け止めた。
俺はボスに向かってくる獄卒をナイフで止める。その隙を突いて、ボスが獄卒に蹴りを入れた。
「思ったより甘いな。まあ私は山で野獣狩って食ってたんだ、理屈で動くぶん、人間風情わけないね」
床には気を失った獄卒がひとりと、痛みに悶絶する獄卒と兵士がひとりずついる。クオンとシオンに叩き潰された獄卒も、床を這って動かなくなっていた。クオンとシオンは今は、別の獄卒を壁際に追い込んで、ふたりがかりでボコボコにしている。
俺は改めて、ボスの横顔に目をやった。
相手は兵士と獄卒だ。かなり鍛え抜かれているはず。だというのにこの人は、次から次へと襲い来る彼らを、疲れを見せることなく薙ぎ倒していく。
俺の視線に気づいたボスがこちらを向く。痣のできた顔に血を垂らして、にこっと微笑んできた。俺は単純に、「この人怖い」と思った。
ふいに、ギシ、ギシ、と、鈍い足音がした。口の端から血を滴らせたグルーダが、鬼の形相で向かってくる。
「月影読み……。こんなことをして、無事に済むと思っているのか?」
「まさか。思ってるわけないだろ。分かっててやってんの。あんたらとは覚悟が違うんだよ」
ボスが鼻で笑う。
俺はグルーダを睨み、ナイフを握り直した。しかし動く前に、ボスの片手が俺を制す。代わりに、彼女がグルーダへと歩み寄った。
「グルーダ、生憎あんたもただじゃ済まされないよ」
そう言ってボスは、詰襟の中からちらりと、折りたたんだ書簡を覗かせた。
「月影読み、セレーネ・アリアン・ロッドより、国王宛てに信書をしたためさせてもらった。元老院及び側近の横暴は、まもなく世間に知れ渡る」
グルーダの顔色が変わる。立ち止まった彼に、ボスは引き続き詰め寄った。レイピアがぶら下がったままのレイピアを、真っ直ぐ正面に向けてグルーダの首筋に突き出す。グルーダは後退り、壁まで追い込まれた。
ボスは書簡をしまい込み、口角を吊り上げる。直後、レイピアをグルーダに向けてドッと突いた。
「逃亡生活しながらだと、一筆書くのも大変だったんだぞ? まず紙が手に入らないんだからな」
レイピアの刃はグルーダの首筋ギリギリを掠め、壁に突き立てられていた。
俺の横を、兵士がひとりよたよたと通り抜けた。ボスにレイピアを奪われた男だ。足をもつれさせて、扉から飛び出していく。
「誰か、誰か!」
助けを呼びに行ったようだ。ボスが彼を一瞥した。
「おっと、虫けら一匹逃がさないよ。飴ちゃん、あいつ頼むわ」
ボスが頬の血を拭う。彼女のオーラに屈して、なんだか逆らえない。俺は頷くほかなく、逃げ出す兵士を追いかけた。
「ニフェ様に……ニフェ様にご報告を……」
兵士が通路を駆ける。仲間を呼ばれるかと思ったが、誰もいない。
兵士は「誰かいないか」と喚きながら、階段を上った。彼は足を引きずり気味ではあったが、消耗しているなりの全力で走り、大声を撒き散らす。追いかける俺は、体力の限界だった。体が重くて、息が苦しい。脚の怪我がズキズキ痛む。
ぜいぜいと息を切らしながら階段を上り、一階へ上がる。地下牢とは打って変わって、上流階級のための美しい議事堂の廊下だ。
きらびやかなガラスの照明が吊るされた、よく磨かれた通路。その真ん中を、兵士が走っていく。俺は、彼の背中を見失わないように追うだけで、精一杯だった。
窓から外が見える。真っ暗な夜空に吹き付けたような星が浮かび、細身の月がぼやけた灯りを放つ。
兵士が廊下から広間に出て、その中央の階段を駆け上がった。俺も俯きながら追いかける。変な汗が出てきて、体が妙に冷える。
兵士が上の階へ上がり、絢爛豪華な装飾の廊下を抜け、大きな白い扉の前で立ち止まった。
「ニフェ様! 月影読みが現れました。ニフェ様!」
扉をドンドンドンとしつこく叩いている。俺はよろめきながら彼を追う。脚に力が入らない。眩暈がする。
「ニフェ様! 失礼します!」
兵士は扉を押し開け、そして磁石が反発するかのような勢いで飛び退いて尻餅をついた。
「ひいああ!」
やっと追いついた俺は、腰を抜かしている兵士の後ろから、部屋の中を覗いた。
途端に、息を呑んだ。
くすんだベージュの壁に、ひと筋の横一文字を描く真っ赤な飛沫。その手前の机には、椅子に座って突っ伏す白髪の老人がいる。
兵士は廊下に座り込んで、凍っているみたいに動かない。俺は膝を震わせつつ、その室内に足を踏み入れた。
「議長……」
間違いない。机に顔を伏せている老人は、ニフェ議長だ。うなじを深く横に切りつけられ、大量の血を流している。
呆然とする俺の頬に、そよっと涼しい風が触れた。部屋の窓が開いている。カーテンが静かに裾を揺らし、室内に風を取り込んでいた。
外を覗いてみる。しかしただ月が見えるだけで、この部屋に誰かが侵入し、そして出ていった跡はなかった。
俺はもう一度、ニフェ議長の変わり果てた姿に目を向けた。首の後ろを切りつけられているのだ。絶対に自害ではない。それにしても抵抗の形跡すらない。
音もなく現れ、後ろに立ち、一瞬で切り裂く。そんな「誰か」がいたのだろう。
座り込んでいた兵士が、いきなり立ち上がった。
「ニフェ様が、ニフェ様が!」
外へ報告に行ったのだろう。彼は猛ダッシュで消えていった。入れ違いで、ぬけぬけとした明るい声が飛んでくる。
「はー、将軍殿は往生際が悪いわ。首枷嵌めてやっと大人しくなったよ」
扉の向こうから白っぽい金のポニーテールが覗き込む。
「おおーっと……派手にやったなあ、あいつ」
ボスは目の前に広がる光景を見つめ、なんだか懐かしむような口調で言った。俺は、横にいる彼女を振り向けなかった。
「……ボスの指示?」
「ううん。私はここまでしろとは言ってないよ」
否定してから、彼女は小さくため息をついた。
「ただ……あいつの仕事は、世界を変えるために指導者の首を取ることだ。あいつなら、やるでしょうね」
「あいつって?」
真っ赤な一文字から、目を離せない。
「本物の、赤い首輪」
ボスの涼しい声は、きれいすぎて、この光景とはミスマッチだった。
「あれは単なる凄腕人攫いなんかじゃない。この世界に噛みつく、獰猛な反逆者だ」
窓から風が吹き込む。俺の胸元で、赤いリボンタイが揺れた。
「セレーネ様あ」
「セレーネ様」
部屋の外からクオンとシオンの声がした。ボスが顔を引っ込める。
「おお、よしよし。見ちゃだめだぞー」
それから彼女は、またこちらに顔だけ見せた。
「ちょっくらこの国王宛ての信書を土産に、代議院議長殿のとこへ聘門してくるわ。飴ちゃん、クオンとシオン連れてなんか飯でも食べておいで。大都会ウィルヘルムなら、こんな時間でも開いてる店があんのよ」
窓の外の空が、端っこだけ明るくなってきている。浮かんだ月はほんのりと白く、薄く消えかけている。
「全部終わったら帰ろう。月の都に」
ボスの声は、遠い朝焼けのように柔らかだった。
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