Ⅺ.赤い首輪
首輪
夜空の下に佇む、巨大な城。サンドグレーの城壁が高く聳え、上の方は霞んで見えない。ただ鋭い刃物のような月に照らされて、その輪郭をぼんやり浮かべているのみだ。
俺はその、城の真下にあるこれまた大きな館……王国議会の議事堂に連れてこられていた。
クオンとシオンと別れたあと、俺は思惑どおりすぐに捕まった。まず新聞に出回った人相書きのおかげだ。俺を捕らえた兵士はリボンタイに気づき、明らかな反応を見せていた。
王国議会の議事堂は、城と同じ、サンドグレーの外壁に緑の屋根で揃えられていた。真ん中の高い時計塔を挟んで左右対称になっており、横長の両院にスリッド窓が等間隔に嵌っている。
国王への諮問機関、王国議会。左右対称の左側が元老院で、右が代議院である。俺が連れていかれたのは左側、元老院の方だ。
縄で縛った俺を、兵士が獄卒に明け渡し、数分が経った。弁柄色の詰襟に、同じ色をしたフード付きのマントを羽織った獄卒が、無言で俺を導いている。ツヴァイエル卿から聞いた、地下牢の存在を頭に浮かべる。獄卒のマントの中からちらっと、ナイフらしきものが覗いた。俺たち囚人が暴れたときのために、護身用に携帯しているのだと分かる。
獄卒に連れられた尋問室には、あからさまな拷問器具が無数に壁にかけられていた。部屋の真ん中には椅子がひとつ置かれており、その前には兵士らしき男が三人、俺を待っている。獄卒が声をかける。
「連れてまいりました、グルーダ将軍」
それを受け、兵士のうちのひとりが、琥珀色の瞳をこちらに向ける。
「久しぶりだな、赤い首輪」
そうだ。俺は今は、人攫い・赤い首輪だ。傭兵に捕まった時点で、自らそう名乗った。
尋問は警察の代わりをしているという、王国騎士団によって行われるという。今目の前にいる琥珀の瞳の男は、元老院議長の近衛騎士、グルーダである。
彼と顔を合わせたのは噴水に投げ入れられて以来だ。まさかこんな形で再会するとは思わなかった。
グルーダは獄卒から俺を引き受け、リボンタイを掴んで椅子に座らせた。
椅子の脚に足首を固定され、背もたれに腕を縛り付けられた。グルーダの背後で扉が閉まる。薄暗い室内には、俺とグルーダと、グルーダの部下たちだけになった。
「尋問、あなたが行うんですね。議長の近衛騎士ってそんな仕事もするんだ。真夜中にご苦労様です」
俺がグルーダに言うと、口調が気に入らなかったのか、グルーダはレイピアを抜いて俺の首筋に当てた。
「その生意気な態度を改めろ」
その刃が触れるか触れないかのところでレイピアを止め、グルーダが凄む。
「月影読み……セレーネをどこへやった?」
やはり、赤い首輪がセレーネを逃した、というシナリオになっているようだ。俺はレイピアに触れそうな喉を、慎重に動かした。
「……売りました」
尋問は主にグルーダが務め、部下の片割れが横で補助を行う。残りのもうひとりは、部屋の片隅で書記を担っていた。
「セレーネは眠りの病の研究をしていましたからね。その研究成果の横取りを目論んでいる、とある組織に」
俺はもう平凡な生活には戻れない。捜査を撹乱できるよう、思い切り嘘をついてやった。書記の方からカリカリと羽ペンの音がする。
グルーダは、前のめりになって訊く。
「その組織とは?」
「向こうも極秘で動く組織です。名前など聞いていません」
「眠りの病の研究に関する組織なら、ニフェ様の管理下にあるはずだ。あの毒の研究をしている組織なら、ウィルヘルムだけでも五十あまり……」
グルーダが呟いた言葉が、俺の耳に引っかかった。
「毒? 眠りの病の原因物質のことか?」
「それ以外になにがある。天文台が生産した、汚物だ」
続けざまに出たそれに、俺は耳を疑った。
「天文台が……毒を生産?」
「なにを今更。貴様も月影読み代理なら知っているだろう。月の民どもが楽に暮らすことを引き換えに、大地の民の子供が何人死んだと思っている?」
どういうことだ。
天文台は、月の民のために月のエネルギーを集めて、月の雫を作っていた。それが大地の民にとって、眠りの病を引き起こす原因だったというのか?
「月の雫が、大地の民の子供たちを死なせたんですか?」
「貴様、分かりきっていることをわざわざ口にするな。あの水を飲んだ子供たちがどうなったか……」
グルーダの琥珀の瞳が燃える。
「月影読みセレーネ。愚かな女だ。議会の指示を聞いて天文台を止め、毒物の生産などやめていれば、大地の国で安寧の暮らしができたのに」
月の雫は、大地の民にとって危険物だった。セレーネにそれを生産されると、月の民が大地の国に対して反乱を起こしたときに、月の民の有利な武器になる。
だから王国議会は、天文台を止めようとした。月の雫を作らせず、月の民を弱らせ、月の都を征服するのだ。土地を奪われても、月の雫がなければ月の民は抗うこともできない……。
奥歯を噛んで、ブチ切れそうになるのを堪えていると、グルーダがレイピアを鞘から抜いた。
「セレーネを売った組織について、知っていることを全部吐け」
レイピアの刃がスラリと光る。切れ味の良さそうな銀の刃を前にして、俺の背中にはぞっと汗が滲んだ。
「……セレーネを売った相手は、議長の管理下にない、違法の組織です。人買いなど働くくらいですから」
もうひとつ出任せを重ねて、問題をややこしくする。グルーダがレイピアを掲げたまま、言う。
「ありえない。ニフェ様はこの世の誰より、眠りの病の撲滅に真剣なのだ。研究機関は全て、ニフェ様の手の中にある」
ニフェ。その名前を聞く度に、胸がぞわぞわする。その人はたしか、月の民と大地の民の共生を望んでいたはず。なんだか、嫌な予感がする。
「天文台を止めるようにセレーネに指示したのも、ニフェ議長でしたよね」
知りもしないくせに鎌をかけてみる。グルーダは琥珀の瞳で、俺を睨んだ。
「だからどうした?」
この返答に、俺は半ば納得、半ばショックで、言葉をなくした。
天文台を止め、月の都の支配を推進していた黒幕が、あの白髪のおじいさん――ニフェ元老院議長。
セレーネを攫ったのも、俺やクオンとシオンに暗殺容疑をかけて月の都を追放したのも、全て……。
月の民と大地の民の共生を掲げていたのも、建前に過ぎなかったわけだ。
月の民が反乱を起こしたとき、月の雫という武器を取られたら、大地の国に大打撃を与えられる。それを回避するために、亡くなった息子を出汁にして市民の同情心を煽り、立場を固めていた。
怒りが込み上げてくる。
王国議会が月の都からセレーネを強制的に奪ったために、月の都は月の雫を失った。セレーネがいない間、なにも知らない双子たちは健気に彼女の帰還を待っていた。
だというのに、議会は今度は俺と双子を処刑するために、暗殺容疑を立件した。
クオンとシオンがどれほど傷つけられたことか。幼い少女たちが背負ったそのやるせなさを、この男は理解していない。
そこへ、遠慮がちに扉が開いた。尋問室の外から、獄卒が顔を覗かせている。
「時間です」
そのひと言だけで、グルーダは頷いた。部下に合図をして、俺を椅子から解いて腰縄を握る。
「今日はここまでだ。明日また、続きを行う」
俺は獄卒に腰縄を引かれ、牢屋に連れて行かれた。
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