限界突破
ツヴァイエル邸の塀を越え、足を引きずりながら住宅街を抜ける。大通りへ出たら、人目につかないよう建物の裏に入った。
高い建物の影は街灯の灯火が届かず、細い月の明かりだけでは周りがよく見えない。
クオンが壁に背中を預けて息を整え、シオンはずるずると座り込んだ。俺はよろけながら、壁に手を突いた。全身がズキズキする。枝に刺された脚からは、どくどくと血が溢れていた。
沈黙ののちクオンが急に笑いだした。
「あはははっ。イチヤくん、また怪我してる」
「痛いー……」
俺が呟くと、シオンまで笑った。
「イチヤくんって、なんかいつも怪我してるよね」
笑っている余裕があるくらいだ。花園がクッションになったおかげだ。クオンもシオンも、かすり傷で済んだ。
俺はというと、脚から激しく流血していた。スラックスが破けて露出したふくらはぎには、小枝が突き刺さった跡がある。
と、シオンがいきなり自身のスカートをビリッと引き裂いた。ちぎったスカートの生地を俺の傷に押し当てて、血を拭う。いくら破けていたとはいえ、自分でスカートをちぎるとは思わなかった。
「シオンって時々すごく大胆なことするよな」
「緊急事態だから」
脚に触れるスカート生地は、コットンのような柔らかい肌触りだった。
見ていたクオンもスカートの生地をちぎり、細く捻った。それはシオンに手渡され、シオンは受け取った紐状になった生地で、俺の足の傷に自分のスカート生地を固定する。
「これで血、止まる」
「すごい。ありがとう」
ひとまず応急処置をしてもらえた。俺は脚を庇いつつ、腰を下ろす。クオンも、俺の横に座った。
「イチヤくん、ツヴァイエル卿となんのお話ししてたの?」
無邪気に問いかけられて、怒涛の流れで飛びかけていたショックが、今になって一気に襲ってきた。
俺はツヴァイエル卿を、完全に信頼していた。彼も俺に対して、悪意があるわけではない。むしろ、なんの感情もなかったのだろう。
彼は善悪とか好き嫌いではなく、損得を基準に行動している。彼にとっては、俺もひとつの駒に過ぎなかった。だからあれは、裏切りでもなんでもない。俺が勝手に、ツヴァイエル卿を尊敬していただけだ。
だから余計に、虚しくなる。
まだツヴァイエル卿を優しい人だと信じている双子たちに、俺は真実を言い淀んだ。しかし隠し通すわけにもいかず、訥々と、話し出す。
「セレーネのこと、聞いた。王国議会に仕組まれてた」
セレーネは王国議会の都合のために拉致された。クオンとシオンが一生懸命捜していても、王国議会が隠していたのでは、見つかるはずもない。それも天文台を止めて、月の都を征服するためだとか。
その後セレーネは、さらにどこかへ消え、消息を絶っている。今では議会もセレーネを捜している事態だ。
一連の流れを聞いたクオンとシオンは、蒼白な顔で固まっていた。
俺は突き合わせた膝に顔を突っ伏して、目を瞑る。記憶喪失で目覚めて、数日。なぜこうも、立場が厳しくなっていく一方なのだろう。
どんよりした沈黙を、シオンが破った。
「これから、どうする?」
「そうだなあ」
おざなりに返事はしたが、なにも考える気が起こらない。考えている心の余裕がないのだ。
「セレーネを暗殺した扱いで、もう新聞が出回ってる。このウィルヘルムにいれば、遅かれ早かれ捕まる」
仮に外壁まで逃げ切れたとしても、荒野に出る前に門番に捕らえられる。どうにかして出られたとしても、野生生物だらけの無法地帯へ逆戻りして、生きていける自信もない。
すると、クオンがこちらに手を伸ばしてきた。
「なんか食べ物残ってる?」
立ち膝をついて、俺の背嚢をあさりはじめる。
「あっ、パンがある! あはは、びちょびちょのぺちゃんこだ」
気ままなクオンは背嚢からパン三つを見つけ出し、自分の分にひとつと、残りを俺とシオンにひとつずつ配った。俺とシオンが戸惑っていても、クオンは、手にしたパンに早くもぱくついた。
「お腹がすいてるときに考えごとしちゃだめなんだよ。セレーネ様が言ってた」
それを聞いて、シオンが耳を立てた。
「そうだよね。困ったときこそ、おなかいっぱい食べた方がいい」
シオンもはぐはぐとパンを齧りはじめる。
「……おいしい」
「おいしいね!」
シオンが控えめに微笑むと、クオンが満面の笑みを返した。シオンはもうひと口パンを齧り、もぐもぐと噛み、急にぽろっと涙を零した。クオンが笑いながらその涙を指で拭う。
「もう、どうしたのシオン」
「ん……」
シオンは涙をぽたぽたと落としつつ、絶えずパンを口に運び続けた。
汚れて破けた服に傷のついた顔で、少女たちが食事をする。その姿はどこか儚くて、それでいて生き抜く強さを感じる。
俺も腐っていられない。ぐちゃぐちゃになったパンを、ちぎって口に放り込む。
これといって味がしない。それでも、疲れた体には染み渡るものがあった。
パンをひとつ食べ終えたら、少し頭がクリアになった。セレーネの言うとおり、おなかが満たされたら気持ちに余裕が生まれる。
王国議会が恐れているのは、消えたセレーネが月の都に戻ることだ。彼女を強制的に連れ去っていた事実が暴露されれば、議会は民衆の顰蹙を買う。セレーネが動き出す前に、議会は彼女の居場所を特定したいのだ。
一方、月影読み代理の俺は、望遠鏡を上手く使いこなすならまだしも、上手くいっていない。それはツヴァイエル卿にも話しているから、議会も知っているだろう。
となれば、議会にとって喫緊の問題は、セレーネだ。
俺はサリアさんの手紙を、双子へ差し出した。
「これ、返しておく」
クオンとシオンは顔を見合わせ、クオンが手紙を受け取る。俺は胸元で乱れた赤いリボンタイを、解いて、きゅっと結び直した。
「俺、今から赤い首輪になるよ」
双子が絶句する。
ウィルヘルムにいればどうせ捕まる。かといって逃げ出せもしない。だったら、わざと捕まりに行くのだ。
ただし俺ではなく、赤い首輪として。
「なんで……?」
シオンが掠れた声を出す。俺は赤いリボンタイを、祈るように握った。
「桂城壱夜だとセレーネ暗殺容疑で処刑されるけど、赤い首輪なら、セレーネについていろいろ聞き出すために、すぐには殺されない。逆に赤い首輪なら、議会からもっと詳しくセレーネについて聞き出せる」
それに赤い首輪が見つかったとなれば、議会から注目される。一時的にでも、クオンとシオンから捜査の目を逸らせるかもしれない。
クオンとシオンはふたりで俺の腕にしがみついてきた。
「わざと捕まるなんて、だめだよ。危ないよ」
「イチヤくんがいなかったら、私たち、どうすればいいか……」
桂城壱夜だろうと赤い首輪だろうと、どちらにせよいずれは処刑される。どうせ死ぬのなら、なにをしてでも真実を引き出してから死ぬ。
これは俺にできる、最期の悪あがきだ。
「俺だって、本当はめっちゃ怖い」
それだけ言って、俺は大通りへと飛び出した。
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