排除

 広い室内の壁は、いっぱいの本棚で埋め尽くされていた。奥には大きな窓ガラスが嵌り、夕方の空が見える。その窓の手前には、横長の机が置かれていた。団長がちらりと俺を見て、目を見開く。


「あなた、月の都公演のときの……」


 絶望で胸がいっぱいになっていた俺は、半ば八つ当たりのように無言で団長を睨みつけた。団長も冷ややかな視線で射抜いてくる。

 ツヴァイエル卿は窓際の机の後ろに周り、椅子には座らず、天板に手をついた。


「ステラ。このイチヤくんこそ、月影読みの代理だよ」


「は!? こんな子供が?」


 団長が目を剥くと、ツヴァイエル卿は肩をすくめた。


「だから、齢十六の少年だと言っただろう。見てのとおり体格も幼くて、庇護欲が擽られる。力になってあげたくなるでしょ」


 彼は高い背丈から俺を見下ろして、話した。


「王国議会としては、月影読みに代理が現れたのは誤算だった。代理であろうとすぐさま処分すべきだったんだけど、議事堂の地下牢に拘禁されていたセレーネが、突然いなくなっちゃって」


「えっ! セレーネって脱獄してたの?」


 団長が聞き返す。ツヴァイエル卿はより複雑そうに、眉を寄せた。


「自力で脱獄というより、誰かに解放されたって感じかな。いずれにせよ、議会の目の届かないところに行かれるとなにかと不都合だ。議会は今も傭兵を遣って全力で捜索中。おかげでイチヤくんどころじゃなくなっちゃったんだよね」


 それを聞いて俺は、頭がくらっとした。


「こちらがセレーネの対応でばたばたしてる間、イチヤくんが野放しになっちゃうでしょ。そこで、優秀なステラなら察してくれると賭けたんだ」


 ツヴァイエル卿はにこやかな苦笑を俺に向けた。


「あの日、ルミナに月の都公演を取り付けたのは僕なんだ。ステラは演劇を通して議員と繋がりがあるし、月影読み代理の少年をご存知だと思ってね。お得意のスカウトで、回収してくれると見込んだの」


 ルミナの月の都公演は、ギリギリになってから急遽ねじ込まれた。あれはスポンサー企業であるツヴァイエル商会が、ルミナに俺を回収させるために仕込んだというのだ。

 そういえばあの日、ツヴァイエル卿は役場を訪れていた。幌馬車の件で役場とやりとりがあると言っていたが、そんなの卿本人が出張してくるような仕事ではない。ルミナの一件があったから、月の都に来る必要があったのだ。


 彼の算段では、月影読みの代理である俺はルミナに回収されるはずだった。しかし団長はツヴァイエル卿の意図に気付かず、俺を拉致し損ねた。


「結果的にイチヤくんは再び放置された。その数日後、議会で『イチヤくんたちにセレーネ暗殺の濡れ衣を着せちゃおう』って案が上がったわけ。ちょうど動機がありそうだし、月影読みを殺せる立場の従者もぴったり。これで君たちを罪人として捕らえておける」


 ツヴァイエル卿が同情めいた口調になる。


「本当に酷い仕打ちだと思うよ。君たちはなにも悪くないのに、王国議会は月の都を制圧したいがために、こんな罪をでっち上げたんだ」


 そう言っている彼も、王国議会側の人間だ。それを知っていた上で、俺には話さず匿っていた。

 俺がここを訪ねてきたのは、ツヴァイエル卿にとって願ってもないチャンスだったわけだ。無自覚のうちに生殺与奪を握られていた。

 俺は血の気が引いて、か細い声しか出せなかった。


「俺、騙されてたんですね。あなたという奴隷商に」


「『処分したいから来て』なんて素直に言っても来てくれないでしょ。『奴隷商です』とも言う必要ないし」


 ツヴァイエル卿は悪びれずににっこりと笑う。

 ツヴァイエル卿越しに見える窓は、夕方から夜に向けて色を染めはじめている。夕闇を背にして立つ彼は、悪魔のように見えた。

 ツヴァイエル卿は優しげな面持ちで、団長に言った。


「ステラを呼んだのはそれを伝えたかっただけではないんだ。これについて、話しておきたくてね」


 彼は机の上からひょいと、重なったぼろぼろの紙の束を拾い上げた。瞬間、衝撃が走る。サリアさんが書いた、手紙だったのだ。


「なんでそれを……!?」


「イチヤくんと双子ちゃんが休んでた間に、荷物検査をさせてもらったよ。そのときに、クオンちゃんの外套から見つけちゃった」


「返せ!」


 固まっていた足がようやく動いた。ツヴァイエル卿に飛びかかろうとしたが、彼はさっと腕を高く上げ、俺の身長では届かない位置に手紙を掲げた。


「これはカレンの手記だ。ルミナの実態がはっきり著されてる」


「えっ……」


 団長がすっと、蒼白になる。


「カレンがそんなことするはずないわ。あの子は記憶が書き換えられてる。劇団に加入する前のことは思い出せないって……」


「ステラ、君は大女優に化かされてたんだよ」


 ツヴァイエル卿が苦笑する。


「まずいね。これが社会に出ちゃったら、流石に誰にも君を庇えない」


 団長が弾かれたようにツヴァイエル卿に駆け寄ると、卿はすんなりと、彼女に手紙を渡した。

 団長がわなわな震える。


「なによこれ……誰が大女優に育ててやったと思ってるのよ」


 そのままくしゃっと手紙を握り潰そうとしたが、それより先にツヴァイエル卿が、手紙を団長から取り上げた。


「僕も残念だよ、ステラ。これまでとっても上手にルミナを拡大してきた君が、こんなミスを犯すなんて」


「こんなのをカレンが書くなんて有り得ない。カレンは私を姉のように慕っていたのよ。あの子が私を欺くなんて有り得ない!」


 それを聞いて、俺は耐えられずに怒鳴った。


「あんただって、散々人を欺いてきただろ!」


 大人しくしていた俺が急に啖呵を切ったのだ。団長はぎょっとし、ツヴァイエル卿は、面白そうに傍観する。

 俺はぐっと拳を握りしめた。


「団長だって、夢見る人たちをスカウトと称して騙してきた! そうやって何人もの夢と将来を潰してきて、なにが『希望の光』だよ!」


「“ルミナ”は、地の国のとある地方の古い言葉で、『希望の光』という意味なのよ。私たち歌劇団ルミナは、行く先々で人々に光を与える。それは演劇で心を潤すだけじゃない。夢を持つ若者に希望を授けることも、私たちの使命」――あんなことを言っておいて、実態はこれだ。


「やかましいわね! 希望は与えているじゃない。でもいくら希望があっても、素質がなければ本物にはなれない」


 団長は鋭い視線で俺を射抜いた。


「あなたも覚えておくといいわ。夢とか希望とか生温いこと言って、現実が見えてない脳足りんは、どの世の中のいつの時代でも搾取される側。それも知らずに、甘い蜜を吸おうとしてヘラヘラついてくる。私たちは慈善団体じゃないのよ!」


 マイトは自分でコツコツ努力してきた。潰されなくてもよかったはずだ。

 演劇を学ぶためのお金を自力で貯めて、舞台に立つために頑張ってきた。そんなマイトは、長年憧れたルミナに呆気なく売り飛ばされた。

 団長は目を血走らせていた。


「要らないものを連れて巡業するくらいなら、途中でお金に変えて、その収益で質のいい役者を育てた方が効率的でしょ!」


 すると突然、ツヴァイエル卿が吹き出した。


「ははは、たしかに。不要なものをぶら下げていると、動きにくくなるよね」


 笑っているけれど、よく見ると目が笑っていない。


「申し訳ないけど、僕ももうルミナとは一緒にお仕事できないや。この手紙は新聞社に売らせてもらったよ。すでに新聞社に写しが渡ってる。今頃、記事を書いてるんじゃないかな」


「は!? どうして!?」


 団長が声を張り上げた。ツヴァイエル卿がきょとんとする。


「そりゃあ、これが流出して他所から告発されたら、うちの企業が巻き込まれるかもしれないから。僕から動いておけば、都合のよくないことは隠しておけるでしょ?」


「あなた、私を裏切るの!?」


「裏切るもなにも、初めからビジネスライクな割り切った関係だったはずだよ。今後回復の見込みがない事業と手を組むほど、僕は商売下手じゃない」


 にこにこするツヴァイエル卿に、団長が大声で喚き散らす。


「ふざけないで! 私を売るのなら私だってあんたを道連れにする。ツヴァイエル商会の奴隷業を明かしてやるわ」


「だから、それを封じるために僕が新聞社に先回りしてるんだよ。君がなにを言っても、新聞社が相手にしないようにね」


 ツヴァイエル卿は、奴隷商として手を組んでいたはずのルミナを、無慈悲なほどにべもなく切り捨てた。

 団長が自身の頬に指を這わせる。


「そんな……新聞社に広められてしまったら……私の劇団が……!」


「うん、残念だね。僕もルミナの演劇は好きだった。もっと観ていたかったよ」


 ツヴァイエル卿の声色は穏やかだった。きっと皮肉でも嫌味でもない。ルミナとの協力関係も良好だった。ただ、邪魔になったから見限る。彼にとって、それだけに過ぎないのだ。


 団長はしばし、額を押さえて床を見つめていた。ブツブツとなにか呟き、急に顔を上げる。


「団員を、逃がさなきゃ」


 それだけ言うと、団長は書斎を飛び出した。彼女が開けっ放しにした扉から、長い廊下が見える。気味が悪いほどの静寂が流れ、俺の手のひらには汗が滲んでいた。

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