密会
ツヴァイエル邸の門を抜けて、エントランスへ転がり込む。先程の老女が、掃除をしながら俺を振り向いた。
「お帰りなさいませ。ご主人様も先程お戻りですよ」
まったりした声で言う彼女に、俺は早口に問う。
「今どちらに!?」
「二階に上がられましたわ」
「ありがとうございます」
一礼し、階段を駆け上がる。二階に上がるとすぐ、黒いコートを羽織ったツヴァイエル卿の後ろ姿を見つけた。声をかけようとしたが、彼の隣に並ぶ女に気づき、咄嗟に声を呑む。
「巡業で忙しいのに、すまないね」
ツヴァイエル卿が話しかける。相手は、彼の横を歩くブロンドのショートカットの女である。彼女は辟易した声色で返した。
「ええ。おかげ様で予定が狂ったわ」
「その予定なら、心配いらないよ」
「あら。なにか補償を考えてくださるのかしら」
声が遠のいていく。俺は壁に身を隠して、通り過ぎていったふたつの後ろ姿を覗いた。
ツヴァイエル卿と共にやって来た、ブロンドの女性。あの髪、それからあのキリッとした話し方に覚えがある。忘れもしない。あの人は――。
ツヴァイエル卿と客人は親しげに話し、廊下を歩いていく。俺は数メートル先に見えるその後ろ姿を追いかけ、距離を詰めすぎたら柱に身を隠した。
ツヴァイエル卿が女に訊ねる。
「月影読みのセレーネ・アリアン・ロッドについて訊きたい。彼女を拉致した赤い首輪は、君のところの人?」
先を歩くふたりの会話が、廊下の静寂にしっとりと響く。
ツヴァイエル卿から質問を受けて、女は即答した。
「違うわ。赤い首輪はうちとは関係ない。その件には私たちは関与してない」
「意外だな。議会から莫大な報酬が出るのに、君がセレーネ拉致に食いつかないなんて」
ツヴァイエル卿が皮肉っぽく笑うと、女も自嘲的に笑い返した。
「報酬には惹かれたけれど、そのとき私たちはモレノで公演だったから見送ったのよ。劇の方が大事だもの」
「はは。素晴らしい玄人意識だね。流石だ、ステラ」
やっぱり。俺は口の中で呟いた。
ステラ。劇団ルミナの団長の名前だ。
なぜツヴァイエル卿がルミナの団長といるのか。ルミナがどんな組織か、ツヴァイエル卿は知らないのか――。いや、それはない。会話の中で、『拉致』と言った。ツヴァイエル卿は、ルミナが何者なのか分かっていて、ステラ団長といるのだ。
しかもセレーネ拉致を指示したのは王国議会だと、はっきりと口にした。
俺はどくどく暴れる心臓を、手でぎゅっと押さえた。
頭の中で材料が揃ってくる。王国議会が報酬を用意して、人攫い、赤い首輪に月影読みを拉致させた。つまりセレーネの失踪は、王国議会が仕組んだものだったのだ。
ツヴァイエル卿は王国議会に参加している。セレーネ拉致の議案が上がっているのを、知らなかったわけがないのだ。本当はもっと前からとっくに知っていて、それなのに、俺たちに教えてくれなかった。
では、ツヴァイエル卿はなぜ、セレーネの件を隠して俺たちを匿ったのだろう。
「月影読みを拉致した実行犯、赤い首輪は、カランコエ近辺に出没する人攫いよ。拉致の実行は本人がするけれど、その後の売買取引は必ず賃雇いに代行させる。まあこれ自体は基本中の基本だけれど、赤い首輪はそれが特別厳重なのよ」
団長の足音が静かに響く。
「そのため赤い首輪自身は一切人前に現れず、名前も年齢も定かじゃない。ただ、首に赤いチョーカーをつけていることだけは、どこかしらから流出したようね。とても腕利きだと聞くわ。私も、会ったことはないけど」
「へえ、首輪ってチョーカーだったんだ」
「それにしても、どうして今更そんなことを聞くの?」
団長が訝ると、ツヴァイエル卿は楽しげに笑った。
「先日議会に、月の都の役場から書類が回ってきてね。月影読みの代理を置いたんだそうだ」
自分の話題だ。俺は心臓の辺りを手で押さえた。
「なんでもその子、齢十六にして記憶喪失、その上、文化も違う遠方の地から来ているんだよ。心配だろう? ひとりの大人として、気にかけてやりたいじゃないか」
「とかなんとか言って、代理が現れたなら次の手を打たなきゃならないから、気にかけてるだけでしょ。尚且上手く自分に金が回るように、駒にできないかってところじゃない?」
「そういう言い方はやめてくれよ。僕はただ、心配なだけさ」
ツヴァイエル卿が笑うと、団長はため息をつき、ブロンドの後ろ頭を掻いた。
「いずれにせよ、赤い首輪のような連中については、私より、あなたの方が詳しいんじゃないの?」
団長はチクリとした口調になる。
「うちの劇団を含め、いろんな奴隷商と手を組んでるんでしょ」
「僕のところは、君らのような人たちが集めてきた奴隷を欲しいところへ媒介してるだけ。現場には疎いんだ」
ツヴァイエル卿がしれっと答えたその言葉に、俺は脳天を殴られたような衝撃に見舞われた。
信じたくない。薄々嫌な予感はしていたけれど、認めたくなくて、考えるのを拒絶してきたことだ。
ツヴァイエル商会は、優良な商家だ。その取扱商品には、奴隷を含む。劇団ルミナやその他奴隷商と取引し、奴隷を仕入れ、貿易商としてどこかへ売り捌いている。
これだけパズルのピースが出揃っても、本人が自供していても、まだ信じたくなかった。俺はツヴァイエル卿を信じて、月の都からこの地へ赴いた。彼なら助けてくれると、心の底から信じていた。
ツヴァイエル卿が、突き当たりの扉の前で立ち止まる。昼間、俺が方向を間違えて辿り着いた、あの扉だ。
団長も足を止め、腕を組んだ。
「ともかく私が知ってるのはそこまで。月影読みを連れ去った赤い首輪は、正体不明の腕利きな人攫い。以上」
「そっかあ。ありがとう、ステラ」
ツヴァイエル卿が金のドアレバーを捻り、微笑む。団長をその部屋に入れ、彼は後ろを振り向いた。
「だそうだ。イチヤ・カツラギ」
どくんと、心臓が跳ね上がった。
ツヴァイエル卿がにっこりと目を細める。
「月影読みのセレーネを拉致した赤い首輪、赤いチョーカーをつけた警戒心の強い腕利き人攫い。その他詳細不明。困ったね」
彼は俺の追跡に気づいていた。
俺は緊張で息を乱しながら、柱の影から出た。ツヴァイエル卿と目が合う。
「……騙してたんですか?」
俺の声は、情けなく震えていた。
「ツヴァイエル卿は、セレーネが議会に拉致されてるの、知ってて……」
言いたい言葉が喉で絡んで、上手く声にならない。
「セレーネはどうして、議会に連れ去られなくちゃいけなかったんですか?」
「天文台を止めて月の民の安寧を奪い、月の都を公的に大地の国の植民地にするため」
ツヴァイエル卿は躊躇わずに答えた。
「って、議会がうるさくてさ。僕は反対派だったんだよ。月の都は月の都特有の風土があるから、それをそのまま活かした方がいいと思ってる。だけど多数決で決まっちゃったら従うしかないんだよね」
嫌な予感が的中してしまった。
新聞売りから聞いた噂が、ただの噂ならよかったのに。
「元老院議長は、月の民と大地の民の共生を目指してるって聞いたんですが……」
「そうだね。議長はそう仰ってる」
彼は扉の方を、手のひらを示した。
「ここは僕の書斎だよ。君もおいで。一緒に話そう」
俺の足は凍りついたみたいに動かなかった。ツヴァイエル卿はいつもどおりの穏やかな声で投げかけてくる。
「セレーネについて、もっと知りたいんでしょ。僕も君に協力したいんだ」
セレーネの名前を出されて、俺は愕然としながらも一歩を踏み出した。
逃げ出したい。そんな気持ちとは裏腹に、ツヴァイエル卿に吸い寄せられてしまう。引力に抗えず、俺は彼の書斎へと足を踏み入れた。
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