指名手配犯

 旅の疲れを癒すため、浴室を借りた。用意されていた、シンプルな白いワイシャツとグレーのスラックスに着替える。襟にはいつもの、赤いリボンタイを結んだ。

 暗殺容疑で手配されているのに気遣って、変装用の伊達眼鏡まで用意されている。シャツの胸ポケットに伊達眼鏡を差し込んだ。

 急に頼ったというのに至れり尽せりで、申し訳なくなるほどだ。


 その後ツヴァイエル卿の計らいで、使用人から食事の用意をしてもらった。おなかいっぱい温かいものを食べさせてもらってから、自分に与えられた部屋でひと休みする。

 どういうわけか、クオンとシオンも俺のところに集まっていた。クオンが俺に顔を向ける。


「ねえイチヤくん、聞いた!? 大地の国って、月の都とはエネルギー源が違うんだって。月の都は月の光をエネルギーにしてるけど、大地の国では地脈エネルギーを汲み上げて、光も熱も動力も作ってるんだって」


 興奮するクオンに、シオンが呆れ顔をする。


「クオン、知らなかったんだね。月の光は天文台がエネルギー化してるんだよ? こんなに遠くまで、天文台がエネルギーを送ってるわけないじゃない」


「言われてみればそうだなって思った! 月の都は上からエネルギーを得ていて、大地の国は下から得てるんだよ。面白いと思わない?」


「生活の根源になる部分が違うと、文化も違ってきそうだな」


 俺は寝台に腰を下ろして、床にいるふたりを見下ろした。記憶喪失のせいか、俺にとってはどちらのエネルギー資源も未知の領域だ。


 部屋はセミダブルほどの広めのベッドに、ゆったりしたソファや書き物ができる机が設置されており、ちょっと奮発したホテルの個室を思わせる様相だった。広い窓からは庭が見え、部屋の真下に真っ青な花が咲いた花園があるのが分かった。

 ツヴァイエル邸の広大な敷地の向こうには、ウィルヘルムの街並みが広がる。濃い緑色とくすんだベージュがかったグレーの鈍くも美しい色彩は、なんとも都会的で、異国情緒があった。


 ベッドに寝そべって、少女たちの笑い声に目を閉じる。どっと疲れが襲ってきており、眠ってしまいそうだ。シーツに頬をつけて、うつらうつらする。柔らかな布団の上で体を充分に伸ばしたのが、すごく久しぶりな感じがした。

 クオンが窓の外を覗き込んで、はしゃいでいる。


「あっ、窓からお花畑が見えるよ」


「本当だ! きれいだね。見に行ってもいいのかな」


 シオンも一緒に見ているようだ。微睡む俺の耳に、ふたりの歓声が聞こえてくる。


「使用人さんに訊いてみようよ。遊びに行きたい」


「うんうん、あそこで追いかけっこしたら、きっと楽しいよ」


 先程窓から見えた、青い花の庭園だろう。ふたりがあの花の中で遊んでいたら、それはそれはかわいいだろう……などと思いつつ、俺は頭も体も睡眠モードに入っていて、そのうち動かなくなっていた。


 *


 惰眠から目を覚ましたときには、少女たちの姿はなくなっていた。窓の外はまだ明るい。どうやら数分だけ眠ってしまったみたいだ。

 双子はどこへ行ったのだろう。別の部屋で遊んでいるのだろうか。俺はベッドから起き上がり、部屋の外へ出た。


 廊下に出てすぐに目に入るのは、真正面の窓ガラスだ。木と花の植わった中庭が吹き抜けになっており、その庭がこのガラスの向こうに見える。

 廊下も見渡してみたが、彼女たちの姿はない。淡いベージュのカよく磨かれた廊下には、左右に等間隔で太い柱が立ち並んでいる。幾何学的なまでに整然と続く廊下は、延々と遠くまで伸びているように見えた。こんなに広いと迷ってしまいそうだ。


 俺は胸ポケットに入った眼鏡に手を触れた。ツヴァイエル卿がこれを持たせてくれたのは、外へ出かけるときのための変装用だ。折角だから、大都会ウィルヘルムの街を歩いてみたい。


 一階の応接間に向かいつつ、中庭の景色を眺める。庭木の影に、きらっと光るはちみつ色の髪とスカートの裾が見えた。女の人がいる。使用人とは違う様子だが、ツヴァイエル卿の家族だろうか。


 廊下を歩いているうちに、突き当たりまで来てしまった。一際大きな、重たそうな扉がある。応接間に向かっていたはずが、道を間違えたみたいだ。大人しく引き返して、自分に与えられた部屋の前まで戻ってきて、今までと逆の方向に進む。すると数秒であっさりと手摺と階段が現れ、一階へと下りられた。

 階段の手摺から顔を乗り出し、下を眺める。暖炉と食事テーブルのある広間で、使用人の小柄な老女が掃除をしていた。俺は階段の最後の一段を下り、掃除中の老女に声をかけた。


「すみません、双子の月の民見ませんでしたか? さっきまで中庭にいたようだったんですが」


「クオン様とシオン様なら、表のお庭の花園でかくれんぼをなさってますわ」


 老女はぽてぽて歩いてきて、うふふと笑った。


「奥様が大切になさっている花園ですの。お気づきになられたらお怒りになりますでしょうから、奥様がご不在の間だけ。秘密ですのよ」


 俺は部屋から見えた青い花の花園を思い出した。あれは、ツヴァイエル卿の奥さんが世話をしている庭園だったのか。


「奥様はご主人様とは違い、わたくしども使用人も手を焼くほど気難しい方ですの。奥様がお戻りになったら、遊んでいるのがバレないうちに、わたくしがこっそり双子ちゃんたちにお教えしますわ。わたくしも共犯者ですの」


 老女がコロコロと品よく笑った。それを聞くと一層微笑ましくて、俺も自然と頬が綻んだ。


「ツヴァイエル卿はどちらに?」


「ご主人様はお客様をお迎えに行かれましたわ。イチヤ様がお抱えになってらっしゃる問題について、詳しい方をお招きするそうですわ」


 どうもツヴァイエル卿は、今も解決に向けて動いてくれているようだ。


「ちょっと出かけたくて、ご挨拶しようかと思ったんだけどな。クオンとシオンも連れて行こうかと……」


「あら、お出かけ。お連れの双子ちゃんは遊んでおられますし、連れてゆかずとも、わたくしが責任持って見ておりますわ」


 老女が品よくお辞儀をする。


「わたくしは事情は存じませぬが、お客様は大変な旅をなさったようで。たまには肩の力を抜かれて、おひとりで気ままに、ごゆるりと外の空気を吸ってきておくんなまし」


「ありがとうございます。すみませんが、あの子たちをよろしくお願いします」


 屋敷の使用人に許可をとった俺は、借り物の眼鏡をかけて街へと繰り出した。庭の外は石畳の住宅街が続き、もっと行くと華やかな大通りへと出る。


 中央の道路には馬車が走り、馬車道と歩道との境界には国旗と思われる深緑色の旗が風に泳いでいた。通りに沿って、サンドグレーの外壁をした建物が建ち並ぶ。三階建てほどの高さで、殆どが一階に店が入っていて、その上の階は住居らしく洗濯物が風に揺られている。

 花屋の売り子が高らかに客を呼び込んでいる。隣のカフェではテラスに穏やかな空気が流れ、傍を風船売りのリアカーが通り過ぎる。

 活気に溢れた華やかな街路には、多くの人が行き交っていた。


 そして東側の道の先には、高く聳える城がある。堂々と構えた城壁がには緑色の国旗がはためき、その旗の軸が太陽を浴びて金色に輝いている。眩しくて、俺は目を細めた。

 情緒ある小洒落た街を自由に歩く。こうして陽の光を浴びて安全な場所を散歩していると、自分が暗殺の容疑者として追われる身であるのを忘れてしまいそうだ。


 レンガ造りの壁沿いを歩いていると、オーバーオールに茶色いハンチングを被った青年が、街角で新聞を売り歩いていた。

 レンガの壁には、手配書が貼り付けられている。大都市ウィルヘルムは人口が多い分、事件も多いのだろう。賞金首たちの似顔絵は、ずらりと十枚は並んでいた。中には、金貨五十枚もの賞金がかけられている者もいる。

 新聞売りが行きずりの客に新聞を手渡している。俺はそれを尻目に、人相書きを眺めた。


 ふと、その中の一枚に目が留まる。悪人面ばかりが並ぶ中、やけに浮いて見える気弱そうな顔の月の民の顔がある。くすんだ灰色の癖毛に、折れた左耳。


「マイト!?」


 間違いない。そこに描かれている賞金首は、マイトだった。

 俺の大声に驚いて、新聞売りがこちらを向いた。


「なんだいあんた、こいつを見たのか?」


「えっと……この人、なにしたの?」


 マイトは指名手配犯だ。知り合いだとはとても言えない。新聞売りは手配書の文字を指差した。


「マイト・フォージャー。国家侮辱罪」


 そういえばマイトは、「犯罪のスケープゴートにされた」と話していた。つまりこれは、マイトは実際は無実で、罪を着せられているだけなのだろう。

 それにしても。


「侮辱罪……? 国の悪口を言っただけで、指名手配されてるのか?」


 いくらなんでも、重すぎないか。


「俺、田舎者だから分からないんだけど、王様の悪口言うと重罪なのか? もしかして独裁政治?」


 新聞売りにひそひそと訊ねると、彼は怪訝な顔で返した。


「はあ? 国王なんか、ただの老いぼれだろ。政治の実権握ってんのは実質、元老院だろうが」


「じゃ、その元老院の独裁ってこと?」


「まあ独裁ってほどじゃあねえが……たしかに、代議院は二院制の建前上置かれてるだけで、機能はしてねえな」


 となると、マイトに着せられた罪は、元老院に対する政治批判といったところか。新聞売りは自身の腕の中の新聞を、ちらりと一瞥した。


「でも政治批判なんか、新聞社はしょっちゅうしてるのにな。こいつが侮辱罪なら、新聞社だって重罪だろうに」


 ではマイトは、普通なら裁かれないような軽微な罪で、ここまで重い扱いをされているというのか。つまりそれだけ、元老院にとって都合の悪い「侮辱」をした――。


「このマイトって奴、一体なに言っちゃったんだ?」


 恐る恐る訊いてみる。新聞売りは、ぴくりと眉を寄せた。


「オイラも知らない。でも、噂では……」


 彼は俺の耳元に口を寄せ、小声で言った。


「『月影読み暗殺の黒幕は、王国議会だ』、って」


 心臓がどくんと跳ねる。

 緊張で声が出ない。俺の反応が気に入ったのか、新聞売りはより小声で、ひそひそと話した。


「『議会が、赤い首輪を遣って月影読みを拉致した。月の都を制圧するために』……ってさ」


「それ……本当なのか? 本当に議会が、月影読みを……?」


 大地の国の王国議会が月の都を制圧? そのために、月の都を統治するセレーネを攫ったというのか。

 いや、これはただの噂だ。マイトに罪を着せた人間が本当にそう言ったかすら、定かではない。言っていたとしても、議会にケチをつけるためのでっち上げかもしれない。


 しかし王国議会は、過敏に反応している。賞金をかけるほど厳しい処置をしているのが、揉み消しに必死だからだとしたら。

 もしも本当に、地の国は月の都を制圧しようとしていたのだとしたら――。


 月の都を手に入れるには、月影読みを天文台から奪うのが、いちばん手っ取り早い。月の雫を作るセレーネがいなくなり、月のエネルギーも安定しなくなれば、月の民の日常は崩れていく。

 天文台から奪った月影読みはどうするか。月影読みは、ロッド家にのみ受け継がれる職務だ。つまりロッド家の血を断てば、天文台を操る者はいなくなる。

 地の国が月の民から現在の環境を完全に奪うつもりなら、月影読みの血を途絶えさせるだろう。


 血の気が引いていくのが、自分で分かる。

 これが真実かどうか、確かめる必要がある。


 新聞売りがにこっと笑い、俺に新聞を突き出す。


「そんなのはさておき、あんたも受け取ってくれよ。号外だ号外!」


「号外?」


 差し出された新聞に目を落とす。残念ながら殆どの字が読めない。

 しかしだからこそ、似顔絵がすぐに目に付いた。

 新聞売りがご機嫌な声で言う。


「月影読み暗殺の容疑者が浮上したんだ。一大スクープだぜ」


 特徴を捉えているようないないような、ザカザカしたタッチで描かれた似顔絵。

 俺はずれ落ちてくる眼鏡のブリッジを、指で押さえた。そういえばツヴァイエル卿が、そろそろ印刷が終わる頃合だと言っていた。

 新聞売りが改めて、俺の顔を覗き込む。


「なんだよ、固まっちゃって。あれ、あんたの顔……」


 俺は無言で駆け出して、新聞売りから逃げ出した。


 いつの間にか、空が夕焼け色に染まっている。

 大通りを突っ走って、遠くからでも見える屋敷へと急ぐ。全力疾走だけが理由ではない、別の汗が浮かんでくる。


 とにかく今は、議会の正体を確認しなくては。王国議会がセレーネを連れ去ったなんて、嘘に決まってる。

 だってそうでないと、セレーネはすでに殺されていることになる。


 王国議会に席があるツヴァイエル卿なら、真実を知っているはずだ。もしも本当に議会が黒幕なら、とっくに彼が俺に教えてくれているはず。


 新聞売りがばら撒いた号外が、道の端に舞っている。俺は全速力で、ツヴァイエル邸へと走った。

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