Ⅵ.カレン・ミスティーナ

女優

 噴水広場から、クオンとシオンを天文台へ送り届けた。誰か来ても扉を開けないように言い聞かせ、自分はまた暗がりの街へと飛び出す。


 欠けた月が見下ろす夜の街を駆け抜ける。街外れの寂れた地域、彼の廃屋は、壁の隙間から微かな明かりを零していた。

 力任せに叩きつけるようにして、扉を開ける。


「ロロ!」


 扉からバキッと音がした。ロロは什器のテーブルに腰掛けて、膝に載せた分厚い本を開いていた。


「はいどうも。随分と慌てているね。どうしたの?」


 俺はロロに向かって突き進み、彼の真正面に立った。


「歌劇団ルミナについて、知ってること全部教えて」


 ロロは俺の真顔を見上げ、ちょっとだけ驚いた表情を垣間見せた。しかしそれはほんの一瞬で、次の瞬間には無表情に戻る。


「お金」


「クオンが……舞台の上の女優を観て、『お母さん』って言ったんだ」


 それを聞いて、ロロの眉がぴくりと動いた。俺は息を整えて、ぽつぽつと言葉を選んだ。


「あの子たちのお母さん、拉致された可能性が高いって聞いてるんだけど。拉致されたんじゃなくて、スカウトされて自らの意思で、劇団についていってたの?」


 一方的に問い詰める俺に、ロロは数秒、辟易した顔を見せた。それから要求しても金が出ないと察したか、彼は諦めたように語り出す。


「知らない。仮にそうだったら、双子の母親は、娘にも夫にも誰にも言わずにルミナに入団していたことになる。その後の顛末も伝えず、身勝手に女優として活躍していた……」


 双子の見間違いかもしれない。数年戻ってこない母親を、女優に重ねてしまっただけかもしれない。だが、ロロの言葉が引っかかって仕方なかった。


「『スカウトには気をつけて』って言ってたの、あれはどういう意味だ?」


「戻ってこられないかも、って意味」


 ロロは膝に載せていた本を閉じた。


「スカウトされた数とデビューした数は、一致しない。当たり前だよね。スカウトされたからといっても、演技力や歌唱力、その他諸々、必要なスキルがハイレベルに達しないと表舞台には立てない。仮に本当に、双子の母親が舞台に立っていたのなら、ひと握りの成功例と言える」


 外は静かだ。虫の声ひとつ聞こえない。


「自然に考えたら、ルミナは行く先々で役者のたまごを集めては、教育しながら篩にかけているんだろう。当然、実力の伴わない人材はいるし、途中でやめたくなる人だっている。だけどね、そうして挫折した人たちが、故郷に帰ってきたという情報がひとつもないんだ」


 ロロの落ち着いた声が、俺の不安を掻き立てる。

 裏方の仕事に目覚めたとか、まだ稽古中とか、そういう人もいるだろう。だけれど、そんなにたくさんの団員を抱えているだろうか。


 テントの中の様子を思い出す。クオンを追って入り込んだが、団員とすれ違うことはなかった。むしろ全然現れなくて、舞台袖まで来てようやく数名に出会った程度だった。たくさんの団員を持て余している様子はない。

 なにも言えなくなって立ち尽くす俺を、ロロはじっくり観察していた。


「歌劇団は世界じゅうを周遊するからね。故郷を離れた土地でテントを下ろされた人がいるとすれば、その新しい大地で暮らしはじめるのかも。だけどさ、それならそうと流石に故郷に連絡ひとつないというのも不自然じゃないか」


「それって、つまり」


 俺が言いかけたとき、開きっぱなしだった入口からドンッと音がした。俺は肩を弾ませて振り向き、ロロは静かに目だけ動かした。

 扉に拳を突きつけて立つ、フレイの姿がある。


「おいクソガキ。お前、まだなんか隠してやがるな」


「闇市については、知っていることは洗いざらい話したよ。今取り込み中なんだ。後にしてくれないか」


 ロロが冷ややかにあしらうも、フレイはドスドスと店の床を踏み鳴らして入ってきた。俺を肩で突き飛ばし、ロロの襟首を片手で掴む。


「闇市が歌劇団と繋がってた。お前、知ってたんじゃねえか?」


「……えっ」


「ほう」


 俺はそのまま絶句して、ロロは興味深そうにフレイの険しい顔に首を傾けた。


「そうか。それは知らなかったな」


「とぼけるな。お前が知らねえわけねえだろ」


「知らない知らない。なにそれ、どこからの情報?」


 大男に襟首を掴まれているというのに、ロロは至って冷静だ。フレイはロロの襟を掴んだ手をひと振り揺すった。


「お前から証言を得た場所で商人を捕まえてきて、吐かせた」


「君のその、制裁を加える許可の下りた相手なら進んで殴りに行くという姿勢には同意しかねるよ」


 ロロは呆れ顔で言って、肩を竦めた。


「ともかくそれは、本当に初耳だ。僕にだって知らないことくらいある。この間話したとおり、僕は闇市の商人に売れ残りの骨董品を差し出して、その対価としてチケットを受け取っただけだ」


 そこでようやく、フレイがロロを掴む手を緩める。


「本当に本当に、知らないのか」


「うん。ぜひ詳しく聞かせてほしいな。いくら?」


 ニヤッとしたロロをしばし睨み、フレイは手を離した。


「闇市の裏には大規模な組織が絡んでることが多い。今回もそのケースの典型と見て、警備団が商人を洗ったところ、そうじゃなかった。ルミナは商人を買収してやがった」


「え……闇市の商人は、ルミナ公式のチケット売りを襲ってチケットを入手して、高値で売りつけてるんだよな。その商人が、ルミナと繋がってたって……」


 頭の中で情報が入り乱れる。ひとつひとつ言葉に出して、整理していく。


「ルミナのチケット売りは脅されてるんじゃなくて、わざと闇市にチケットを流してた……?」


 なるほどね、と、ロロがため息をついた。


「チケットは闇市に流れることで、価格が高騰する。通常の設定では有り得ない額で取引される。ルミナはそれを逆手に取って、闇市の商人にチケットを売らせたんだね」


 ルミナから正式に販売されるチケットは、一枚につき金貨一枚。しかしあっという間に売り切れて、否、闇市に転売され、金貨五枚以上で取引される。

 しかし闇市とルミナはグルだ。全額闇市が受け取っているわけではないとしたら。高額で取引されたチケットの売上は、ルミナと闇市で折半しても、ルミナが通常の価格で販売するより儲かる。

 フレイが什器のテーブルに片手をつく。


「移動する先々の拠点にいる闇市の商人を、都度買収していた可能性が高い。まだ調べてる途中だが、ルミナは闇市に金を流し、闇市側からなんらかの恩恵を受けてるに違いない」


 ロロはフレイを一瞥し、目を閉じた。


「ルミナが闇市から受けてる恩恵は……闇市が持ってる違法販売のルートを斡旋してもらってる、とかかな?」


「ルミナがなにか、表立ってできない商売をしていると?」


「そうなってくると、いよいよ『消えた人材』の行方が気になるね」


 瞼を上げたロロは、ちらりと俺に目配せしてきた。そしてフレイに向き直る。


「役者のたまごとして、ルミナにスカウトされた人たち。デビューもせず故郷にも帰ってない人が大勢いるらしい」


「なんだと?」


「ルミナは拠点を持たずに各地を転々としてるからねえ。悪事を働いても足がつきにくい。闇市と繋がりを持っているのなら尚のこと怪しい」


 ロロは膝の上の本に肘を乗せ、頬杖をついた。


「テントを下ろした先で人買い……つまり奴隷商に売却か、バラして肉や臓器として販売か……」


 ひゅっと血の気が引いた。汗がツツッと額を這う。フレイでさえ顔を青くしていた。

 頭に浮かぶのは、涙目で喜んでいた、あの無垢な笑顔。


『俺……これまでずっと、怒られてばっかで、全然いいことなくて。多分このままなにもない人生だと思ってた。せめて、夢を見るだけなら俺の勝手かなと思ってて。だから、まさか……叶うなんて』


 折れた左耳が立ちそうになるほど興奮して、そう言っていたあの青年。


「マイト……」


 役者を夢見て、一生懸命生きてきた。そんな彼を、ルミナはデビューを餌にテントへ引き込んで、一体どこへ連れていくつもりだ?


 俺が呟く横で、ロロがフレイを宥めている。


「落ち着いて。まだ憶測に過ぎない。闇市の商人が自供している『繋がっていた』というところまでは確実だけど、人身売買はまだ定かじゃない。事実、スカウトされてデビューしている役者もごく少数ながら存在はしている。ほら、看板女優だって……」


 それを聞いて、俺はハッとした。


「そうだ。これを見てくれ」


 俺はわたわたと鞄から携帯を取り出した。シオンが撮った写真を再生し、息を呑む。

 ライトアップされて輝く舞台に、桜色の長い髪が広がっている。頭にはふたつの三角耳、黄金色のドレスの裾からは尻尾が覗く。俯瞰の図であるせいで顔までよく見えないが、露草色の瞳に星が宿っているのは見て取れた。

 きれいだ、と絶句してしまったが、我に返って画面をロロとフレイに向ける。


「この人、知ってるか?」


「なに? その変な板」


 携帯を見たことがなかったロロは、先に端末の不思議に気を取られた。俺は早口にあしらう。


「ああ、えっと、絵が嵌ってるんだよ。とにかく、この人が誰か分かるか?」


 画面を近づけると、ロロとフレイは首を伸ばして覗き込んできた。そしてふたりは、同時に答えた。


「知ってるよ。カレン・ミスティーナだよね」


「サリア!? サリアじゃねえか!」


 ロロが首を傾げ、フレイが目を剥く。それからふたりは互いに顔を見合わせた。


「なにを言ってるの。これは女優のカレンでしょ。サリアって誰?」


「いや、これはサリアだ。俺が間違えるはずがない!」


「僕だって間違えないよ。実物は見たことないけど、カレンの肖像画はよく取引される」


 俺は携帯を引っ込めて、画面を自分の方に向けた。


「やっぱり……この人はカレンであり、サリアさんなんだ」


 サリアさんが消息を断ってから双子と知り合ったロロは、サリアさんを知らない。一方フレイは、演劇を観たことがないから、カレンを知らない。

 写真の中の女性は、桜色の髪が照明に煌めいて、見惚れるほど美しい。


「これはシオンが舞台の真上から見た光景だ。クオンはこの人を見て、『お母さん』って言ってた。双子の母親のサリアさんは、『カレン』と名を変えてこの劇団にいたんだ」


「はあ? それならそうと、なんで俺や夫のラグネルに言わなかったんだ。大体、幼い娘を放置してこんなところにいるなんて、あいつがそんなことするはずない!」


 フレイが怒鳴り、俺も大声で言い返した。


「俺だってそう思うよ! だからフレイが言ってたとおり、サリアさんは五年前にどこかで拉致されて、闇市で商品として扱われているうちにルミナに行き着いたんじゃないか!?」


 ルミナは闇市と繋がっている。だから、ルミナがスカウトしたのでなくても、どこからか連れてこられたサリアさんがルミナに流れてくることだってありうる。フレイは青い顔で押し黙った。


 数秒の静寂が、店内を漂う。沈黙を破ったのは、ロロのため息だった。


「どうするの。ルミナの滞在は一日だけだよ。そろそろ撤収の準備が始まっている頃合だ」


「商人から言質を取った段階で、警備団に広場のテントへ行けと指示した」


 久しぶりにサリアさんの姿を見て動揺しているのだろう。フレイが分かりやすく苛立っている。ロロが呆れ顔をする。


「警備団はなにもできないでしょ。ルミナは開催地の地主に高額な場所代を納める。だから街はあんなに歓迎するんだよ。地主が金で買われている以上、その土地の警備団はルミナに突っかかりはできない」


「でも商人が自供してんだよ。繋がってることはたしかだ。劇団の関係者を取っ捕まえて、吐かせる」


 猛獣のように目をぎらつかせ、フレイはくるっと出口へ向かおうとした。それをロロが制する。


「ルミナは商人を切り捨てて自供を狂言だと主張するよ。現状、あくまでルミナはチケットを奪われた被害者だ。揉み消されるに決まってる。無闇に暴れれば、君は役人という便利な立場を失うよ」


 ルミナは商人を裏切る。月の都で活動している闇市の商人と縁が切れても、他の土地では関係ない。もう二度とこの辺りに来なくなるだけだ。


 俺は俯いて、目を閉じた。ロロの言うとおり、まだルミナが役者のたまごをどうしているのかは確実ではない。それでも、嫌な予感が頭の中を埋め尽くして、そうとしか考えられなくなる。

 マイトを思い浮かべる度、胸がずきずきする。

 あのとき、俺は。


『今まで真面目に生きてきたご褒美じゃない?』


 なんて、無責任なことを言ってしまったのだろう。

 そんなことを思っていると。


「イチヤくん……」


 開きっぱなしの扉の方から、蚊の鳴くような声がした。

 見ると、夜の闇の中に白く浮かぶように、シオンが立っていた。部屋着用の白いワンピース姿で、髪は乱れて、息を切らせている。

 俺はぎょっとして駆け寄った。


「シオン!? どうしたんだ。危ないから天文台で待っ……」


「クオンがいなくなった」


 駆け寄って、正面に立ったときだ。シオンは汗を滲ませて俺を見上げ、もう一度はっきりと言った。


「クオンがいなくなった。眠ったと思って、目を離した隙に」


 頭の中が真っ白になる。


「きっと、……お母さんに会いに行ったんだと思う」


 扉の外が、音のない夜に包まれている。黄色く色づいた半月が、斜め上から俺を見下ろしていた。


「ごめんなさい。私が、ちゃんと見てなかったから」


 シオンが頭を下げる。


「クオン、あれからしばらく口を閉ざしてて……でも、ごはん食べたら、ちょっと元気になったの。その後、部屋で布団に入ったから、もう、大丈夫だと思って……」


 俺がロロに会いに行って、クオンとシオンは天文台に残されていた。思えばあのときまだ、クオンは不安定だった。「お母さん」と何度も呼んでいた。

 クオンよりは冷静だったシオンは、取り乱すクオンを見守っていてくれた。しかしクオンは寝たふりをしてシオンを油断させ、天文台を抜け出したのだ。


「私たちのお母さん、ある日、突然いなくなっちゃったの。どうしていなくなったのか、大人に聞いても濁された」


 シオンは下を向いて、訥々と語った。


「昼に、街の人から、カレンがどんな人か聞いた。そしたら、髪の色も、目の色も、好きな歌も……お母さんと同じだった。だからクオン、カレンに会いたいって」


 静かな声からは、不安が滲み出していた。

 俺は言葉をなくした。クオンがどうしてもカレンを見ようとしていたのは、そういう理由だったのか。

 シオンは止めたが、クオンはテントに忍び込んだ。そして目にした女優の姿に、確信してしまった。


 頭の中の整理が追いつかない。いろんな疑惑が絡まって、なにからどうすればいいのか分からなくなった。

 フリーズしてしまった俺の背中に、ドスッと衝撃が走る。声を呑んで後ろを見ると、俺の背中に拳を突き立てるフレイがいた。


「なにぼけっとしてんだ。行け」


 低い声が、夜闇にしんと沈む。


「クオンを連れ戻しに行け。まずはそこからだ。そのついでに、暴けるものは暴いて、助けられる人は助けるんだよ。俺はもうしばらく商人を調べる」


 彼はもう一発、俺の背中を突き飛ばした。そのまま店の外へと追いやられ、俺は横に立っていたシオンと共に目を合わせた。


「……行こうか」


「うん」


 突撃して、実際なにができるかはまだ考えていない。でも、行かないわけにはいかなくなった。迷っていれば、遅きに失するだけ。

 俺はシオンと一緒に、公演会場だった噴水広場へと踏み出した。

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