撤収

 月に照らされた、深夜の街。ルミナがやって来たこの街は、今も尚浮かれている。観劇の余韻に浸る人々やお祭り騒ぎに便乗した人たちが、街で酒を飲んではもうひと騒ぎで盛り上がっている。


 俺とシオンは、そんな中は夢中で走っていた。

 早くしないと、ルミナが撤収してしまう。クオンが忍び込んだのなら、今頃見つかって叱られているかもしれない。それだけならまだいい。もしルミナが奴隷商と繋がっていたら、クオンも売り飛ばされるかもしれない。


 息が上がってきた。酸素の足りない脳に、嫌なイメージばかりがこんこんと湧く。

 シオンが俺より少し先を、軽やかに駆けていく。その白い後頭部に、俺は息を荒らげて話しかけた。


「シオンだって、あんなところで母さんを見ると思わなくてびっくりしてただろうに。それなのにクオンのこと押し付けて、ごめんな」


「びっくりしたけど、今の私には、お母さんよりクオンの方が大事。クオンが動揺してるときは、私がしっかりしなきゃ……って、先に、そう思った」


 シオンの声には、一切乱れがなかった。


「だから私……今、焦ってる」


 風がなくて、空がよく晴れている。今夜の月は、大きく明るく見えた。月の周りに、光がほんのり反射しているのがはっきり見えるほどだ。シオンがやけに素早くて、その上疲れ知らずなのは、月明かりが眩しい夜だからだろうか。

 噴水広場に着くと、周辺に丸いオレンジ色の光がほわほわと無数に浮かんでいた。テントの片付けをしている、劇団団員たちのカンテラである。


 馬車が十台近く、同じ方向を向いて停まっている。それも、一台に馬が四頭も繋がれている、大型の馬車だ。荷台にはテントと同じ色の幌がある。巨大なテントをばらして大道具や機材も全て積み込むとなれば、それだけの馬車が必要なのだ。


 テントの中身は順次積み込まれているようで、テント自体の解体作業も、これから始まろうとしている。ざっとクオンを捜してみるも、見当たらない。


 まずクオンは絶対、見つけなければならない。それからマイトともうひとりの女の子を捜し出して、さらにはカレン……もとい、サリアさんに話を聞ければ、いちばんいい。


 どうやって調べようか、と考えていると、正面の馬車の荷台でガタッと荷物が崩れた。シオンの耳がぴんと立つ。


「クオン、いた!」


 直後、シオンは俺の手を振りほどき、作業中の団員の間を駆け抜け、馬車の荷台へと突進した。


「うわ、シオン!」


 荷台に積まれた箱の中から、クオンが顔を出している。シオンがクオンを捕まえようと、手を伸ばす。


「帰るよ、クオン!」


「やだ! ちゃんと話を聞かないと納得できないよ!」


 荷台に飛び込んだシオンを、クオンがひゅっと荷物の中に潜って逃げる。ふたりの影がひょこひょこ追いかけ合って、クオンが小道具をシオンに向けて散らかし、シオンがそれを避けて追いかける。小道具の作り物の果物が、荷台からゴロゴロ飛び散る。クオンが荷台の屋根に上ってきて、追ってくるシオンをかわして転がりながら隣の馬車の屋根へ移る。


 突然始まった少女たちの追いかけっこ騒動に、片付けをしていた団員たちが手を止めた。甲高い声を聞きつけて、団長が飛び出してきた。


「こら! お嬢ちゃんたち、やめなさい!」


 しかし双子は聞く耳を持たない。隣の馬車の荷台にまで潜り込み、荷物を引っ掻き回して、足に衣装の一部らしき布を絡めて飛び出してくる。

 呆然としていた団員たちも、散らかった小道具を拾いつつ双子に怒声を飛ばしはじめた。


「おい、ここは遊び場じゃないぞ!」


「なによあれ、あの子供の保護者は?」


 俺はなにもできず、立ち尽くした。頭の真上には明るく光る月が浮かんでいる。風がなくて、空がよく晴れて、大きく明るく見える月。

 今夜の月の民は、かなりすばしっこい。あの明るい月のせいだろうか。


「誰か、あの子たちを捕まえて!」


 団長の呼びかけで、団員たちが馬車を囲む。その中でも数名の月の民が、双子と同じように軽やかなジャンプで馬車に飛び乗って追いかけた。

 その様子を見ておろおろしつつも続こうとする、灰色の髪の青年がいる。マイトだ。片付けを手伝っていたようで、手には小さな箱を、ふたつ重ねて抱いていた。

 それが目に映った瞬間、俺は双子そっちのけでマイトの腕に飛びついた。いきなり腕を引かれた彼は、赤紫の目をまん丸にして俺を振り向く。


「え!? イチヤさ……」


「しっ。こっち来て」


 俺はマイトの腕を引っ張って、潰れかけているテントの影に引き込んだ。団員がクオンとシオンに気を取られている隙に、彼を引き止めたい。


「どうしたんですかイチヤさん。あの暴れてる子たち、クオンちゃんとシオンちゃんですよね」


 戸惑っているマイトの質問を無視して、俺は一方的に要件から入った。


「単刀直入に言う。ルミナに入団するのはやめて」


 マイトの肩を両手で掴み、目を合わせる。彼は数秒、赤紫の瞳をぱちぱちさせて口を半開きにしていた。


「なんでですか?」


「この劇団、どうもきな臭いんだよ。まず確実に闇市と繋がってるし、このスカウトの制度も不審な点が多い」


 俺は彼の肩をしっかり押さえて、小声で説得した。


「もうひとり女の子いたよな? あの子は今どこに……」


 俺が言い終わる前に、マイトは俺の左腕をがしっと掴んだ。投げ捨てるように腕を払い除けて、彼らしくない低い声を洩らす。


「なんでそんなこと言うんですか」


 彼の声は、だんだん加速して、だんだん大きくなった。


「本気で言ってるんですか? ルミナは滅多に来ない。スカウトはもっとない。こんな奇跡、二度と起こらないのに、俺にそのチャンスを捨てろって言うんですか? 応援してくれるんじゃなかったんですか!?」


「マイト、待って。聞いて」


「クオンちゃんとシオンちゃんを暴れさせてるのも、劇団の邪魔をするためなんですか!」


「静かに!」


 俺は手のひらでマイトの口に塞ぎ、強制的に黙らせた。声が大きいと、団長たちにバレる。


「マイトの夢を否定するつもりはないんだ。でもこの劇団は、もしかしたらすごく危険な集団かもしれないんだよ。一度入団したら、もうここには帰ってこられないかもしれない」


 なるべく丁寧に言葉を選んで、ゆっくりと諭す。マイトは口を塞がれたまま、じっと俺の目を見て聞いていた。押し付けていた手を離してやると、彼は声を絞って返した。


「だからなんですか?」


 両耳を下に向け、威嚇するような目を向けてくる。


「俺にとってルミナがどれほど大切か、話しましたよね。この劇団は、俺のこれまでの人生の軸なんです。どんなにつらいときでも、この劇団が観せてくれた舞台と夢に励まされてきたんです」


 マイトの瞳には、たしかな意志が宿って見えた。


「ルミナがなにをしていようと、関係ない。ルミナが俺に見せてくれた夢は本物だし、ここまで生きていく希望をくれたのも本当です。その事実さえあれば、あとはどうだっていい」


 そうだった。マイトがルミナに心酔するのは、他でもない、ルミナにはそれほどの魅力があるからなのだ。彼をここまで惹き付け、希望であり続けたことは紛れもない真実だ。


「行くな」なんて、俺には言えない。


「……ごめん」


 自然と謝罪の言葉が零れた。マイトも、目を伏せて小さく頭を垂れる。


「こちらこそ、興奮してしまってすみませんでした。それじゃ……俺、片付け戻ります。クオンちゃんとシオンちゃん、これ以上馬車を荒らす前に連れ帰ってください」


 そう言い残して、マイトはくるりと俺に背を向けた。テントを出ていく彼は、こちらを振り向きもしなかった。

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