劇団
クオンとシオンと合流しに、噴水広場へ向かう。街はそれまでよりもさらに人出が多くなっていて、噴水広場に向かうに連れて、賑わっていく。
やがて俺の目に、広場の一角にできていた大きなテントが映った。
平べったい円柱型の、紺色のテントだ。天辺には黄金色の三角の旗が風に揺れ、青空の下で煌めいている。周辺にはテントと同じ色のガーランドがはためき、早くも見物客で賑わっていた。
賑わう人混みの中から、聞き慣れた声が飛んでくる。
「あっ、いたいた! イチヤくーん!」
「見て、テント! おっきいよ」
俺を見つけたシオンと、くっついてくるクオンである。ふたりとも、歌劇団のテントに無邪気に目を輝かせている。俺もつい、目を奪われて立ち尽くした。子供の頃連れていってもらった、サーカスのテントを思い出す。規模が大体同じだ。
この人混みの中、クオンとシオンが迷子にならなくてよかった。無事に合流できた俺は、広場を見渡す。
「大混雑だな。ルミナって人気なんだな」
「ね。劇が始まるのは夜からなのに」
クオンも驚いている。シオンははぐれないように、俺の袖を握った。
「チケットを買えた人だけじゃなくて、私たちみたいに、ひと目役者さんを見たくて来てる人もいるみたい」
「うん、それにお店も出てるから、遊びに来てる人もいるんだよ」
クオンが言うとおり、広場には、騒ぎに便乗して物売りをしている商人がいた。屋台出して、串に刺さった肉をその場で焼いて振る舞っていたり、片手で食べられるお菓子を売っていたり、様々である。おかげで、劇団には興味がない人も、お祭り感覚で遊びに来ているのだ。
そんな中で、人の流れを整備する女性の姿を見つけた。
「危ないので押さないでください! あ、この綱の先はまだ立ち入り禁止です」
縹色とグレーの縞模様のコートを着て、それに合わせた色彩のシルクハットの女だ。劇団の団員だと見て取れる。双子が迷子にならないよう、俺は左右の手でそれぞれクオンとシオンの手を繋ごうとしたのだが、それより先にクオンが走り出してしまった。
「あの人、劇団の人だ! 役者さんどこにいるか、訊いてくる!」
「あっ、こら! 訊いたって教えてもらえないぞ」
俺はシオンの手を握り、クオンを追いかける。行動力のあるクオンは、あっという間に女性に駆け寄り、話しかけていた。
「こんにちは! カレンさんに会いたいです! どこに行ったら会えますか?」
「あら、こんにちは、かわいいお嬢さん。チケットはお持ち?」
人混みでガヤガヤしている中、女性の切れのいいキビキビした話し方がよく通る。俺は慌てて、クオンの襟首を捕まえた。
「すみません、チケットはないんです。この子、憧れの女優さんに会いたかったみたいで……」
「ふふ、そういう子は多いからお気になさらないで。それだけ、うちのカレンは愛されているの。ありがたいわね」
ブロンドのショートカットの、凛とした女性である。彼女は俺に微笑みかけ、きれいな所作でお辞儀をした。
「私はこの移動歌劇団ルミナの団長、ステラ。以後お見知り置きを」
「団長さん!?」
大人気の歌劇団の長が、この女性だったのだ。団長ともあろう人自らが、テントの外で整備をしていたとは、驚いた。彼女自身も、苦笑いした。
「そうなのよ。団長であっても役者ではない裏方。劇の当日はこうして整備に回るのよ」
たしかにこれだけごった返していれば、トラブルや迷子がそこかしこで起こりそうだ。それに、チケットはないが役者に会いたくて来た人も、ただのファンだけとも言い切れない。中には、役者に悪意がある人もいるかもしれない。団長は、自分の抱える役者たちを守るため、整備に当たるのだ。
クオンが寂しそうに首を傾げる。
「カレン、テントの中にいる?」
「そうね。でも入っちゃだめよ。関係者以外立入禁止」
団長に優しく窘められて、クオンは素直に頷いた。シオンがクオンの肩を叩く。
「残念だけど、諦めよう。またいつか、もう一度会いに行こう」
「そうだね。今日は屋台でおいしいもの食べよ!」
一瞬はしょんぼりしていたクオンだったが、すぐに切り替えてもう食べ物に目を輝かせていた。元気のいいクオンに、団長がにっこりと笑う。
「次回はぜひ、チケットをお持ちになっていらしてね。そしたら、舞台の上のカレンを存分にお見せするわ」
「うん!」
クオンがあっさり受け入れる。風が漂うと、肉を売る商人の元から空気が運ばれてきて、香ばしい匂いが鼻腔を刺激した。
途端にクオンは、俺の手を逃れてシオンの手を取った。
「シオン、あっちにあったお店行こうよ! おなかすいた!」
「待って、イチヤくんはぐれちゃう!」
シオンの手が俺から離れる。クオンが勢いよく屋台へ駆け出し、シオンを引きずる。俺も追いかけようとしたとき、ふいに背後で若い女性の声がした。
「そんな、本当にいいんですか? 私、チケットを買えなくて……」
「いいんですよ。まずは特等席から我が劇団をご覧下さいな」
見ると、団長と同じ縞模様のコートの男性が、月の民の女性を引き連れてきていた。朽葉色の耳をした、かわいらしい顔の女性である。そわそわを落ち着きなく周囲を見渡して、興奮気味に頬を染めている。
女性は、「チケットがない」と言っているのに、コートの男性に連れられて、裏口からテントへと入っていった。
なんだ今のは、と唖然としていると、団長が俺の耳元で、そっと囁いた。
「見たわね? 今のは誰にも秘密にしてね」
「えっと……チケットなくても入れる、特別な条件でもあるんですか?」
俺も小声になって訊ねる。団長は目を細め、ひそひそと答えた。
「“ルミナ”は、地の国のとある地方の古い言葉で、『希望の光』という意味なのよ。私たち歌劇団ルミナは、行く先々で人々に光を与える。それは演劇で心を潤すだけじゃない。夢を持つ若者に希望を授けることも、私たちの使命」
団長の言葉は、劇中の台詞のような滑らかな語調で発せられた。高い意識と強い意志をはっきり感じさせる、凛とした声色だ。
俺はロロから聞いた、スカウトの話を思い出した。
と、団長は俺から顔を離し、元の声量に戻って言った。
「それよりあなた、さっきのおチビちゃんたちを放っておいていいの? こんな人混みの中じゃ、迷子になっちゃうわよ」
「あっ、そうだった! それじゃ!」
俺は団長に会釈して、クオンとシオンを捜しに駆け出した。
体の小さいふたりは、大勢の人の中に紛れるとなかなか見つからない。食べ物の匂いを辿って屋台を覗いてみるも、並んでいる姿は見つからなかった。
連絡手段もないし、どうやって合流しようか、と考えていると、背後から声をかけられた。
「あのー、すみません。これ、落としましたよ」
振り返ると、月の民の少年が、俺に携帯を差し出していた。ポケットに入れていたものを、いつの間にか落としていたらしい。
「あっ、ありがとうございま……」
受け取ろうとして、俺は携帯を持ったその手の主の顔を見て、目を剥いた。灰色の癖毛に、左だけ折れた耳。赤紫色の瞳。
「マイト!?」
「あれっ、イチヤさん!? 偶然ですね。またお会いできて光栄です!」
マイトが俺に携帯を握らせる。俺はこの頃全然使えない携帯を受け取り、ポケットに戻した。
「ありがとうマイト。これ、大事なものなんだ」
「へえ、なんの道具なのかさっぱりですけど、これも月影読みの特殊な持ち物なんですね」
月影読みの仕事とは恐らく関係ないが、説明するのも難しいので、言わないでおく。代わりに俺は、マイトの胸ポケットから覗く、観劇のチケットらしき紙片に目を留めた。
そうだ、マイトはこの劇団の熱狂的ファンだった。月の都にテントが来るとなれば、観に来るに決まっている。
「チケット取れたのか。すごいな」
「チケット売りに、運よく早めに出会えたんです。もう俺、一生分の運を使い果たしたかもしれないです」
「これから役者目指すんだろ、まだ使い果たしちゃだめだ」
そんな話をしていると、腰にとんっと、小さな衝撃があった。見ると、クオンとシオンが飛びついてきている。
「イチヤくん、見つけた! もう、はぐれちゃだめだよー」
「クオンから離れたんでしょ」
俺を迷子扱いするクオンと、それを窘めるシオン。その後ろには、先程出会った、劇団の団長がいた。
「もう迷子になっちゃだめよ。お兄ちゃんも、目を離さないように!」
どうやら俺とはぐれたクオンとシオンは、団長のところへ戻って、俺を捜していたみたいだ。背の低い双子に代わって団長が俺を見つけ、連れてきてくれたのである。
謝ってお礼を言おうとした俺より先に、マイトが反応した。
「あっ! 団長さんだ!」
マイトは団長を見るなり、目を輝かせた。
「ステラ団長ですよね。ご自身は演劇には出ず、開演前の団長挨拶でしかお顔を出されない、あのステラ団長!」
「あら、すごいわね。役者を覚えてる人はたくさんいても、私を覚えてる人なんか殆どいないのに」
団長が感心する。マイトがどんどん早口になっていく。
「当然です! だって俺、ルミナに憧れてるから。初めてルミナの公演を観たとき、団長の挨拶で一気に惹き込まれたんです。だから俺、覚えてます。こうしてお話しできる日が来るなんて感激です!」
「へえ。面白いわね、あなた」
団長は腰を屈め、マイトを覗き込んだ。審査するような目つきで彼を見る。
「あなた、お仕事は?」
「へっ? えっと……定職はなくて、日当稼ぎです」
団長に見つめられたマイトが、急に我に返って照れくさそうに仰け反る。これはまさか、と感づいた俺は、反射的に横から応援した。
「マイトはすごく真面目で頑張り屋なんです。健気で誠実で熱意があって!」
団長がふうんと鼻を鳴らす。マイトをよりまじまじと見つめ、やがて曲げていた背筋を伸ばした。
「結構かわいい顔してるし、いいんじゃないかしら。マイトくんといったかしら。こっちへおいで」
団長の手招きに、マイトは唖然とした。綱の内側に誘われて、目をぱちくりさせる。団長はにこっと目を細め、テントの裏口へ足を向けた。
「スカウトよ。あなた、うちの劇団へ来なさい」
瞬間、マイトの三角耳が上を向いた。折れている左耳も弱々しくぴくつき、右耳は反り返りそうなほど真っ直ぐになった。
団長がテントへ向かっていく。
「来るかどうかは今決めなくてもいいわ。まず特等席から劇を見せてあげる。こっちから入ってきて」
まだ呆然としているマイトの背中を、俺はぽんと叩いた。
「よかったなマイト。チャンスだ」
「えっ、だってそんな……こんなことあるんですか?」
「あるんだよ。今まで真面目に生きてきたご褒美じゃない?」
戸惑っていた彼が、徐々に目を潤ませていく。
「イチヤさん、俺……これまでずっと、怒られてばっかで、全然いいことなくて。多分このままなにもない人生だと思ってた。せめて、夢を見るだけなら俺の勝手かなと思ってて。だから、まさか……叶うなんて」
涙目で打ち震えて、マイトは深々と頭を下げた。
「ありがとうございました! 行ってきます!」
顔を上げた彼は、溢れんばかりの笑顔を咲かせていた。団長を追いかけて、テントへと走っていく。
なんだか俺まで嬉しくなる。誰かが夢を叶えた瞬間に立ち会えた、というと大仰かもしれないが、あんなにきらきらした顔を見せられると、素直に感動した。彼ならきっと、これからたくさん活躍できる気がする。
「やっぱり、一生分の運を使い果たしてなんかいなかったな。さて、クオン、シオン。なに食べる?」
クオンとシオンに問いかけて、気づいた。横にいたはずのクオンとシオンが、またもやいなくなっている。
「あれえ!?」
一度迷子になって反省したと思ったから、油断してしまった。周辺をきょろきょろ見回したが、小さな双子の姿は、どこにも見当たらなかった。
夕日が沈み、星が浮かび始めている。テントの入口からは、開場の合図の鐘が鳴った。
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