才能
その後俺は、ロロの万事屋を訪ねた。クオンとシオンはもう少し街の装飾を見ていたいというので、俺だけで来た。
じめじめした廃屋に腐った看板を掲げ、その店は扉を半開にしている。扉には、南京錠のついた鎖がぶら下がっていた。
扉の隙間からキュイイイと奇妙な音がした。訝りつつ、扉の隙間を押し広げる。
「ロロ、邪魔するぞ」
耳を劈く甲高い音が、一層大きくなる。店に入ると、奥のカウンターに小さな火花が飛び散っているのが見えた。ゴーグルをしたロロが、金属にドリルのようなものを当てている。
しゅんと火花が落ち着き、ロロはゴーグルを上げた。
「ん、いらっしゃい」
「無事に釈放されたんだな」
「闇市の商人について、情報提供を求められただけだからね。扉はそのままでいいよ。本当は閉めたいのだけれど、壊れていて閉まらないんだ。昨日、どこぞのお役人さんが乱暴に開けたから」
フレイに摘まれたのを根に持っているのか、ロロの口調は僅かに棘があった。
店の中が荒れている。元から雑然としていたが、フレイが突進したせいで品物が什器から落ちたり倒れたりしたのだ。多少は戻したみたいだが、大方が荒れたままになっている。
ロロが俺を見上げる。
「なんの用? 買いに来た? 売りに来た?」
「いや、ちょっとロロと話したくて」
床の品物を踏まないように歩いて、ロロに近寄る。ロロはドリルを当てていた金属片を手に取り、顔の近くに掲げた。
「客じゃないなら追い払いたいところだけれど、まあ、今は気まぐれを起こしてあげるよ。僕も君には、興味がある」
金属片は、蝶番だった。壊れた扉を修復するパーツを作っていたようだ。その蝶番を眺めつつ、俺はカウンターに寄りかかった。
「俺に興味?」
「ん。月影読みの代理だと聞いたからね。セレーネから任されるような人材というのがどれほどのものか、気になるじゃないか」
「生憎、どれほどのものなのか自分でも分からない。記憶喪失だから」
少なくとも大賢者の代理に及ぶような人間だとは、自分でも思わない。
「実はその相談で、ロロを訪ねたんだ。君、セレーネとなんか話し合ってたそうだな」
俺はクオンとシオンから聞いた話を思い出していた。双子たちには難しい話を、セレーネとロロだけで話し合っていたという。もしかしたらこの賢すぎる少年ならば、俺よりもずっと月影読みに向いていそうだ。そして、なんでも作れる彼ならば、月の雫の作り方も知っているかもしれない。
「ロロはあの望遠鏡を扱えるのか?」
思わぬ質問だったのだろう。ロロは帽子の鍔の影から怪訝な顔を覗かせ、にべもなく言い切った。
「できるわけないじゃないか」
「そうなの? ロロはセレーネと渡り合うくらいの頭脳があるって聞いたから、ひょっとしたらと」
「月の観測、及び月の雫の生成は、頭脳だけでどうにかなるものじゃない。あれは天文台を創設した大賢者の血を引く者にしか受け継ぐことのできない、才能だよ。僕には到底不可能だ」
少しの期待も持たない否定の仕方は、月影読みという存在がいかに特殊かを示唆されたような気になった。
「そうか……。もしも次の満月の夜までにセレーネが戻ってこなかったらどうしようって、不安なんだ。俺にもなにかできないか、考えてたんだ」
昨日月を見上げていた俺は、ただ「きれいだな」と思っただけで、この世界の理にひとつも結びつけられなかった。
できなくて当たり前だ、自分を責めることではない。分かってはいるけれど、自分の無力さに腹が立つ。
「できるとすれば、君の記憶を一刻も早く戻すことだよ」
ロロは抑揚のない口調で、はっきりと言い切った。
「セレーネから代理として遣わされたのなら、君は月の都に来る前に、セレーネと接触しているはずだ。記憶が戻れば、セレーネがどこにいるのか判明する。或いはその緒を掴める」
そう言われて、俺はどきりとした。セレーネから遣わされたというのは、その場しのぎの嘘である。そうは知らないロロは、淡々と続けた。
「セレーネの居場所が分かったところで、帰ってこなかったとしても、代理に立てられた君が望遠鏡の扱い方を思い出してくれれば、それで当分は賄える」
「でもさっき、大賢者の血を引くものだけの才能だって……」
「そうだ。それをさせるために、セレーネは君を天文台へ送ったんだろう? つまり少なからず、君には月影読みの才能があるわけだ」
たしかに、理屈の上ではそうなる。しかし恐らく仮に記憶が戻ったとしても、セレーネについても望遠鏡についても、俺にはなにも分からない。
でも、それはさておき記憶は戻したい。自分が何者なのか。どこから来たのか。本当のことを知りたい。
ロロは扱っていたドリルを俺の方へ向けた。
「脳に刺激を与えたら、記憶が戻るかもしれないよ。この電撃が発生するドリルで痺れてみる?」
「えっ、あっ、それはちょっと待って」
俺は咄嗟にカウンターから飛び退いた。記憶は戻したいが、その手段は遠慮したい。
しかしロロはカウンターに飛び乗り、ドリルをギュルギュル回してこちらに近づけてきた。
「君は僕の知的好奇心を擽るんだよ。記憶喪失とやらはどうしたら回復するのか、知りたい。試しに触れてみてくれないか」
回転する刃がバチバチと火花を上げている。どういう道具なのかは俺にはよく分からないが、人に向けてはいけないものなのは分かる。
「いや、絶対痛そうじゃん。怖い怖い」
と、後退りしたときだ。背後の棚に背中がぶつかり、上に置いてあった分厚い本が落ちてきた。その角が見事、俺の脳天に直撃する。目の前に、星が散った。
「いっ……!」
その瞬間、俺の頭の中に、映像が浮かんだ。
『壱夜、おいで』
懐かしい声だ。差し伸べられる大きな手、その向こうには、ネクタイと、アイロンのかかっていないワイシャツが見える。
顔を見上げようとした瞬間、視界がロロの店に戻った。
「うわ。大丈夫?」
それまで無表情だったロロも、流石に目を丸くしている。気づいたら俺は、落っこちた本の横に座り込んで、頭を抱えていた。
「今のは……?」
俺の名前を呼んだ、ネクタイの男。この世界、アルカディアナでは見かけない服装だった。俺はあの格好を知っている。あれは、俺の記憶?
頭の整理がつかない俺を、ロロはカウンターから足を投げ出して、呆れ目で眺めていた。
「ドリルは冗談だよ。僕も傷害の罪に問われたくはない」
「そっか、うん……」
本を頭に食らった衝撃で、なにか思い出しそうだった……とは、言わないでおいた。強い刺激がトリガーになるかもなんてロロに話したら、今度こそドリルでビリビリされる。
俺はくらくらする頭を押さえつつ、立ち上がった。
「今日はこれで失礼するよ。クオンとシオン、今日はルミナが来るってはしゃいでるんだ。ぼちぼち戻って、一緒にテントの周辺にでも行こうかな」
「あれ。チケット、買えたの?」
ロロがあまり興味なさげに問うてくる。俺は瘤になりそうな頭をさすった。
「ううん、買えないけど。双子たち、役者をひと目見てみたいんだって」
「そうか、いいんじゃないかな。テントの周りにはちょっとした屋台も出るよ。気分転換に遊んできたらいい」
ロロはぴょいっとカウンターを飛び降り、内側に戻った。遊びに行くのを促す言い回しが、まるで大人から子供に促すみたいだ。ロロの方が俺より子供のはずなのに。
ロロが作業途中だった金属片にドリルを近づける。彼が仕事に戻ったのを横目に、俺も店を出ようとする。彼に背を向けて、開け放たれた扉から外へ出ようとした、そのときだ。
「ルミナのスカウトには気をつけてね」
「えっ?」
振り向くと、ロロはゴーグルを目の辺りに下ろしかけて、途中で止めていた。大きな瞳は真っ直ぐに俺を見据えている。
ルミナのスカウトというのは、ルミナが公演する街で役者のたまごをスカウトしているという話か。
「気をつけるって、なに?」
ロロの口角がニッと吊り上がる。
「銀貨三枚」
「金取るのかよ」
言われてみれば、昨日も途中で話すのをやめて金銭を要求していた。なににせよスカウトされるようなことはないだろう。クオンとシオンは勝手に盛り上がっていたが。
「生憎、手持ちがないんだ。それじゃ、またな」
俺は今度こそ、店を出ていった。
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